父は仕事帰りや休みの日によく一人で映画を見に行っていた。
わたしの子供の頃。
母に「なんでお母さんは一緒に行かないの?」
と尋ねたことがある。
連れて行ってくれるものなら、絶対私だったら付いて行くのにと思っていたから。
母の答えは簡単だった。
「あの暗いところに入ってちかちかする画面を見ていると直ぐに頭が痛くなるのよ。」
その母は偏頭痛もちで、私もしっかりその遺伝子を持っているのに、私の偏頭痛はむしろ映画館で治る。
「?」
いつも一人で映画に行く父が一度大学生になって上京した私の従姉を連れて映画に行ってしまったことがある。
オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」だ。
従姉にどんなに嫉妬し、羨ましさに歯噛みしたことか。
今みたいにしょっちゅうTVで映画を見られるわけではないのだから。
「ローマ」「王女」女の子を魅了するキーワード!
あれからの数年間はオードリーが日本中に溢れていたような気が今でも残っているのは、その羨ましさのせいかもしれない。
ヘプバーン・カットにし、ヘプバーン・サンダルを履き、サブリナ・パンツが流行ったあの頃!
映画はストーリーよりも映像よりもまずスターだったような気がする。
「私も!私も!私も!」と纏わり付く私に父は
「お前はもう少し大きくなったらね。」
1953年、「ローマの休日」大ヒット!
私は今考えるとまだ5歳だった!
女の子恐るべし?
その父が初めて連れて行ってくれた映画が「ウエスト・サイド物語」(1961)年だった。
いや始めてというのはちょっと違う。
「ウエスト・サイド物語」が余りに素晴らしくて、それまで見ていたものすべてをひっくり返すほどの衝撃を受けたから、そう思っているのかもしれない。
その前に私は父にディズニー映画は殆どすべて連れて行ってもらっているはずだ。
しかし「ウエスト・サイド物語」を見てしまった私にはディズニーは映画というものとは思えなくなってしまったのかもしれない。
「アニメーション」だけでなく「白い大陸」などの記録映画も私にとっては「映画」とまた別の範疇に入ってしまったのだ。
勿論このディズニーは今のディズニーとは違う。
「ウエスト・サイド物語」の上映が終った瞬間が私の「ロマンス」と「スター」があってこそ映画!になった瞬間だったのかもしれない。
それから、かなりの映画を見た。
そして映画というものへの思いも変わった。
でも連れて行ってもらえなかった映画への渇望が私の映画への入り口になってしまったことは確かなようだ。