バレエ映画

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「パリ、オペラ座のすべて」
「ベジャール、そしてバレエはつづく」

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昨年の年末、今年の年の初め、続けて渋谷まで映画を見に出かけました。バレエ漫画全盛の頃に?育ったせいか?漫画そのものはもう殆ど覚えていないのに・・・骨の髄の何処か隅っこに妙に中途半端なバレエ愛好気分がしみこんでいるらしい。
大昔、日生劇場でパリオペラ座の?白鳥の湖を見たのが唯一のプロの舞台という私ですが・・・踊りは日舞から洋舞・・・古典からモダン、なんでも・・・見るのは大好きです。踊っているのを見ていると・・・その躍動感に見も心もまさに天国に釣り上げられるのです。生まれ変わったらリバーダンスのダンサーなんてのもありか?いやいやミズスマシがせいぜい?
「フットルース」見てだって、「雨に唄えば」「バンドワゴン」見てだって・・・「ウエスト・サイド物語」なんか特別中の特別だけど。ミュージカルなら殆どステキ!ですけれど・・・というわけで当然!バレエなんて最高でしょう?
で、バレエの映画というとぱっと思い出せるのは・・・「赤い靴(1948)」「愛と悲しみのボレロ(1981)」「白夜(1985)」「リトルダンサー(2000)」「オーロラ(2006)」ですか・・・。
「赤い靴」なんて、私が生まれた年の映画です。一体何時頃見たものだか・・・それでも赤い靴で踊り続ける場面は忘れられませんもの!でもやっぱり圧巻は映画の冒頭だということもあるのでしょうが・・・ジョルジュ・ドンのボレロ!圧倒されます。ずーっとそこだけ繰り返し繰り返し見ていたいです。っていうかあの映画そのものはそんなに好きではありません。あの映画はあのボレロを見るためのものです。そのジョルジュ・ドンさんを「ベジャール・・・」でまた見ることが出来ました。
そして、あの「白夜」!「白夜」は、あの冒頭は、息を飲みました。本当に息していなかったんじゃないかなぁ・・・と、思います。ミハイル・バリシニコフの名は絶対忘れないだろうと思いました。私と同い年だし!この映画で衝撃を受けたので・・・やっと?他の映画にも出ているのを発見しました。「愛と喝采の日々(1977)」あぁ、これもバレエものでした。でも一番驚いたのはTVドラマ「SATC」でキャリーの恋人で出てきた時!でも、ま、あれは忘れよう。私にとってはあの冒頭の踊りだけで彼は永遠。あの映画はグレゴリー・ハインズのタップと共に忘れられないものになりました。
アダム・クーパーさんも名前だけ知っていたのが「リトルダンサー」で始めて見ることが出来ましたし、反対にニコラ・ル・リッシュさんは映画で見て始めて知りましたけれど、前のお二人同様多分このお二人の舞台も一生見ることも無いだろうと思いますね。
だからこそ?バレエ映画は捨てがたい、ありがたいものだと思って、また素晴らしいダンサーが素晴らしい場面をフィルムに刻んで欲しいなぁ・・・と、思うのです。
「パリ・オペラ座のすべて」と「ベジャール、そしてバレエはつづく」はだから、私にはありがたい映画でした。多分?私みたいなおばさんが結構あの満席の映画館にはいたんじゃないかなぁ?

映画館

映画についてのコラム 147 Comments »

師走の声を聞くと思い出すのが浅草の賑わいです。
子供の頃の楽しみは浅草の映画館街へ行くこと、観音様の様々な行事に出かけることでした。
あの頃の浅草ロックや仲見世は人とぶつからないでは歩けないほどの賑わいでした。
父が休みの日に出かけたのですから日曜だったのでしょうが、大人たちの間に埋もれて、大人の背中ばかりを見つめて、目の前が見えない状態で、それでもウキウキとスキップを刻みたいような気持ちで父の手にぶら下がって歩いていましたっけ。
色々な呼び込みの声も楽しく面白く、あの賑わいを越えるウキウキ感は今も無いと思いますね。
妙なエネルギーがありましたっけ。
それでもたまにロードショーなど日比谷有楽町界隈に出かけてゆきましたが、絶対浅草が一番の繁華街だと信じていました。
親とではなく映画館へ行くようになってからなぜか浅草で映画をみなくなりましたっけ。
それにもうその頃は浅草にはスキップをしたいような賑やかさはなくなっていました。
久しぶりで日曜にロックへ出かけて人と肩をすれあわさずに歩けることに気が付いて驚いた日の事を不思議なくらい鮮明に覚えています。紙くずと埃が木枯らしに吹かれて足元で渦を作っていましたっけ。
いつの間に浅草はあの賑わいを失っっていたのだろう?
でも今考えてみれば、私ですらその頃は浅草へ行くことが稀になっていたということですねぇ。
今、ヤフーで劇場を検索すると浅草で23館出てきます。
といっても、劇場そのものは、浅草新劇場、浅草中央、浅草名画座、の3つですか。
シネマメディアージュとか、シネマコンプレックスとか、ユナイテッドシネマとかシネマートとかいうもののように一館に幾つもの劇場が入っているようなものなのでしょうね?
しょうね?って、そうなんです。
40年以上も?浅草で映画見ていないんですね。
最後は「東京オリンピック」を学校から行列を作って出かけた時かしら?
一人で行くならなるべく家から近いところを目指しますし、友人と行くとなったら圧倒的に銀座界隈か新宿界隈です。
浅草に懐かしい愛着を持っている私ですら、浅草の賑わいに引かれることがなくなったことにこの師走気が付いて、(風邪引いて籠もっていたからですよ)妙に淋しくなりました。
つくばエクスプレスの駅が出来て賑やかさを取り戻せたのでしょうか?
25年ぶりに東京へ帰ってきて観音様へ初詣に行って、長すぎる行列にびっくりしましたが、その行列はおとなしくて昔のあの賑やかさから程遠い印象でした。
人は確かにいっぱい出ているのに・・・何が違うのでしょう?
友達と
「映画に行こう?」
「うん、じゃァ浅草で会おうか。」
「うん、浅草がいいね。」
なんて会話してみたいなぁ・・・
もみくちゃになっていたのにあの頃の浅草の賑わいははちっとも怖くなかったのに・・・
そういえば先日、真新しいユナイテッド・シネマでレディス・デーに「エラゴン」を見ました。413席の劇場に客は私を入れて9人でした。
つまり私以外は4組のカップルだけで・・・しかも一組は最後列のカップル席に埋もれていましたから、私一人の貸しきりかと思えました。
うーん、贅沢って?いやーそれが妙に侘しいものがありました。
「エルビス・オン・ステージ」を有楽町で立ち見でしかも潰されそうになって見た時が懐かしく思い出されました。あの人いきれと高揚感と!
映画を見るのに最適の環境と最高の気持ちって結構難しいですよ?
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クリント・イーストウッド

俳優についてのコラム 239 Comments »

こんなに書くことがいっぱいある俳優さんて他に居るでしょうか?
私にとってピーター・オトゥルが見果てぬ夢だとすればクリント・イーストウッドは身近な夢です。
何しろ作品がいっぱいあって、「見たいなぁ!」と思う前に何かしらTVで放映されます。
新作もちゃんと程よいピッチで来ますしね。
ピーターはなかなか見られませんからいつも彼の作品に飢えている状態ですが、クリントは多彩に活動していて何度でも見ることが出来るという安心感があります。
大体子供の時から彼は私の憧れで、しかも身近に居るという感じです。
「ローハイド」なんて、もう死ぬまでお目にかかれないと諦めていたのにどうです?
衛星第二の再放送で見れちゃった!なんて嬉しいことでしょう。
子供の頃の茶の間とTVを懐かしく思い出しました。
クリントのなんと若くて颯爽としていて真面目で初々しかったことか!
その後もマカロニウエスタン・ダーティ・ハリーシリーズと、彼が演じれば見られる物はたいていは見ました。
「荒野の用心棒」など、マカロニウエスタンの音楽のなんと胸をときめかしたことか!
ゾクゾクしながら見ましたよねぇ。細めた目、口の端の葉巻、ぼそっと一言、思い出してもカッコイイ。
カウボーイ物とハリー・キャラハン以外では、ざっと思いつくだけでも「ミリオンダラー・ベイビー」「許されざるもの」「スペース・カウボーイ」「アルカトラズからの脱出」「目撃」「ザ・シークレット・サービス」「トルゥ・クライム」「マディソン郡の橋」「パーフェクト・ワールド」「ルーキー」「タイト・ロープ」「ガントレッド」「白い肌の異常な夜」・・・
何で惹かれたんだろうなぁー・・・子供の頃には「背が高くて、金髪で、ハンサム」なんて人そう見ることは無かったからかもなぁ・・・珍しかったのかも。
見た全部の作品について書くなんて大それたことはできないから、それに「ダーティ・ハリー」が何で好きなのか自分でも分からないから(だって、友人で好きな人誰も居ないのよ。皆人殺しで暴力的で、何であんなの見るのさっていう人ばかり)、書けない気がするし。
「ローハイド」で「フェーバーさん」なんて言っていた穏やかな彼よりも、彼には歯を食いしばったような苦い顔が良く似合って、その顔がなんとも好きなんだなぁ!
大本はハリーの顔よ。
こっちも年を取ったからかもね?
年を取っていくのを見てもそれが全然悲しくない人だわって思っています。
ロバート・レッドフォードなんかは最近見るのが辛いような気がしてしまうのに。
で、そういう顔が生きている彼の作品がやっぱり好きなんです!
だからそういう意味で好きなのを挙げろって言われたら(勿論、ハリーは抜いて)、まずは
「スペース・カウボーイ」あの顔と会話がなんともいえない!もう笑えて笑えて、ホント全く、どうしようもなくしょうがないんだから・・・と言いながら「可愛いおじいちゃんたちだなぁ!」って、マーシャ・ゲイ・ハーデンのように顔を振りながら暖かく見つめちゃう。
この作品は彼だけが好きというよりあの4人のおじいちゃんのハーモニーが好きなんだとは思いますけれどね。トミー・リー・ジョーンズとの遣り取り秀逸でしょ?素敵なお伽噺だわ!
この作品でも、「許されざる者」でも、「ミリオンダラー・べイビー」でも私だったら男優賞あげちゃうのに!って、思っています。ええ本気で!絶対!
「ザ・シークレット・サービス」も好きだなぁ。この映画の場合もジョン・マルコビッチとの競演の面白さが際立っていたように思うのよね。年齢に鞭打っているところ・・・そういう時の彼の顔・・・いやぁなんとも格好いいんです。
ほら、車について走っていくときの辛そうな顔!
顔が年と共に鶴のようにそそけてゆくのに体格が際立っていて、スックと立っているところ(一寸背中に年が出ている感じ)が又なんとも言えず哀愁を感じていいんです。
しわだってしみだって全部ひっくるめて渋さがいいのですよ。
う~ん・・・なんか一緒に歩いてきたような懐かしさを感じちゃうんでしょうねぇ。
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気になる二人?

俳優についてのコラム, 映画タイトルINDEX : カ行 33 Comments »

ケビン・ベーコン
ジョナサン・リス=マイヤーズ

「えぇーこの二人同じ枠でいいのぉ?」
って声が聞こえそうですが、私自身何でこの二人を急に書きたくなったのかよく分からないんですけれど・・・(アハハ?)先日新聞に広告が出て、ジョナサン・リス=マイヤーズの映画がこの秋公開されると読んだ途端ふとケビンを思い出したんです。
ジョナサン・リス=マイヤーズの映画ってまだ、3本しか見ていないんです。
「ベルベッド・ゴールドマイン」「ベッカムに恋して」「M:I:Ⅲ」
「ベルベッド」の彼は一寸忘れられないのです。不気味でもあり、魅惑的でもあり、異様な磁力を発していましたが、その一方でみっともない子だとも思いましたね。
そして「ベッカム」ではなかなか気持ちの良い青年を等身大で演じていたという感じでしたが、それでも正直なんてみっともない青年だろうと確認しちゃいました。
それは丁度ケビン・ベーコンが「フット・ルース」でブレイクした時にも、何でこんなみっともない子が主役のこんな魅力的な少年を演じさせてもらえたんだろう・・・?と、思った事を思い出させたからかもしれません。
随分年は違いますが、印象に残りかたが同じだったのです。
どちらも初めて出会った作品が方向はまるで違ってもどちらも音楽ものでしたしね。
そしてケビンが凄い性格俳優になっていったような感じにジョナサンも進化しているという気がするのです。
「フット・ルース」の後ケビンにめぐり合ったのは十年近くもたった「ア・フュウ・グッドメン」と「激流」でしたから、ホント驚きました。
少年の面影は拭い去ったように消えて精悍な役、悪役を見事に演じる俳優さんになっていましたから。それからはコンスタントに彼を銀幕で楽しんでいます。
「スリーパーズ」なんかこんな悪役をよくまぁ・・・こんなに悪く・・・?と思ったりもしますが(余りに上手すぎですよ)、「アポロ13」の彼は好きでしたね。
でも、どの作品でも彼は微妙な複雑さを織り込む一筋縄ではいかない演技をするなぁ・・・という感じがして、微妙に?私には目が離せない俳優さんなんです。
大好き!って言うわけでは無いのですけれど(だって私は面食いなんですよ?)、彼が出ているとその作品にはちゃんと厚みがでるだろうな、という信頼がおけるとでも言いますか。
そしてジョナサンもです。居るだけでそこが確かになるという気分を与える俳優さんになりそうだなぁと。
だから普段「彼の作品来ないかなぁ・・・」と、意識して待っているわけでもないのに、新作の予告にケビンやジョナサンの名前を見つけると「お、ちゃんと活躍しているな?」と応援団みたいにほっとしてしまうんですね。
ケビンは今度はどんな役柄をどんな風に見せてくれるんでしょう?
「秘密のかけら」コリン・ファースと共演しているんですよ。
早く行かなくちゃと、心はせいているのに・・・忙しい!でも行くぞ!
ジョナサンは「マッチポイント」ではスカーレット・ヨハンソンと共演の主役らしいですから、秋を楽しみにしていましょうかね。
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ニコール・キッドマン

俳優についてのコラム 351 Comments »

銀幕で美女といったら文句無く私にとっては「オードリー・ヘップバーン」「イングリッド・バーグマン」「マリリン・モンロー」に続いて最近「ニコール・キッドマン」です。

勿論美女はあまた居ます。
「バンド・ワゴン」のシド・チャリシー、「風とともに去りぬ」のビビアン・リー、「ウエストサイド・ストーリー」のナタリー・ウッド、「裏窓」のグレース・ケリー、「ジャイアンツ」のエリザベス・テーラー、「ロード・オブ・ザ・リング」のリブ・タイラー「ジョー・ブラックをよろしく」のクレア・フォーラニ、それに・・・と、ぱっとでもこれだけすぐ出ますから限も無いですね。
あの映画での「誰々」美しかったなぁ!ということはざらですよね。
オードリー・ヘップバーンは優しく愛らしい美女でしたし、イングリッド・バーグマンは上品な美女でした、マリリン・モンローはもう何も言うことが無いチャーミングが歩いているという美女でした・・・というようなイメージが私にはあります。

そういう言い方をすれば「ニコール・キッドマン」は険があるけどプッツンと壊れてしまいそうな繊細な美女です。
なぜかきりりと眉をひそめた神経質そうなちょっと意地の悪そうな?美女です。
だから「めぐりあう時間たち」のニコールにはちょっと驚きましたけれど。
この作品の彼女はお世辞にも美しいとはいえませんでしたけれど、見ているだけで痛々しい感じは、美しく撮れている映画で受ける感じと同じでした。
神経質に見えるのも、時に意地悪そうに見えるのも、多分彼女の繊細な美しさの上にある目の異様なくらいの力強さのせいかもしれないなぁと感じます。
力強いのにもうきりきりのところまで来ていて、後は砕けるだけだぞっていう感じといえばいいのでしょうか。時々それが棘々みたいな?
どんな役をしていてもどこかにきりきりしていて精神が病む寸前みたいな壊れやすいぎりぎりの美しさが垣間見えるようです。痛々しいと感じさせる何かです。
例えば「遥かなる大地」みたいな強情っぱりの行動的な鼻っ柱の強い役をしていても、「ムーラン・ルージュ」の結核で倒れる役をしていても(全く違う役でしょう?)、それが透けて見えるような気がするのですよね。
実際のご本人はこれだけの仕事をする強い人なのでしょうに「誘う女」や「ステップフォード・ワイフ」や「奥様は魔女」のような様々な役をこなしていても、根っこのところに「アザーズ」で見せた一押しすると砕け散るぞ!というようなぴりぴり感が漂っていて、どこかにもろさが隠れているような印象があります。
それがミステリアスな雰囲気もかもし出していて、彼女の美しさを特徴付けているような気がします。
男じゃなくてもどきどきさせられますよね、こういう美しさって。
しかしこの女優さんは美しいだけではないんですね。素晴らしい演技力に裏打ちされていることもよく分かります。年を取るとどうなるのかなぁ・・・どういう役柄を選び取っていくのかなぁ・・・どういう役をさせたいと周りは思うのだろうかなぁ・・・などと勝手に心配しています。
もしも、もしも、彼女の細い絹の糸のような美しさが・・・と、思っただけでもう・・・
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余韻

映画についてのコラム 95 Comments »

忘れられない映画もあるし、様々な思い出と離れ難く結びついている映画もあるし、不意に意識下から浮かび上がって色々な事を考えさせる映画もある。
先日流しで洗い物をしていて、ふと手に小さな水の泡がいっぱい付いているのに気が付いた時、不意に甦ってきた映画がある。
その映画は私にとって忘れられない映画の一つ、印象の強かった映画の一つなのだが、その夜私はすっかり忘れていた事を思い出したのだ。
「なんであの映画がこんなにも心に残ったのか」という理由を。

映画はソ連の「ハムレット」1964年。

私は高校生。その時にただ1度見たきりの映画だ。
監督はグレゴリー・コージンツェフ
ハムレットはインノケンティ・スモクトウノフスキー
親友と二人で見に行った。
導入部で私はすっかり心を奪われた。
岸壁の上に立ったデンマークの城(撮影現場がそうだったとは思わないが、物語ではデンマークの城のはずだ)、その足元に波が押し寄せる。
岩にぶつかり飛沫となって飛び散る。
そのあと無数の泡が渦巻きながら波が引く。
その飛沫が永遠に続くのかと思えるくらい延々と続いていたようだ。
波が寄せてぶつかり飛び散ってしぶきが巻き上がる、波が引いて泡を残し、また波が寄せる、そして激しく飛び散る飛沫、そしてまた波が・・・
私は息を飲んでその飛び散る飛沫、残る泡の美しさに見入る。
オフェーリアを演じた女優の顔も、ハムレットのインノケンティの顔ももう覚えていないのに、その泡の様と友人が途中ただ一言ぼんやりと「なんて美しい足!」とつぶやいたことだけは今も忘れていない。
勿論オフェーリアではなくハムレットの足だ。

映画が終った後、私たちは無言で映画館を出て、私は冒頭の美しさを彼女に言いたいと思って口を開きかけた。
彼女は私がまだ何も言わない先に
「駄目!話さないで!何もいわないで、30分。」
私たちはそれっきり何も話さないで30分以上黙ってただ歩いていたと思う。
有楽町だっただろうか?
その間私は今見た波の様を繰り返し繰り返し反芻していたのではないかと思う。
多分「ハムレット」のドラマよりも。
後にも先にもあんなに長く一つの映画の一つの映像を思い続けたことは無い。
彼女はハムレットの足を?
結局彼女とはその後「ハムレット」について一言も話しあわなかった。
今でもたまに会うけれど「ハムレット」の話をそういえばしたこと無いなぁ。
彼女はあの映画の事を覚えているだろうか?
彼女が与えてくれた時間のおかげで私の中にあの「ハムレット」は永遠に住みついた様だ。
余韻の楽しみ方は色々だろうけれども、あの時彼女が言った
「何も言わないで!」は
最高の余韻の楽しみ方だったなぁ。

アンソニー・ホプキンス

俳優についてのコラム 1 Comment »

サァ、この俳優さんの何を語れるというのでしょう? 私に?
世の中にセクシーと言える男優さんは山のようにいます。
しぐさや表情や、つまり立ち居振る舞いや科白の表情でセクシーさを漂わせる人は山のように。
ジェームズ・ディーンは勿論あの表情で、アントニオ・バンデラスはその姿で、アル・パチーノはその目で、ガブリエル・バーンはそのスタイルで・・・あげれば限が無いというより、印象に残ったすべての俳優さんが、作品のどこかでふっと表現する魅力こそが「セクシー」だという気がしています。
ところがアンソニー・ホプキンスは全身がセクシーの塊なんです。私に言わせれば!
どこにいてもどんな役をしていてもそこに彼がいるとその場が匂いたつのです。
そんな気がする俳優さんです。
「日の名残」のひっそりとした執事役をしていても、「ジョー・ブラックをよろしく」の老いた愛情深い父親役をしていても、「アミスタッド」の老成したしたたかな元大統領?を演じていても、「アレキサンダー」の脇で地味にプトレマイオスを演じていても、一人の男性がセクシーにそこで輝きを放っているようなのです。
ですから「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」のような彼のエモーショナルな力量全開作品となると、もうめちゃめちゃに魅力的です。
すべての表情、すべての動作が完璧に引き寄せビームを発しているようで、怖いのに映画に没頭させられてしまいます。
知らずに彼が動いている世界に引き寄せられて臨場してしまう感じです。
私はつまり難破!という有様です。
おかしなことに彼の作品に吸い寄せられるくせに彼がセクシーだということに気が付いたのは、なんと・やっと「マスク・オブ・ゾロ」でした。
この作品を見て、剣を構えてたつ後姿・その背中の線に「あぁ、そうだったんだ。彼は真にセクシーなんだ!」と感嘆したのです。
セクシーさでアントニオを完璧に凌いでいたのです。
この方はどんなに老いても、銀幕に立ちさえすれば、それこそ「銀色に輝くセクシー!」を見せてくれるのではないかと思っています。
でも、まだ見ていない彼の沢山の作品があるので、私にとっては「これからが楽しみな!」俳優さんでもあるのです。
それに「高慢と偏見」の後でふとアンソニー・ホプキンスの寝てばかりいるのんきなエマの父親とコリン・ファースのナイトリーで「エマ」が実現しないかなぁ・・・と、思いました。
あんなのどかな老父役でもセクシーに出来るものか?って挑戦?
出来たりして・・・いや、出来ますって!
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映画を見に行く

映画についてのコラム 339 Comments »

頭が痛くなる母は行けなかったが、子供の頃は映画は家族の誰かと行くものだった。
ディズニー映画、記録物やファンタジーなどは父と二人の弟と揃って。
しかし父にはこだわりがあって、「ゴジラ」とかSF物等は男の子の見るもので、私は留守番。
(なぜか?いつの間にか?今じゃ!モスラの歌も歌えるのですが・・・)
ミュージカルはどうやら女の子の見るものらしくて父と二人で、弟は留守番。
(当然?トナイト歌えますぅ・・・)
健さんファンの父は健さんのものは任侠物も含めてこれは自分ひとりで。
父が子どもたちの見る映画をすべて決めて采配していた。
中学3年の頃からやっと友人と映画に行く許可が下りるようになって、それからは殆ど友人と見に行った。
だから私はあの暗がりでどんなにわくわくするか分かっていながらずうっと一人では映画館へ行けなかった。
誰かを誘うか、誰かに誘われるか。
だから誘われると行きたいと思っていなかった映画でも絶対に断らなかった。
映画を見るチャンスは一つでも多く得たかったから。
そして見た映画の事を誰かと直ぐ話し合いたかったから。
その私がやっと昨年ごろから一人で映画館へ出没できるようになった。
思えば長い道のりだったねぇ・・・と、自分であきれている。
レディスデーが出来て行きやすくなった事もあるけれど、父のように年とともに字幕に追いつかなくなることもあるという事を知ったせいもあるけれど(何時まで洋画見られるかな?)、自分が一つ頑固になったせいもあるかもしれないと、密かに思っている。
見たい映画にこだわる気持ちが強くなっていて、譲らなくなっている?のかも。
それに、誘って、見たい映画を探り合って、時間を打ち合わせて、という事を積み重ねるのが面倒になったのかもしれない。
一人で座席に腰を沈めて、上映を待つ間の時間をひっそり楽しむとか、終ったあとユックリ背中を伸ばしながら噛みしめる時間を喜ぶとか、・・・時間の貴重さの質が変わったのかもしれない。
いずれにしてもいい年をしてやっと私は一人で歩き始めた?映画に関しては。
これが他の事にも波及して行けばいいな!と、思い始めている。
年々色々な意味で映画も変わってきたけれど、見る人も年々歳々変わっていくのが当たり前?
人は年毎に成長もし?衰えもする!のだから、全部ひっくるめて自分の変化をも楽しまなくっちゃね!
・・・って、そんなオオゴトじゃないか!
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 「ドラキュラ」映画

映画についてのコラム No Comments »

忘れた頃にTVで放映したりすると、つい見ちゃうのが「ドラキュラ」「ヴアンパイア」映画。

1957年「吸血鬼ドラキュラ」テレンス・フィッシャー監督
1979年「ドラキュラ」ジョン・バダム監督
1992年「ドラキュラ」フランシス・フォード・コッポラ監督
1994年「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」ニール・ジョーダン監督

私の記憶に残っているのはこんなところですが、
「フランケンシュタイン」とか「狼男」とか、この手の映画なら、私は断然「ドラキュラ」
だって、ドラキュラ伯爵の物語と吸血鬼一族には、怖さの中に永遠のロマンと深い悲哀があるじゃないですか。
その意味では萩尾望都さんの「ポーの一族」って素晴らしい漫画がありましたよ。
他の怪物物はおぞましいだけみたいな?
でも「吸血鬼」は「怪物」ではなくて「運命」なんです。
殆どの「ドラキュラ」映画はプラム・ストーカーの原作を踏まえているようですが、私が「一番いいな!」と思ったのは1979年ジョン・ハダム監督、フランク・ランジェラのドラキュラにローレンス・オリビエのヴァン・ヘルシング教授という作品です。
「なんだ!」って言う向きも多いでしょうが、このオーソドックスさ!いいじゃないですか?
原作に忠実だというだけではなくて。
だって、結末は原作よりずっといい感じですもの。
そう、絶対にドラキュラは永遠じゃなくてはね。
それに何ていったって、フランク・ランジェラがドラキュラ役にぴったりはまっているんですもの。
彼が出ているのに気が付いた作品はそう多くは無くて、「ナインス・ゲート」と「ジュニア」位かしら?
彼はちょっとハンサムだけれど、どこか正統派のハンサムではなくて、どこか不気味な謎の紳士って感じかしら。
「ドラキュラはフランク・ランジェラで決まり!」って、この映画で勝手に私は決めました!
ゲーリー・オールドマンのドラキュラや、トム・クルーズの変に綺麗?なヴァンパイアや、折角のブラピが可哀相にと思えるヴァンパイアや、まぁ許せるアントニオ・バンデラスのヴァンパイアや、1957年からシリーズ8作以上?を数えるらしいクリストファー・リーのドラキュラ伯爵もあるけれど、なんと言ってもフランクでしょう。
(クリストファー・リーといえば「ロード・オブ・リング」のサルマンですよ。)
原作に忠実ということなら、また大作ということなら、多分1992年のフランシス・フォード・コッポラ監督、ゲーリー・オールドマンの「ドラキュラ」を挙げなくてはならないんだろうなとは思います。
なんていったってこの作品は物語の語り手はキアヌ・リーブスだし、ドラキュラの虜になるのはウィノナ・ライダーだしね。
配役に魅力があります。
ゲーリー・オールドマンは面白い俳優さんだと常々感心して見ている私だけれど(「フィフス・エレメント」や「レオン」の彼なんか忘れようったって忘れられないもの)、ドラキュラに関してはフランクに一歩譲らねばならないと思っています。
「ドラキュラ」には不気味さが必要ではあっても、それ以上に高貴な血筋を後ろに背負った美しさが無くてはならないのですから。
その点で圧倒的にフランクに分があります。
ブラピでヴァンパイアに目覚めた人、トム・クルーズで興味を持った人、まだフランクの吸血鬼を見ていない人に、一度彼のドラキュラを見てもらいたいなぁと思います。
そうしたら「きもかわいい!」なんて言葉吹っ飛んで消えると思うんだけどな。
フランクは「きも美しい!」んですよ?
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今年の日本アカデミー賞

映画についてのコラム 2 Comments »

「ALWAYS 三丁目の夕日」を圧倒的に印象付けて今年のアカデミー賞の発表が終りました。
小雪さんが残念でした。
あの若さと大柄さと日の出の勢いの女優さんに生活臭(それもかなりくたびれた、セピア色の)を求めるのはなかなか大きなハードルでしたよ。
でもあれが宮沢りえさんだったらひょっとしたら出せたかもしれないなと思ってあの映画見ていました。
女優として伸び盛りという点では甲乙付けられないところでしょうが(好き嫌いは別ですよ)、生き生きするフィールドが違うようです。
むしろ「ラストサムライ」の小雪さんの方が彼女の魅力を最大限に引き出されていたように思いました。
それに司会の鈴木京香さんの美しさといったらどうでしょう!
彼女の守備範囲の広さは今ぴか一かもと思っています。
それにしても楽しみな女優さんがいっぱいいるのは、今後に期待が持てて嬉しいですね。
予告編が大量に流れていた頃は今年のアカデミー賞総なめ?の印象さえあった??「北の零年」からは最優秀主演女優賞の吉永小百合さん一人が気を吐いたという感じですが、さてどうでしょう?
ご本人がおっしゃったように「代表として」というのもどうでしょう?
主演女優賞の顔ぶれを見た途端「ああ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ、決まりだ!」と、私は思っちゃいましたけれど。
それだけ彼女は日本の大女優です。
吉永さんの作品では映画ではありませんけれど「夢千代日記」が好きでした。
あの作品の中の彼女は本当にはかなく優しく消え入るような美しさで心の中に忍び込んでくるようでした。
「いつも、何時までもおきれいだわぁ!」と、感嘆しています。
でも女優賞となるとどうでしょう?
「千年の恋 ひかる源氏物語」の紫式部の彼女と「北の零年」の開拓者の妻の彼女とどこか違っていたでしょうか?
それに「北の零年」は吉永さんが力を振るうには余りに脚本が舌っ足らずでした。
「開拓と淡路島からの移民の何を描きたかったんだ!」と、馬に乗った母子を見た途端突っ込みたかったくらいでした。
「描かなければならないところを間違っただろ?」と、聞きたいくらいのものでした。
一番ドラマになるところをわざと選って切り落としたんじゃありませんかね?
ドラマにあまりにもがっかりしたので、この映画のことはアカデミー賞に出てくるまですっかり忘れていました。
で、「あぁ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ・・・」になった次第です。
私の中の女気は「大女優になって!汚れる時は汚れて!」と思い、
私の中の男気は「何時までもこのまま美しくいて!」と、思い・・・
どっちにしても応援しているのですけれど、今後どんな道を歩いていかれるのでしょうね。
実が生るのはこれからかもしれませんが。
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