頭が痛くなる母は行けなかったが、子供の頃は映画は家族の誰かと行くものだった。
ディズニー映画、記録物やファンタジーなどは父と二人の弟と揃って。
しかし父にはこだわりがあって、「ゴジラ」とかSF物等は男の子の見るもので、私は留守番。
(なぜか?いつの間にか?今じゃ!モスラの歌も歌えるのですが・・・)
ミュージカルはどうやら女の子の見るものらしくて父と二人で、弟は留守番。
(当然?トナイト歌えますぅ・・・)
健さんファンの父は健さんのものは任侠物も含めてこれは自分ひとりで。
父が子どもたちの見る映画をすべて決めて采配していた。
中学3年の頃からやっと友人と映画に行く許可が下りるようになって、それからは殆ど友人と見に行った。
だから私はあの暗がりでどんなにわくわくするか分かっていながらずうっと一人では映画館へ行けなかった。
誰かを誘うか、誰かに誘われるか。
だから誘われると行きたいと思っていなかった映画でも絶対に断らなかった。
映画を見るチャンスは一つでも多く得たかったから。
そして見た映画の事を誰かと直ぐ話し合いたかったから。
その私がやっと昨年ごろから一人で映画館へ出没できるようになった。
思えば長い道のりだったねぇ・・・と、自分であきれている。
レディスデーが出来て行きやすくなった事もあるけれど、父のように年とともに字幕に追いつかなくなることもあるという事を知ったせいもあるけれど(何時まで洋画見られるかな?)、自分が一つ頑固になったせいもあるかもしれないと、密かに思っている。
見たい映画にこだわる気持ちが強くなっていて、譲らなくなっている?のかも。
それに、誘って、見たい映画を探り合って、時間を打ち合わせて、という事を積み重ねるのが面倒になったのかもしれない。
一人で座席に腰を沈めて、上映を待つ間の時間をひっそり楽しむとか、終ったあとユックリ背中を伸ばしながら噛みしめる時間を喜ぶとか、・・・時間の貴重さの質が変わったのかもしれない。
いずれにしてもいい年をしてやっと私は一人で歩き始めた?映画に関しては。
これが他の事にも波及して行けばいいな!と、思い始めている。
年々色々な意味で映画も変わってきたけれど、見る人も年々歳々変わっていくのが当たり前?
人は年毎に成長もし?衰えもする!のだから、全部ひっくるめて自分の変化をも楽しまなくっちゃね!
・・・って、そんなオオゴトじゃないか!