はて、彼は映画スターだろうか?
私には映画スターなのです。
ピーター・オトゥールの目を書きましたから「目つながり?」で、彼の事を書いてみましょう。
「青い目」を偏愛しているからじゃないか?って?
「青い目」それだけならいっぱいいますよ、他にもね。
いいえ色だけじゃないんです。
映画の中でその目が「生きた!」瞬間を持っているかどうかが大事なんです。
言い換えれば私を本当に見つめてくれた、私と見詰め合って何かを交感した瞬間があったかどうかということでしょうか。
大体彼の目が本当に青い目なのか私は知らないんです。
少なくとも1983年の「戦場のメリー・クリスマス」の彼は青い目でした。
彼は化粧もしますから色付きのコンタクトをしていても不思議じゃないのですから。
素の彼が何色の目をしているかは私には大事なことではありません。
彼の映画はもう一本「ラビリンス」(1986年)を見ています。
でもその映画では彼の目は余り印象的ではないのです。
青よりもむしろ銀色だったような記憶です。
髪がもりもりの銀色だったからそんな印象なのかなぁ?
要は土の中に埋められた彼の顔がこちらを向いた時の目です。
この目で彼は私の中でムビー・スターになりました。
本当のところもう映画の詳細は覚えていません。
もう一つ本当の所、今となっては「はて、本当に青だった?」って感じもなきにしもあらずです。それなのにあの目の持つ力の記憶は死なないんですねぇ。
あの目は確かに私を捉えていたんです。
実際は彼はちゃんと私にとってロック・スターとして始まったんですよ。
狭い台所で小さかった二人の息子をかわるがわる私の足の甲の上に立たせて抱えて、彼の「チャイナ・ガール」を聞きながら踊りまわったものです。
だから息子が大学生になって下宿した時に、たまたま上京して彼のテーブルの上にデヴィッド・ボウイのCDを発見した時は妙にうれしかったですねぇ。
「あぁ、彼は私の息子だ!」とつくづく思っちゃいましたから。