監督 オリヴァー・ストーン
出演 ニコラス・ケージ、マイケル・ベーニャ、マギー・ギレンホール、マリア・ベロ、スティーブン・ドーフ、ジェイ・ヘルナンデス
9・11がまた来て、「ユナイテッド93」と「ワールド・トレード・センター」が来ると知った時ためらわずに「ユナイテッド93」を見ようと思ったのはただ単にニコラス・ケージさんが私の好みではなかったからというだけではない。
あの事件の映画化は何であれ知っている俳優さんの顔で見たくはなかったからだ。どうしても俳優さんの顔は良くも悪くもその顔がまだ記憶に新しいあの事件の何かを左右してしまうような気がして。
だから「今週何か映画見に行かない?見たい映画有る?」と聞かれて私は「カポーティ」「ブラック・ダリア」「16ブロック」「上海の伯爵夫人」とまぁ、いっぱい並べすぎた。彼女からはシンプルに「「ワールド・トレード・センター」が見たいの!」と返って来て、シンプルさに負けた?
予告編で見るニコラス・ケージはいつもの彼ではないみたいだったから・・・まぁ、許すか!努力を買おう!ってところでしょうか?
それに私はいつもどおりあのノペットした顔が行動するのだと・・・動き回って能動的なつまり・・・目立つのだと思っていたから、意表を突かれた。
へェ、こういう使い方かぁ・・・という点で・・・変な点だね?評価できた。というか、ニコラス・ケージを余り意識しないで映画を見れたので、まぁ?「素直に見られた。」と言っていいかもしれない。
「こうして助けられた人も居たんだ!」という点に絞って作品は集約されていて、変に英雄的な行動とか何かが無くてほっとした。
人口が集中して、建築物が分厚くなればなるほど救助は難しくなる。
東京と言う大都市の巨大ビル群の真っ只中に住む身は普段災厄から完全に目をそらせて生きている。
便利さと楽しさを優先させた結果が今の私の姿だから・・・災害がテロであれ地震であれ・・・何によって引き起こされたにしろ、起こった後はあの事態の真っ只中・・・つまり瓦礫の下に入ることになるのはほぼ間違いないことなのだと知るべきだろう。
そして、運がよければ?家族は喜びの涙を流し、運が悪ければ?写真が永遠に?(探してくれる人がいる間は)貼り付けられる事になる・・・そう・・・それがわかっているの?と思いながら見ていた。
そう、だからニコラス・ケージやマリア・ベロさんを使うべきではなかったんだ・・・普遍性を高め、より身近に見る人に何かを感じさせるためにも・・・と思ってもいた。
「人の明日」を思わせる映画だったなぁ。
あの場面で志願して中に踏み入った人と、とどまった人。
救助のための一刻の重みを知っていたあの2人の海兵隊員の存在。
あの二人もひょっとしたらイラクへ志願した人、しなかった人・・・という具合に運命を左右したかもしれない?
死んでいく仲間を見てしまい、助かった人のその後の心とか・・・思いやると・・・「思いやってはいけない!」と心が堰を作ってしまう。
自分なら立ち直れるだろうか?心もとないと思い、無理だと思う。そしたら、ここでは、この世では生きていけなくなるし、誰も子供も産み育てたいと思わなくなるだろうという気がしてしまいそうで。
あの瓦礫の下から救い出された18番目と19番目の二人・・・という数字はやりきれない。
明日あなたや私にもあの数字で表される運命が待っているのかも知れず・・・死者、3千余人の中の何番目かの数字になるのかも知れず・・・いやだなぁ、こういう映画は!疲れて、夢も見られない。
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