クリント・イーストウッド

俳優についてのコラム 239 Comments »

こんなに書くことがいっぱいある俳優さんて他に居るでしょうか?
私にとってピーター・オトゥルが見果てぬ夢だとすればクリント・イーストウッドは身近な夢です。
何しろ作品がいっぱいあって、「見たいなぁ!」と思う前に何かしらTVで放映されます。
新作もちゃんと程よいピッチで来ますしね。
ピーターはなかなか見られませんからいつも彼の作品に飢えている状態ですが、クリントは多彩に活動していて何度でも見ることが出来るという安心感があります。
大体子供の時から彼は私の憧れで、しかも身近に居るという感じです。
「ローハイド」なんて、もう死ぬまでお目にかかれないと諦めていたのにどうです?
衛星第二の再放送で見れちゃった!なんて嬉しいことでしょう。
子供の頃の茶の間とTVを懐かしく思い出しました。
クリントのなんと若くて颯爽としていて真面目で初々しかったことか!
その後もマカロニウエスタン・ダーティ・ハリーシリーズと、彼が演じれば見られる物はたいていは見ました。
「荒野の用心棒」など、マカロニウエスタンの音楽のなんと胸をときめかしたことか!
ゾクゾクしながら見ましたよねぇ。細めた目、口の端の葉巻、ぼそっと一言、思い出してもカッコイイ。
カウボーイ物とハリー・キャラハン以外では、ざっと思いつくだけでも「ミリオンダラー・ベイビー」「許されざるもの」「スペース・カウボーイ」「アルカトラズからの脱出」「目撃」「ザ・シークレット・サービス」「トルゥ・クライム」「マディソン郡の橋」「パーフェクト・ワールド」「ルーキー」「タイト・ロープ」「ガントレッド」「白い肌の異常な夜」・・・
何で惹かれたんだろうなぁー・・・子供の頃には「背が高くて、金髪で、ハンサム」なんて人そう見ることは無かったからかもなぁ・・・珍しかったのかも。
見た全部の作品について書くなんて大それたことはできないから、それに「ダーティ・ハリー」が何で好きなのか自分でも分からないから(だって、友人で好きな人誰も居ないのよ。皆人殺しで暴力的で、何であんなの見るのさっていう人ばかり)、書けない気がするし。
「ローハイド」で「フェーバーさん」なんて言っていた穏やかな彼よりも、彼には歯を食いしばったような苦い顔が良く似合って、その顔がなんとも好きなんだなぁ!
大本はハリーの顔よ。
こっちも年を取ったからかもね?
年を取っていくのを見てもそれが全然悲しくない人だわって思っています。
ロバート・レッドフォードなんかは最近見るのが辛いような気がしてしまうのに。
で、そういう顔が生きている彼の作品がやっぱり好きなんです!
だからそういう意味で好きなのを挙げろって言われたら(勿論、ハリーは抜いて)、まずは
「スペース・カウボーイ」あの顔と会話がなんともいえない!もう笑えて笑えて、ホント全く、どうしようもなくしょうがないんだから・・・と言いながら「可愛いおじいちゃんたちだなぁ!」って、マーシャ・ゲイ・ハーデンのように顔を振りながら暖かく見つめちゃう。
この作品は彼だけが好きというよりあの4人のおじいちゃんのハーモニーが好きなんだとは思いますけれどね。トミー・リー・ジョーンズとの遣り取り秀逸でしょ?素敵なお伽噺だわ!
この作品でも、「許されざる者」でも、「ミリオンダラー・べイビー」でも私だったら男優賞あげちゃうのに!って、思っています。ええ本気で!絶対!
「ザ・シークレット・サービス」も好きだなぁ。この映画の場合もジョン・マルコビッチとの競演の面白さが際立っていたように思うのよね。年齢に鞭打っているところ・・・そういう時の彼の顔・・・いやぁなんとも格好いいんです。
ほら、車について走っていくときの辛そうな顔!
顔が年と共に鶴のようにそそけてゆくのに体格が際立っていて、スックと立っているところ(一寸背中に年が出ている感じ)が又なんとも言えず哀愁を感じていいんです。
しわだってしみだって全部ひっくるめて渋さがいいのですよ。
う~ん・・・なんか一緒に歩いてきたような懐かしさを感じちゃうんでしょうねぇ。
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気になる二人?

俳優についてのコラム, 映画タイトルINDEX : カ行 33 Comments »

ケビン・ベーコン
ジョナサン・リス=マイヤーズ

「えぇーこの二人同じ枠でいいのぉ?」
って声が聞こえそうですが、私自身何でこの二人を急に書きたくなったのかよく分からないんですけれど・・・(アハハ?)先日新聞に広告が出て、ジョナサン・リス=マイヤーズの映画がこの秋公開されると読んだ途端ふとケビンを思い出したんです。
ジョナサン・リス=マイヤーズの映画ってまだ、3本しか見ていないんです。
「ベルベッド・ゴールドマイン」「ベッカムに恋して」「M:I:Ⅲ」
「ベルベッド」の彼は一寸忘れられないのです。不気味でもあり、魅惑的でもあり、異様な磁力を発していましたが、その一方でみっともない子だとも思いましたね。
そして「ベッカム」ではなかなか気持ちの良い青年を等身大で演じていたという感じでしたが、それでも正直なんてみっともない青年だろうと確認しちゃいました。
それは丁度ケビン・ベーコンが「フット・ルース」でブレイクした時にも、何でこんなみっともない子が主役のこんな魅力的な少年を演じさせてもらえたんだろう・・・?と、思った事を思い出させたからかもしれません。
随分年は違いますが、印象に残りかたが同じだったのです。
どちらも初めて出会った作品が方向はまるで違ってもどちらも音楽ものでしたしね。
そしてケビンが凄い性格俳優になっていったような感じにジョナサンも進化しているという気がするのです。
「フット・ルース」の後ケビンにめぐり合ったのは十年近くもたった「ア・フュウ・グッドメン」と「激流」でしたから、ホント驚きました。
少年の面影は拭い去ったように消えて精悍な役、悪役を見事に演じる俳優さんになっていましたから。それからはコンスタントに彼を銀幕で楽しんでいます。
「スリーパーズ」なんかこんな悪役をよくまぁ・・・こんなに悪く・・・?と思ったりもしますが(余りに上手すぎですよ)、「アポロ13」の彼は好きでしたね。
でも、どの作品でも彼は微妙な複雑さを織り込む一筋縄ではいかない演技をするなぁ・・・という感じがして、微妙に?私には目が離せない俳優さんなんです。
大好き!って言うわけでは無いのですけれど(だって私は面食いなんですよ?)、彼が出ているとその作品にはちゃんと厚みがでるだろうな、という信頼がおけるとでも言いますか。
そしてジョナサンもです。居るだけでそこが確かになるという気分を与える俳優さんになりそうだなぁと。
だから普段「彼の作品来ないかなぁ・・・」と、意識して待っているわけでもないのに、新作の予告にケビンやジョナサンの名前を見つけると「お、ちゃんと活躍しているな?」と応援団みたいにほっとしてしまうんですね。
ケビンは今度はどんな役柄をどんな風に見せてくれるんでしょう?
「秘密のかけら」コリン・ファースと共演しているんですよ。
早く行かなくちゃと、心はせいているのに・・・忙しい!でも行くぞ!
ジョナサンは「マッチポイント」ではスカーレット・ヨハンソンと共演の主役らしいですから、秋を楽しみにしていましょうかね。
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ニコール・キッドマン

俳優についてのコラム 351 Comments »

銀幕で美女といったら文句無く私にとっては「オードリー・ヘップバーン」「イングリッド・バーグマン」「マリリン・モンロー」に続いて最近「ニコール・キッドマン」です。

勿論美女はあまた居ます。
「バンド・ワゴン」のシド・チャリシー、「風とともに去りぬ」のビビアン・リー、「ウエストサイド・ストーリー」のナタリー・ウッド、「裏窓」のグレース・ケリー、「ジャイアンツ」のエリザベス・テーラー、「ロード・オブ・ザ・リング」のリブ・タイラー「ジョー・ブラックをよろしく」のクレア・フォーラニ、それに・・・と、ぱっとでもこれだけすぐ出ますから限も無いですね。
あの映画での「誰々」美しかったなぁ!ということはざらですよね。
オードリー・ヘップバーンは優しく愛らしい美女でしたし、イングリッド・バーグマンは上品な美女でした、マリリン・モンローはもう何も言うことが無いチャーミングが歩いているという美女でした・・・というようなイメージが私にはあります。

そういう言い方をすれば「ニコール・キッドマン」は険があるけどプッツンと壊れてしまいそうな繊細な美女です。
なぜかきりりと眉をひそめた神経質そうなちょっと意地の悪そうな?美女です。
だから「めぐりあう時間たち」のニコールにはちょっと驚きましたけれど。
この作品の彼女はお世辞にも美しいとはいえませんでしたけれど、見ているだけで痛々しい感じは、美しく撮れている映画で受ける感じと同じでした。
神経質に見えるのも、時に意地悪そうに見えるのも、多分彼女の繊細な美しさの上にある目の異様なくらいの力強さのせいかもしれないなぁと感じます。
力強いのにもうきりきりのところまで来ていて、後は砕けるだけだぞっていう感じといえばいいのでしょうか。時々それが棘々みたいな?
どんな役をしていてもどこかにきりきりしていて精神が病む寸前みたいな壊れやすいぎりぎりの美しさが垣間見えるようです。痛々しいと感じさせる何かです。
例えば「遥かなる大地」みたいな強情っぱりの行動的な鼻っ柱の強い役をしていても、「ムーラン・ルージュ」の結核で倒れる役をしていても(全く違う役でしょう?)、それが透けて見えるような気がするのですよね。
実際のご本人はこれだけの仕事をする強い人なのでしょうに「誘う女」や「ステップフォード・ワイフ」や「奥様は魔女」のような様々な役をこなしていても、根っこのところに「アザーズ」で見せた一押しすると砕け散るぞ!というようなぴりぴり感が漂っていて、どこかにもろさが隠れているような印象があります。
それがミステリアスな雰囲気もかもし出していて、彼女の美しさを特徴付けているような気がします。
男じゃなくてもどきどきさせられますよね、こういう美しさって。
しかしこの女優さんは美しいだけではないんですね。素晴らしい演技力に裏打ちされていることもよく分かります。年を取るとどうなるのかなぁ・・・どういう役柄を選び取っていくのかなぁ・・・どういう役をさせたいと周りは思うのだろうかなぁ・・・などと勝手に心配しています。
もしも、もしも、彼女の細い絹の糸のような美しさが・・・と、思っただけでもう・・・
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アンソニー・ホプキンス

俳優についてのコラム 1 Comment »

サァ、この俳優さんの何を語れるというのでしょう? 私に?
世の中にセクシーと言える男優さんは山のようにいます。
しぐさや表情や、つまり立ち居振る舞いや科白の表情でセクシーさを漂わせる人は山のように。
ジェームズ・ディーンは勿論あの表情で、アントニオ・バンデラスはその姿で、アル・パチーノはその目で、ガブリエル・バーンはそのスタイルで・・・あげれば限が無いというより、印象に残ったすべての俳優さんが、作品のどこかでふっと表現する魅力こそが「セクシー」だという気がしています。
ところがアンソニー・ホプキンスは全身がセクシーの塊なんです。私に言わせれば!
どこにいてもどんな役をしていてもそこに彼がいるとその場が匂いたつのです。
そんな気がする俳優さんです。
「日の名残」のひっそりとした執事役をしていても、「ジョー・ブラックをよろしく」の老いた愛情深い父親役をしていても、「アミスタッド」の老成したしたたかな元大統領?を演じていても、「アレキサンダー」の脇で地味にプトレマイオスを演じていても、一人の男性がセクシーにそこで輝きを放っているようなのです。
ですから「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」のような彼のエモーショナルな力量全開作品となると、もうめちゃめちゃに魅力的です。
すべての表情、すべての動作が完璧に引き寄せビームを発しているようで、怖いのに映画に没頭させられてしまいます。
知らずに彼が動いている世界に引き寄せられて臨場してしまう感じです。
私はつまり難破!という有様です。
おかしなことに彼の作品に吸い寄せられるくせに彼がセクシーだということに気が付いたのは、なんと・やっと「マスク・オブ・ゾロ」でした。
この作品を見て、剣を構えてたつ後姿・その背中の線に「あぁ、そうだったんだ。彼は真にセクシーなんだ!」と感嘆したのです。
セクシーさでアントニオを完璧に凌いでいたのです。
この方はどんなに老いても、銀幕に立ちさえすれば、それこそ「銀色に輝くセクシー!」を見せてくれるのではないかと思っています。
でも、まだ見ていない彼の沢山の作品があるので、私にとっては「これからが楽しみな!」俳優さんでもあるのです。
それに「高慢と偏見」の後でふとアンソニー・ホプキンスの寝てばかりいるのんきなエマの父親とコリン・ファースのナイトリーで「エマ」が実現しないかなぁ・・・と、思いました。
あんなのどかな老父役でもセクシーに出来るものか?って挑戦?
出来たりして・・・いや、出来ますって!
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ヴィゴ・モーテンセン

俳優についてのコラム 337 Comments »

彼と言えば「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001・2002・2003年)につきます。
以前に「G.I.ジェーン」1997年、「ダイヤルM」1998年に出演していたことには気が付いていました。
でも、特に気を惹かれる俳優さんではありませんでした。
特に「ダイヤルM」などでは、「芸術家の魅力がある。」ということにしてもグィネス・パストロウが浮気に走るほどの魅力は私には見出せませんでした。
「えー、こんな男に惹かれるかなぁ?」
でも「G・I・ジェーン」ではオヤ?っと思ったのでした。
「目にちょっと魅力があるおじさんだぞ!」ええ、目が生き生き銀色に輝いている感じがありましたね。
でも、「なかなか軍人さんらしい良い味を出しているな!」ぐらいでした。
「ロード・オブ・リング」のアラゴルンが「G.I.ジェーン」のあの軍人だとは最初気が付きませんでした。
全く別人でした!と言うかあの役柄がそう見せていたのですよね。
額にわかめのようにもつれてかぶさり風になびく髪。
映像の中のアラゴルンは最初どう見ても「ほれられる男」では無かったですよ。
その証拠に?アラゴルンのヴィゴ・モーテンセンにすっかり填まった私が、その後彼の映画に誘っても「ロード・オブ・リング」を楽しんだはずの友人の誰一人付き合ってくれるとは言いませんでした。
オーランド・ブルームの映画なら幾らでも付き合うわよって言うくせに!
しかもあの時、この映画「オーシャン・オブ・ファイヤー」は歌舞伎町でしかやっていなかったので、「あそこは一人で行きたい映画館じゃないのよねぇ~」と言うわけで、迷っているうちに見損ないました。
そして今度は「ヒストリー・オブ・バイオレンス」です。
これも題名が災いして、女性陣からは総すかん!
うーん、早く決断して行かないとまた見損なってしまうと私は迷っています。
「迷わず即ゴー!」といかないのは心の中にこの役者さんは「ロード・オブ・リング」で最高の輝きを放ったのではないか?という疑念があって、がっかりするのではないかという恐れが拭いきれないからです。
あえて言えば「風とともに去りぬ」のビビアン・リーみたいに。
アラゴルンの彼は「」に彼の表現として出てくる記述に実によく符合していたのです。
目には荘厳な理知的な表情が出ていましたし、時にはまるで老年の様に老いくたびれて、時には壮年の激しい逞しさを見せて丈高く偉大に、そして時には若者のような目の輝きを見せて。
実際この役者さんの年齢測り難かったのです。
アラゴルンには勝手に色々な役者さんを当てはめていたのですけれど、映画で彼を見た時
「はまり役だ!」と思いました。
それまで余り彼への先入観が出来ていなかったのが良かったのかもしれませんね。
不思議なのですが映画で見て「アァ、いいなぁ、この人の他の映画見てみたいなぁ。」と思える場合と、「彼のほかの映画見ても良いのかなぁ?」と思ってしまう場合とがあるんです。
ヴィゴ・モーテンセンの場合どうも後者のような気が・・・?
「ロード・オブ・リング」での彼の魅力はあのたなびく髪の毛のカーテンの威力かと・・・?
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デビッド・ボウイ

俳優についてのコラム 466 Comments »

はて、彼は映画スターだろうか?
私には映画スターなのです。
ピーター・オトゥールの目を書きましたから「目つながり?」で、彼の事を書いてみましょう。
「青い目」を偏愛しているからじゃないか?って?
「青い目」それだけならいっぱいいますよ、他にもね。
いいえ色だけじゃないんです。
映画の中でその目が「生きた!」瞬間を持っているかどうかが大事なんです。
言い換えれば私を本当に見つめてくれた、私と見詰め合って何かを交感した瞬間があったかどうかということでしょうか。
大体彼の目が本当に青い目なのか私は知らないんです。
少なくとも1983年の「戦場のメリー・クリスマス」の彼は青い目でした。
彼は化粧もしますから色付きのコンタクトをしていても不思議じゃないのですから。
素の彼が何色の目をしているかは私には大事なことではありません。
彼の映画はもう一本「ラビリンス」(1986年)を見ています。
でもその映画では彼の目は余り印象的ではないのです。
青よりもむしろ銀色だったような記憶です。
髪がもりもりの銀色だったからそんな印象なのかなぁ?
要は土の中に埋められた彼の顔がこちらを向いた時の目です。
この目で彼は私の中でムビー・スターになりました。
本当のところもう映画の詳細は覚えていません。
もう一つ本当の所、今となっては「はて、本当に青だった?」って感じもなきにしもあらずです。それなのにあの目の持つ力の記憶は死なないんですねぇ。
あの目は確かに私を捉えていたんです。
実際は彼はちゃんと私にとってロック・スターとして始まったんですよ。
狭い台所で小さかった二人の息子をかわるがわる私の足の甲の上に立たせて抱えて、彼の「チャイナ・ガール」を聞きながら踊りまわったものです。
だから息子が大学生になって下宿した時に、たまたま上京して彼のテーブルの上にデヴィッド・ボウイのCDを発見した時は妙にうれしかったですねぇ。
「あぁ、彼は私の息子だ!」とつくづく思っちゃいましたから。
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コリン・ファース

俳優についてのコラム 2 Comments »

「コリン・ファース」
彼の目は多分黒、いや絶対黒でしょう。
「憂鬱な黒」が似合う人です。
初めて彼の名前を知ったのはTVドラマでした。
何年か前の正月にNHKで放映した「海外ドラマ」の「高慢と偏見」でです。
ジェーン・オースチンの小説は「エマ」と「高慢と偏見」を学生時代読んでいましたから、
「この英国小説を英国ドラマとして見られるとはなんという楽しみ!」と喜んで見ました。
期待にたがわず丁寧に原作を大事にした脚本に俳優さんのイメージも見事に合致して、私にとって大満足のTVドラマでした。
何よりミスター・チャールズ・ダーシーを演じた俳優にはころっと参りましたね。
私の頭の中のイメージをそのまま実現したみたいに、馴染んだ手袋のように、ぴたっと填まりました。
「誰だろ?この俳優は?」・・・それが「コリン・ファース」でした。
ミスター・ダーシーが高慢をへし折られて、苦々しくもどこか自信無げに悔しげに恋を告白するところなんか出色でした!
高慢で陰鬱だった黒い目が憂鬱な悩める黒い眼になっていました。
こんな誇り高い男に恋を告白された女の凱歌、歌ってみたいものですねぇ。
その偉そうな告白をまたぺシャッと潰されて、本当の恋がその苦痛の中から生まれたのは
「その人柄の奥底に秘められていた高潔で誠実な人柄があったから!」
だという事を見るものに分からせてくれる力を秘めたしっかりした目でしたね。
この人の映画見たいなぁと思うこと数年。
やっと巡りあいました。
「恋に落ちたシェークスピア」1998年で。
まさか!と、意外なキャスティングでした。
あのミスター・ダーシーがシェイクスピア(ジョセフ・ファインス)と恋に落ちるヴァイオラ(ヴィネス・パストロウ)の無理やり結婚させられる喜劇的な笑える貴族になっていたのですから。
しかしこれはこれで凄いんですよ。
欲とコケにされた激しい怒りに狂った目をぎらぎらと見せて、この貴族を存在感あるものにしていましたね。
最近の彼は「ブリジット・ジョーンズの日記」2001年、
「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月」2004年のマーク・ダーシーで知られていますが。
この作品の中でのマーク・ダーシーという名前、「高慢と偏見」のダーシーから来たんでしょうかね?
トナカイ柄でしたっけ?凄いセーターで出てきた時の彼の顔は忘れられませんよ。
ミスター・ダーシーがガラガラと崩れていったんですから。
作品が面白かったから許せますが、実力が認められ人気が出てくると、沢山の作品を見られるという喜びとともに、こういう悲劇?も生まれます。
ま、どっちにしても彼の名前を見つけると直ぐ映画館へ行ってしまう私なんですけれど。
だから「真珠の耳飾の少女」の陰気な苦悩のあるフェルメールの役は私にとって彼向きでした。
絵の対象として少女を見る激しい目の中に複雑なものを秘めて、そこに彼の本領が伺えたような気がしたからです。
でも、願わくばいつか彼のロチェスターを見たいものだと思っています。
「ジェーン・エア」の苦悩と激情を秘めたあの悲劇の意志の男です。
彼を演じられる目をコリン・ファースは持っていますよ!
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オードリー・ヘプバーン

俳優についてのコラム 389 Comments »

「女優」と聞いた途端、私の中に浮かび上がるのは「オードリー・ヘプバーン」です。
「女優」としてどうか?何ていうことは彼女の前では何の意味もありません。
映画の中でどんな女性を演じていようが、悲しんでいようが、怒っていようが、苦しんでいてさえも、彼女のそのときの映像の向こうにあの「ローマの休日」1953で見せたあの素晴らしい魅惑する目が輝いているのです。
彼女はどの映画でもそこにいてくれるだけで見る者をその映画の虜にする魅力を秘めています。
いえ、秘めているというよりその魅力を発散しているという方が正しいでしょう。
私は始めて「ローマの休日」を見たときから彼女の全部の表情の虜になってしまいました。
美しくて、可愛くて、無邪気で、優しくて・・・天使のようで、妖精のようで、なよやかに細く、高く、清らかで、女性がこうありたいと思うすべてを兼ね備えていましたもの。
神の賜物をこんなにいっぱい貰って生きるってどんなでしょう?
憧れる以外にどうできるというのでしょう。
まさしくそれが「スター」の条件でしょう?
すべての映画の中で彼女の持つ何かが必ずスター・星のように輝いていました。
「ローマの休日」には彼女のすべてが凝縮されていましたが、かなり年齢がいってからの「ロビンとマリアン」1976でさえ、彼女の持つ可愛らしさは隠しようもなく現れ出でて、スクリーンの彼女は見る者を魅惑してくれました。
あぁ、なんて彼女は可愛いのでしょう!
尼僧姿のオードリー「尼僧物語」1959年は彼女の清純さに魅せられた監督がその清純さをスクリーンに固定したくて撮ったのではないかと思ってしまいますし、リッツで黒のレースの覆面をして現れたオードリー「おしゃれ泥棒」1966は彼女のチャーミングさに惑わされた監督がそれを見せたくて撮ったのではないかと思ってしまうといったふうです。
「パリの恋人」1957年の黒タイツで踊るオードリーはスレンダーなその姿が生み出す躍動感の美を体中で見せてくれて、楽しませてくれましたしね。
「暗くなるまで待って」1967年は盲目の彼女の健闘がいじらしくて、可憐で、どんなにはらはら応援しながら息を呑んだことか!
オードリーだったからあんなにもいじらしかったんですよ。
彼女の映画にあっては物語は付け足しで、どんな彼女を魅せてもらえるかということだけで楽しかったという気がしています。
「マイ・フェア・レディ」1964年を見に行くのではなくてマイ・フェア・レディのオードリーを見に行ったのです。
本当にフェア・レディ!なオードリー!
彼女みたいな女優はもう出ないかもしれませんね?
モット美人で、モットはかなくて、もっと魅力的な、モット上手な女優は居るかもしれませんが、すべて持っているものの上になんともいえない上品さをヴェールのようにまとって素晴らしい最高の笑顔を見せてくれるのは彼女だけでしょう。
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ピーター・オトゥール

俳優についてのコラム 13 Comments »

彼を初めて見たのは「アラビアのロレンス」だった。
物語の初めでは、砂また砂、丘また丘のあの砂漠でどんどん日に焼けていく肌の色とその下で輝く目の印象が私を捕らえた。
そしてらくだに背を丸めてロレンスが乗り越えていく広大な砂漠と、彼がそこで大きく育ちまた壊れていく様とが見事に映し出されていく大きな物語に魅了されていった。
決定的だったのは囚われたロレンスが鞭打たれた時のあの目だ。
画面と私とを隔てていた距離がその「ひと見つめ」で消え果てた。
私はそのままロレンスの背中に溶け込んだ思いで彼のその後の生を生きた。
そしてまた、私の視線はオマー・シャリフ演じる族長の視線と重なって、ロレンスの砂漠とそこに生きる人への思い、愛と憎しみを悲しく見つめた。
圧倒的な「眼」だった。
この1作でピーター・オトゥルの名は私の頭に刻み込まれた。
しかし彼の映画はそんなには見ていない。
直ぐ数え上げられる。
「何かいいことないか子猫チャン」(1965)
「チップス先生さようなら」(1969)
「おしゃれ泥棒」(1966)
TVドラマ「ドーバーを越えて」
そして「トロイ」(2004)
俳優本人の人生は殆ど全く知らない。
私が垣間見たニュースは「彼の演出したシェークスピァの舞台が不評だった。」こと、
「アル中の治療中だ。」った時期があったらしいこと、
「アカデミー賞の特別功労賞にノミネートされた。」くらいだろうか。
この映画の事を思い返せば、目をつぶらなくても、砂漠の砂と風の中の彼のなびく金髪、焼けた肌、見つめる眼は直ぐに私の中に甦る。
「子猫ちゃん」の青い青い大きな笑う目、
「チップス先生」の背の高い痩せた猫背の後ろ姿と眼鏡の上から見つめる優しい悲しげな語る目、
「おしゃれ泥棒」の悪戯っぽい踊るようなからかう目、
「ドーバー海峡」の頑固な意志の強い成し遂げる目、
「トロイ」のアキレスに向ける老いた弱々しい悲しい訴える目
彼の目は永遠だ。
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