バレエ映画

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「パリ、オペラ座のすべて」
「ベジャール、そしてバレエはつづく」

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昨年の年末、今年の年の初め、続けて渋谷まで映画を見に出かけました。バレエ漫画全盛の頃に?育ったせいか?漫画そのものはもう殆ど覚えていないのに・・・骨の髄の何処か隅っこに妙に中途半端なバレエ愛好気分がしみこんでいるらしい。
大昔、日生劇場でパリオペラ座の?白鳥の湖を見たのが唯一のプロの舞台という私ですが・・・踊りは日舞から洋舞・・・古典からモダン、なんでも・・・見るのは大好きです。踊っているのを見ていると・・・その躍動感に見も心もまさに天国に釣り上げられるのです。生まれ変わったらリバーダンスのダンサーなんてのもありか?いやいやミズスマシがせいぜい?
「フットルース」見てだって、「雨に唄えば」「バンドワゴン」見てだって・・・「ウエスト・サイド物語」なんか特別中の特別だけど。ミュージカルなら殆どステキ!ですけれど・・・というわけで当然!バレエなんて最高でしょう?
で、バレエの映画というとぱっと思い出せるのは・・・「赤い靴(1948)」「愛と悲しみのボレロ(1981)」「白夜(1985)」「リトルダンサー(2000)」「オーロラ(2006)」ですか・・・。
「赤い靴」なんて、私が生まれた年の映画です。一体何時頃見たものだか・・・それでも赤い靴で踊り続ける場面は忘れられませんもの!でもやっぱり圧巻は映画の冒頭だということもあるのでしょうが・・・ジョルジュ・ドンのボレロ!圧倒されます。ずーっとそこだけ繰り返し繰り返し見ていたいです。っていうかあの映画そのものはそんなに好きではありません。あの映画はあのボレロを見るためのものです。そのジョルジュ・ドンさんを「ベジャール・・・」でまた見ることが出来ました。
そして、あの「白夜」!「白夜」は、あの冒頭は、息を飲みました。本当に息していなかったんじゃないかなぁ・・・と、思います。ミハイル・バリシニコフの名は絶対忘れないだろうと思いました。私と同い年だし!この映画で衝撃を受けたので・・・やっと?他の映画にも出ているのを発見しました。「愛と喝采の日々(1977)」あぁ、これもバレエものでした。でも一番驚いたのはTVドラマ「SATC」でキャリーの恋人で出てきた時!でも、ま、あれは忘れよう。私にとってはあの冒頭の踊りだけで彼は永遠。あの映画はグレゴリー・ハインズのタップと共に忘れられないものになりました。
アダム・クーパーさんも名前だけ知っていたのが「リトルダンサー」で始めて見ることが出来ましたし、反対にニコラ・ル・リッシュさんは映画で見て始めて知りましたけれど、前のお二人同様多分このお二人の舞台も一生見ることも無いだろうと思いますね。
だからこそ?バレエ映画は捨てがたい、ありがたいものだと思って、また素晴らしいダンサーが素晴らしい場面をフィルムに刻んで欲しいなぁ・・・と、思うのです。
「パリ・オペラ座のすべて」と「ベジャール、そしてバレエはつづく」はだから、私にはありがたい映画でした。多分?私みたいなおばさんが結構あの満席の映画館にはいたんじゃないかなぁ?

映画館

映画についてのコラム 147 Comments »

師走の声を聞くと思い出すのが浅草の賑わいです。
子供の頃の楽しみは浅草の映画館街へ行くこと、観音様の様々な行事に出かけることでした。
あの頃の浅草ロックや仲見世は人とぶつからないでは歩けないほどの賑わいでした。
父が休みの日に出かけたのですから日曜だったのでしょうが、大人たちの間に埋もれて、大人の背中ばかりを見つめて、目の前が見えない状態で、それでもウキウキとスキップを刻みたいような気持ちで父の手にぶら下がって歩いていましたっけ。
色々な呼び込みの声も楽しく面白く、あの賑わいを越えるウキウキ感は今も無いと思いますね。
妙なエネルギーがありましたっけ。
それでもたまにロードショーなど日比谷有楽町界隈に出かけてゆきましたが、絶対浅草が一番の繁華街だと信じていました。
親とではなく映画館へ行くようになってからなぜか浅草で映画をみなくなりましたっけ。
それにもうその頃は浅草にはスキップをしたいような賑やかさはなくなっていました。
久しぶりで日曜にロックへ出かけて人と肩をすれあわさずに歩けることに気が付いて驚いた日の事を不思議なくらい鮮明に覚えています。紙くずと埃が木枯らしに吹かれて足元で渦を作っていましたっけ。
いつの間に浅草はあの賑わいを失っっていたのだろう?
でも今考えてみれば、私ですらその頃は浅草へ行くことが稀になっていたということですねぇ。
今、ヤフーで劇場を検索すると浅草で23館出てきます。
といっても、劇場そのものは、浅草新劇場、浅草中央、浅草名画座、の3つですか。
シネマメディアージュとか、シネマコンプレックスとか、ユナイテッドシネマとかシネマートとかいうもののように一館に幾つもの劇場が入っているようなものなのでしょうね?
しょうね?って、そうなんです。
40年以上も?浅草で映画見ていないんですね。
最後は「東京オリンピック」を学校から行列を作って出かけた時かしら?
一人で行くならなるべく家から近いところを目指しますし、友人と行くとなったら圧倒的に銀座界隈か新宿界隈です。
浅草に懐かしい愛着を持っている私ですら、浅草の賑わいに引かれることがなくなったことにこの師走気が付いて、(風邪引いて籠もっていたからですよ)妙に淋しくなりました。
つくばエクスプレスの駅が出来て賑やかさを取り戻せたのでしょうか?
25年ぶりに東京へ帰ってきて観音様へ初詣に行って、長すぎる行列にびっくりしましたが、その行列はおとなしくて昔のあの賑やかさから程遠い印象でした。
人は確かにいっぱい出ているのに・・・何が違うのでしょう?
友達と
「映画に行こう?」
「うん、じゃァ浅草で会おうか。」
「うん、浅草がいいね。」
なんて会話してみたいなぁ・・・
もみくちゃになっていたのにあの頃の浅草の賑わいははちっとも怖くなかったのに・・・
そういえば先日、真新しいユナイテッド・シネマでレディス・デーに「エラゴン」を見ました。413席の劇場に客は私を入れて9人でした。
つまり私以外は4組のカップルだけで・・・しかも一組は最後列のカップル席に埋もれていましたから、私一人の貸しきりかと思えました。
うーん、贅沢って?いやーそれが妙に侘しいものがありました。
「エルビス・オン・ステージ」を有楽町で立ち見でしかも潰されそうになって見た時が懐かしく思い出されました。あの人いきれと高揚感と!
映画を見るのに最適の環境と最高の気持ちって結構難しいですよ?
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余韻

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忘れられない映画もあるし、様々な思い出と離れ難く結びついている映画もあるし、不意に意識下から浮かび上がって色々な事を考えさせる映画もある。
先日流しで洗い物をしていて、ふと手に小さな水の泡がいっぱい付いているのに気が付いた時、不意に甦ってきた映画がある。
その映画は私にとって忘れられない映画の一つ、印象の強かった映画の一つなのだが、その夜私はすっかり忘れていた事を思い出したのだ。
「なんであの映画がこんなにも心に残ったのか」という理由を。

映画はソ連の「ハムレット」1964年。

私は高校生。その時にただ1度見たきりの映画だ。
監督はグレゴリー・コージンツェフ
ハムレットはインノケンティ・スモクトウノフスキー
親友と二人で見に行った。
導入部で私はすっかり心を奪われた。
岸壁の上に立ったデンマークの城(撮影現場がそうだったとは思わないが、物語ではデンマークの城のはずだ)、その足元に波が押し寄せる。
岩にぶつかり飛沫となって飛び散る。
そのあと無数の泡が渦巻きながら波が引く。
その飛沫が永遠に続くのかと思えるくらい延々と続いていたようだ。
波が寄せてぶつかり飛び散ってしぶきが巻き上がる、波が引いて泡を残し、また波が寄せる、そして激しく飛び散る飛沫、そしてまた波が・・・
私は息を飲んでその飛び散る飛沫、残る泡の美しさに見入る。
オフェーリアを演じた女優の顔も、ハムレットのインノケンティの顔ももう覚えていないのに、その泡の様と友人が途中ただ一言ぼんやりと「なんて美しい足!」とつぶやいたことだけは今も忘れていない。
勿論オフェーリアではなくハムレットの足だ。

映画が終った後、私たちは無言で映画館を出て、私は冒頭の美しさを彼女に言いたいと思って口を開きかけた。
彼女は私がまだ何も言わない先に
「駄目!話さないで!何もいわないで、30分。」
私たちはそれっきり何も話さないで30分以上黙ってただ歩いていたと思う。
有楽町だっただろうか?
その間私は今見た波の様を繰り返し繰り返し反芻していたのではないかと思う。
多分「ハムレット」のドラマよりも。
後にも先にもあんなに長く一つの映画の一つの映像を思い続けたことは無い。
彼女はハムレットの足を?
結局彼女とはその後「ハムレット」について一言も話しあわなかった。
今でもたまに会うけれど「ハムレット」の話をそういえばしたこと無いなぁ。
彼女はあの映画の事を覚えているだろうか?
彼女が与えてくれた時間のおかげで私の中にあの「ハムレット」は永遠に住みついた様だ。
余韻の楽しみ方は色々だろうけれども、あの時彼女が言った
「何も言わないで!」は
最高の余韻の楽しみ方だったなぁ。

映画を見に行く

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頭が痛くなる母は行けなかったが、子供の頃は映画は家族の誰かと行くものだった。
ディズニー映画、記録物やファンタジーなどは父と二人の弟と揃って。
しかし父にはこだわりがあって、「ゴジラ」とかSF物等は男の子の見るもので、私は留守番。
(なぜか?いつの間にか?今じゃ!モスラの歌も歌えるのですが・・・)
ミュージカルはどうやら女の子の見るものらしくて父と二人で、弟は留守番。
(当然?トナイト歌えますぅ・・・)
健さんファンの父は健さんのものは任侠物も含めてこれは自分ひとりで。
父が子どもたちの見る映画をすべて決めて采配していた。
中学3年の頃からやっと友人と映画に行く許可が下りるようになって、それからは殆ど友人と見に行った。
だから私はあの暗がりでどんなにわくわくするか分かっていながらずうっと一人では映画館へ行けなかった。
誰かを誘うか、誰かに誘われるか。
だから誘われると行きたいと思っていなかった映画でも絶対に断らなかった。
映画を見るチャンスは一つでも多く得たかったから。
そして見た映画の事を誰かと直ぐ話し合いたかったから。
その私がやっと昨年ごろから一人で映画館へ出没できるようになった。
思えば長い道のりだったねぇ・・・と、自分であきれている。
レディスデーが出来て行きやすくなった事もあるけれど、父のように年とともに字幕に追いつかなくなることもあるという事を知ったせいもあるけれど(何時まで洋画見られるかな?)、自分が一つ頑固になったせいもあるかもしれないと、密かに思っている。
見たい映画にこだわる気持ちが強くなっていて、譲らなくなっている?のかも。
それに、誘って、見たい映画を探り合って、時間を打ち合わせて、という事を積み重ねるのが面倒になったのかもしれない。
一人で座席に腰を沈めて、上映を待つ間の時間をひっそり楽しむとか、終ったあとユックリ背中を伸ばしながら噛みしめる時間を喜ぶとか、・・・時間の貴重さの質が変わったのかもしれない。
いずれにしてもいい年をしてやっと私は一人で歩き始めた?映画に関しては。
これが他の事にも波及して行けばいいな!と、思い始めている。
年々色々な意味で映画も変わってきたけれど、見る人も年々歳々変わっていくのが当たり前?
人は年毎に成長もし?衰えもする!のだから、全部ひっくるめて自分の変化をも楽しまなくっちゃね!
・・・って、そんなオオゴトじゃないか!
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 「ドラキュラ」映画

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忘れた頃にTVで放映したりすると、つい見ちゃうのが「ドラキュラ」「ヴアンパイア」映画。

1957年「吸血鬼ドラキュラ」テレンス・フィッシャー監督
1979年「ドラキュラ」ジョン・バダム監督
1992年「ドラキュラ」フランシス・フォード・コッポラ監督
1994年「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」ニール・ジョーダン監督

私の記憶に残っているのはこんなところですが、
「フランケンシュタイン」とか「狼男」とか、この手の映画なら、私は断然「ドラキュラ」
だって、ドラキュラ伯爵の物語と吸血鬼一族には、怖さの中に永遠のロマンと深い悲哀があるじゃないですか。
その意味では萩尾望都さんの「ポーの一族」って素晴らしい漫画がありましたよ。
他の怪物物はおぞましいだけみたいな?
でも「吸血鬼」は「怪物」ではなくて「運命」なんです。
殆どの「ドラキュラ」映画はプラム・ストーカーの原作を踏まえているようですが、私が「一番いいな!」と思ったのは1979年ジョン・ハダム監督、フランク・ランジェラのドラキュラにローレンス・オリビエのヴァン・ヘルシング教授という作品です。
「なんだ!」って言う向きも多いでしょうが、このオーソドックスさ!いいじゃないですか?
原作に忠実だというだけではなくて。
だって、結末は原作よりずっといい感じですもの。
そう、絶対にドラキュラは永遠じゃなくてはね。
それに何ていったって、フランク・ランジェラがドラキュラ役にぴったりはまっているんですもの。
彼が出ているのに気が付いた作品はそう多くは無くて、「ナインス・ゲート」と「ジュニア」位かしら?
彼はちょっとハンサムだけれど、どこか正統派のハンサムではなくて、どこか不気味な謎の紳士って感じかしら。
「ドラキュラはフランク・ランジェラで決まり!」って、この映画で勝手に私は決めました!
ゲーリー・オールドマンのドラキュラや、トム・クルーズの変に綺麗?なヴァンパイアや、折角のブラピが可哀相にと思えるヴァンパイアや、まぁ許せるアントニオ・バンデラスのヴァンパイアや、1957年からシリーズ8作以上?を数えるらしいクリストファー・リーのドラキュラ伯爵もあるけれど、なんと言ってもフランクでしょう。
(クリストファー・リーといえば「ロード・オブ・リング」のサルマンですよ。)
原作に忠実ということなら、また大作ということなら、多分1992年のフランシス・フォード・コッポラ監督、ゲーリー・オールドマンの「ドラキュラ」を挙げなくてはならないんだろうなとは思います。
なんていったってこの作品は物語の語り手はキアヌ・リーブスだし、ドラキュラの虜になるのはウィノナ・ライダーだしね。
配役に魅力があります。
ゲーリー・オールドマンは面白い俳優さんだと常々感心して見ている私だけれど(「フィフス・エレメント」や「レオン」の彼なんか忘れようったって忘れられないもの)、ドラキュラに関してはフランクに一歩譲らねばならないと思っています。
「ドラキュラ」には不気味さが必要ではあっても、それ以上に高貴な血筋を後ろに背負った美しさが無くてはならないのですから。
その点で圧倒的にフランクに分があります。
ブラピでヴァンパイアに目覚めた人、トム・クルーズで興味を持った人、まだフランクの吸血鬼を見ていない人に、一度彼のドラキュラを見てもらいたいなぁと思います。
そうしたら「きもかわいい!」なんて言葉吹っ飛んで消えると思うんだけどな。
フランクは「きも美しい!」んですよ?
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今年の日本アカデミー賞

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「ALWAYS 三丁目の夕日」を圧倒的に印象付けて今年のアカデミー賞の発表が終りました。
小雪さんが残念でした。
あの若さと大柄さと日の出の勢いの女優さんに生活臭(それもかなりくたびれた、セピア色の)を求めるのはなかなか大きなハードルでしたよ。
でもあれが宮沢りえさんだったらひょっとしたら出せたかもしれないなと思ってあの映画見ていました。
女優として伸び盛りという点では甲乙付けられないところでしょうが(好き嫌いは別ですよ)、生き生きするフィールドが違うようです。
むしろ「ラストサムライ」の小雪さんの方が彼女の魅力を最大限に引き出されていたように思いました。
それに司会の鈴木京香さんの美しさといったらどうでしょう!
彼女の守備範囲の広さは今ぴか一かもと思っています。
それにしても楽しみな女優さんがいっぱいいるのは、今後に期待が持てて嬉しいですね。
予告編が大量に流れていた頃は今年のアカデミー賞総なめ?の印象さえあった??「北の零年」からは最優秀主演女優賞の吉永小百合さん一人が気を吐いたという感じですが、さてどうでしょう?
ご本人がおっしゃったように「代表として」というのもどうでしょう?
主演女優賞の顔ぶれを見た途端「ああ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ、決まりだ!」と、私は思っちゃいましたけれど。
それだけ彼女は日本の大女優です。
吉永さんの作品では映画ではありませんけれど「夢千代日記」が好きでした。
あの作品の中の彼女は本当にはかなく優しく消え入るような美しさで心の中に忍び込んでくるようでした。
「いつも、何時までもおきれいだわぁ!」と、感嘆しています。
でも女優賞となるとどうでしょう?
「千年の恋 ひかる源氏物語」の紫式部の彼女と「北の零年」の開拓者の妻の彼女とどこか違っていたでしょうか?
それに「北の零年」は吉永さんが力を振るうには余りに脚本が舌っ足らずでした。
「開拓と淡路島からの移民の何を描きたかったんだ!」と、馬に乗った母子を見た途端突っ込みたかったくらいでした。
「描かなければならないところを間違っただろ?」と、聞きたいくらいのものでした。
一番ドラマになるところをわざと選って切り落としたんじゃありませんかね?
ドラマにあまりにもがっかりしたので、この映画のことはアカデミー賞に出てくるまですっかり忘れていました。
で、「あぁ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ・・・」になった次第です。
私の中の女気は「大女優になって!汚れる時は汚れて!」と思い、
私の中の男気は「何時までもこのまま美しくいて!」と、思い・・・
どっちにしても応援しているのですけれど、今後どんな道を歩いていかれるのでしょうね。
実が生るのはこれからかもしれませんが。
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最近の邦画

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私を洋画ファンにした私の父が80歳を過ぎてから、目が字幕に追いついていかなくなったと言う理由で、邦画一辺倒に180度の転換をしました。
「夢追い人」と言う気分に安住できると言う意味で?洋画一辺倒だった私が、その父のお供というか安全杖?と言う立場で、邦画を付き合うようになって五年経ちました。
そしてこの5年間にこれまでの私の人生45年間に見た邦画を凌ぐ数の邦画を見てしまいました。
そして不思議なことに洋画を見るのとは随分違った意味で邦画を楽しんでいる自分に気が付きました。
思っていた以上に楽しめているのです。
思い込んでいた以上に「質がいい!」と言ったら随分失礼ですね。
でも本当にいい感動や、いい楽しみや、いい夢を貰って満足して帰ってくる自分に気が付いています。
最初は親孝行のつもりで、字幕についていけなくなったと嘆いている父が邦画にしてまでも映画をまだ楽しみたいと思っているということに驚きながら、付いて行っているだけだったのにです。
今では「あれ見てみない?」と私から誘っている始末?です。
素敵な脚本を書く人も、不思議なセンスとこだわりを見せる監督さんも、画面の中で輝く俳優さんも、様々な技術でも、かけるお金が少なくとも、魅せてくれる映画が本当に多くなっているんです。
で、気が付いたら洋画・邦画と区別して考えていない自分が居たという訳です。
この数年間に父が是非見たいと言った洋画は「ストレイト・ストーリー」だけでした。
寡黙なこの映画は言葉以上に共感するものをいっぱい持っていたと見えて、
「こんな邦画が見たいものだ。センスがいい!」
などと言っていたものでしたが、その科白を最近は二人で邦画にも言っています。
「ALWAYS 三丁目の夕日」と「博士の愛した数式」にです。
あぁ、あと「父と暮らせば」という映画もありましたね。
本当にセンスのいい映画でした。
純君の時から見ていた吉岡秀隆さんを父は非常に評価していて(隠れたる?大ファンと言ってもいいでしょう)彼の成長を心から喜んで見て、それも映画の一つの楽しみになっているようです。
「吉岡君の次回の作品はどんなのだろう?」とね。
「彼は『海は見ていた』の頼りない役も実に上手かった!」とか「『雨あがる』の軽い武士役も味が良かった!」とか言って。
こんなわけで、幾つになっても楽しみを与えてくれる映画に私は感謝しているのです。
もう一言
高倉健さんの映画も外さない父の為に健さんの末永い健闘も祈っています。
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映画への馴れ初め

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父は仕事帰りや休みの日によく一人で映画を見に行っていた。
わたしの子供の頃。
母に「なんでお母さんは一緒に行かないの?」
と尋ねたことがある。
連れて行ってくれるものなら、絶対私だったら付いて行くのにと思っていたから。
母の答えは簡単だった。
「あの暗いところに入ってちかちかする画面を見ていると直ぐに頭が痛くなるのよ。」
その母は偏頭痛もちで、私もしっかりその遺伝子を持っているのに、私の偏頭痛はむしろ映画館で治る。
「?」
いつも一人で映画に行く父が一度大学生になって上京した私の従姉を連れて映画に行ってしまったことがある。
オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」だ。
従姉にどんなに嫉妬し、羨ましさに歯噛みしたことか。
今みたいにしょっちゅうTVで映画を見られるわけではないのだから。
「ローマ」「王女」女の子を魅了するキーワード!
あれからの数年間はオードリーが日本中に溢れていたような気が今でも残っているのは、その羨ましさのせいかもしれない。
ヘプバーン・カットにし、ヘプバーン・サンダルを履き、サブリナ・パンツが流行ったあの頃!
映画はストーリーよりも映像よりもまずスターだったような気がする。
「私も!私も!私も!」と纏わり付く私に父は
「お前はもう少し大きくなったらね。」
1953年、「ローマの休日」大ヒット!
私は今考えるとまだ5歳だった!
女の子恐るべし?
その父が初めて連れて行ってくれた映画が「ウエスト・サイド物語」(1961)年だった。
いや始めてというのはちょっと違う。
「ウエスト・サイド物語」が余りに素晴らしくて、それまで見ていたものすべてをひっくり返すほどの衝撃を受けたから、そう思っているのかもしれない。
その前に私は父にディズニー映画は殆どすべて連れて行ってもらっているはずだ。
しかし「ウエスト・サイド物語」を見てしまった私にはディズニーは映画というものとは思えなくなってしまったのかもしれない。
「アニメーション」だけでなく「白い大陸」などの記録映画も私にとっては「映画」とまた別の範疇に入ってしまったのだ。
勿論このディズニーは今のディズニーとは違う。
「ウエスト・サイド物語」の上映が終った瞬間が私の「ロマンス」と「スター」があってこそ映画!になった瞬間だったのかもしれない。
それから、かなりの映画を見た。
そして映画というものへの思いも変わった。
でも連れて行ってもらえなかった映画への渇望が私の映画への入り口になってしまったことは確かなようだ。
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映画という世界

映画についてのコラム 141 Comments »

息子夫婦が遅めの夏休みを9月の終わりに取って、ハリウッドへ行くと言う。
「ハリウッド!」
憧れの都の一つだけれど、私は決して行きたいとは思わない。
好きになり方にはいろいろあって、その表現も色々あると私は思っている。
そして私は「舞台裏を見たい!」というタイプの映画好き人間ではないのだ。
アジア映画はそんなに好きではないし、邦画も余り見ないのは、
決して欧米崇拝主義者だからではなく、目の色や皮膚の色が完璧に私と違う人たちの物語の方が夢世界に入り込みやすいからなのだ。
映画は私の夢であり、ロマンであり、異次元なのだ。
あぁ、ハリウッド!
夢を紡ぎだしてくれる源の大きな一つではあっても、そこに蠢き、生きているものには用は無い。
勿論スターには憧れる。
「なんて上手に私を異世界に誘いこんでくれるのだろう!」
という驚嘆があるから。
勿論監督にも憧れる。
「なんて上手に異世界を構築するのだろう!」
という感歎があるから。
映画の中で生きるすべての人物に私は感謝している。
「なんて上手にあなた方は異世界を紡ぎだしてくれるのだろう!」
ロマンスであれ、
冒険であれ、
SFであれ、
ハードなノンフィクションであれ、
ナンセンスであれ・・・
私の住む日常では知るよしも無く、住むよしも無い、
そんな世界を繰り広げてくれるなら、
私は大体において歓迎の手を差し伸べて、味わう。
「ジョニー・デップの手形を写真に撮ってきてあげるね。
ブラッド・ピットのも欲しい?」と、彼らは聞く。
「勿論!」と私は答える。
私は彼らの映画をなるべく多く見たいと思っている。
彼らは私を魅了する。
でも、「ピーター・オトゥールの手形があるか探してね。」
と私は付け加えた。
「なに、それ?」
「それ?」
彼はもうこの世代では「人ですらないのか?」と私はがっかりする。
未だに彼は見ようとすれば画面の中で生き生きと生きているし、
現実に生きているのに。
でも私はおとなしく答える。
「「トロイ」見たんでしょ?プリアモスをしていた俳優よ。」
「プリアモスって、誰だっけ?」
「パリスをやったオーランド・ブルームの父王役。綺麗な銀髪の青い目の上品な哀れな王。いたでしょ?」
「あぁ、あれ。あの人そういう名前?」
そうだろうな。
フレッド・アステァやクラーク・ゲーブル、ジョセフ・コットンやひょっとしたらスティーブ・マックィーンも、
もっとひょっとしたら?ジェームズ・ディーンでさえも
「誰?それ?」になるのだろう。
最近「夫婦50割引」で映画を見始めて、映画に興味が出てきたという私の友人が
「ねぇ、TVで見たけれどフレッド・アステァだっけ?しなびたおじいちゃんが踊ってて、スターだって言われてたけれど、何であんな貧相な人がスターだったの?」
と聞いて私を絶句させた。
「ひ・ひ・貧相?」「!」
で、つらつら考えた。
そうか、今初めて彼を見たからそう見えるんだ。
時代だね。
「子どもの時にリアルタイム?でもないけれど見ていた私にはあの踊りは夢のようだったからね。あの背景もあの時には素晴らしいと思ってみていて、楽しく笑ったものよ。多分その違いなんだろうね。私には今でも彼はスターだもの。踊り、歌い、輝いていたよ!」
かくして時代は移り人は代わる。
しかし心に一度スターとして住み着いた者は永遠にスターとして輝き続ける!
そういうわけで私はピーターの演じた銀幕のすべての人物に魅了されているけれど、彼に会いに海を越えようとは思わないし、
ジョニーの演じた殆どの役柄を楽しんでいるけれど、彼が来日したからといって空港に駆けつけたりはしない。
私は架空の世界だけを「永遠に憧れ続けるだけ」のおっくうがりの恋人なのだ。
そんな私の「映画紹介」
あなたの役にたつといいけど?
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