今宵、フィッツジェラルド劇場で

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監督  ロバート・アルトマン
出演  メリル・ストリープ、ギャリソン・キーラー、ケヴィン・クライン、リリー・トムリン、リンジー・ローハン、ヴァージニア・マドセン、ウディ・ハレルソン、ジョン・C・ライリー、トミー・リー・ジョーンズ

さて、なぜか私は[Red river valley]を英語で唄えます。
はて?何故でしょう?自分でも覚えていませんが、なぜかしっかり覚えこんでいます。
ですから、当然この映画を見てきてから一日中「From this valley they say you are going・・・」と鼻が言っています。
西部劇で聞いたんですよ・・・多分・・・だから映画の主題歌だと思い込んでいましたが、アメリカの民謡?カントリー・ソングって言う奴ですか?うぁぁ、音楽の教科書に載っていたかも?
だからかなぁ、聞いたことがあるのかないのか分からないくらいなのに・・・この作品の中で歌われた歌は皆妙に懐かしかったです。
だから映画そのものもその色合いで私は土壷に填まりました。
がっちり内輪物って感じでしたから、填まらない人には面白くないかもなぁ・・・と、全然笑わない隣のお嬢ちゃんが気になりながら笑ってちょっと「ウウッ・・・」でした。
この年になれば?ライリー&ハレルソンも思いっきり笑えます。ライリーさんは「シカゴ」でも歌っていましたから、今更驚きません!って言ったってやっぱり驚きます!
それに始めて見ましたけれど、司会をしていたギャリソン・キーラーって言うおじちゃま!「凄いタレント!」じゃぁありませんか。
進行・司会・広告・歌手、全部自前でそつなく巧みに時間通りにこなしていく腕前?積み重ねてなんぼ!っていうキャリアの凄さを見せ付けてくれました。キャリアと言えばこの劇場の住人といってもいいこの番組の常連歌手たちの手馴れた凄さ!です。
だから私も茶の間にいてラジオをつけてお気に入りの番組を聴きながらキルトなんか縫っているおばちゃんのような気分で臨場?していましたね・・・終ってみれば。
メリル・ストリープさんの映画は「ソフィーの選択」(なんでDVDが出ていないの?)以来なるべく落とさないようにしている私ですけれども、この1年の彼女!「プラダ・・・」の編集長とこのカントリー歌手の落差!やはり見落としていい女優さんではありません!
メリルさんの声は好きな声だと思っていましたが、こんな風に歌われちゃうと・・・私は彼女に恋をしそうです。もっともこの映画の彼女の甘えん坊っぷり?の上手い女のキャラクターは嫌いですけどね。お姉ちゃんのリリーさんの姉御っぽい乾いた感じの(でも気を使っていましたねぇ?)方が好きだなぁ・・・なんて。ついでに言うとライリー&ハレルソンではより悪い子っぷりのいいハレルソンさんの方が好きだしぃーなんて追っかけオバサン風になっていました。
ケヴィン・クラインのマーローを気取った探偵っぽさが売りのキャラクターも好きですし、マドセンさんの白いトレンチの死神のお使い?が見えるなんて何で?彼女の優しい科白「(よく生きた?)老人の死は悲しいものじゃないのよ」うーん、ありがとう!かな。ついでに何も変わらなかったけれど、トミー・リー・ジョーンズさんも連れて行ってくれてありがとう!って気分です。
効果マンのおじいちゃん。やっぱりね、昔はこういう達者がどこにも居たんだなぁ・・・なんて、「ラヂオの時間」で藤村俊二さんがやった効果マンさんを思い出しました。どちらもカッコイイよねぇ・・・。「古き良き時代でした」ニュアンスわーい!!

アルトマン監督が亡くなられました。名前だけはしっかり有名監督として頭に入っていたのに、この作品以外では「ゴスフォード・パーク」「Dr・Tと女たち」「プレタポルテ」しか見ていないんですね。「ゴスフォード・パーク」と「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は好きです。
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紙屋悦子の青春

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監督  黒木和雄
出演  原田知世、小林薫、本上まなみ、永瀬正敏、松岡俊介

つつましい映画を見ました。
つつましさが端正な美しさにまで昇華していたようです。
そう、監督が亡くなったから、なお更そう思えたのでしょうか?
いいえ、あそこにはつつましい庶民の生活が戦争の陰を帯びていっそうつつましさを強いられている日常が本当に淡々と描かれて、しかもそれが美しいのに心を衝かれました。
日常を圧迫されていても、つつましい庶民の生活には優しさも、明るさも、思いやりも、逞しさも残されていて・・・。
あの懐かしいちゃぶ台のある茶の間、そして玄関脇の桜が望める客間が舞台の殆どでしたが、その佇まいの清潔な質素、簡素さが懐かしいくらいでした。
戦後、あの茶の間が居間になって、色々な電化製品やら家具やらが増えていって豊かになっていったのですが・・・果たしてそれは幸せに直結したのだろうか?と考えてしまいました。
そう、やっとこの映画を見てきました。
昨年岩波ホールでしている時に「行こう行こう」と言いながら、あそこは長くしているからと油断しているうちに終ってしまって、がっかりしていましたが、ようやくです。
あの茶の間での夕飯、兄夫婦と妹3人の夕飯を食べる光景が今も胸に迫ってきます。まだ桜の咲く前の季節なのに、おかずの芋が臭っていて・・・私の母が「芋は足が速いから気を付けて、残ったら必ず冷蔵庫に入れなさい。」と言っていたなぁ・・・姑が「臭った物も大事にお腹に片付けるのは嫁の務めだよ。」と言っていたなぁ・・・などと思い出していました。あれは戦争の時に染み付いた「食べ物は大事!」の名残だったのでしょうね。それにしても愛らしいお嫁さんと綺麗なお嫁さん候補でした。今ならまだ子供といってもいい?年頃なのに、困難な時代には人は早く年を取りますね、健気に。
映画の中の淡々とした生活描写にしびれましたけれど、「彼女と彼たちの?」恋模様は少々納得がいきませんでした。
あの頃色々な生き方を若い人たちは選びました・・・ってそれは今もそうか!
戦争に行く前の一夜でもと恋を貫いて添い遂げて若い未亡人になったり、父の居ない子を産んだり・・・もっともそれは物語の中のことで、大多数の人はそんなことはなかったんでしょうね。
紙屋悦子さんの選んだ青春は明石少尉が出撃を告げに来た夜一人で号泣するだけで終ったのですね。つつましい道徳観の凛とした情緒の安定した成熟した女性がそこに居たのだと思いました。そして素直に彼が彼女の幸せのために選んだ青年と添い遂げたわけです。彼女は彼がそうすることで安心して死にゆけるからそうしたのでしょうか?でも恋を譲られて夫になった永与少尉は素直になれるものでしょうか?親友の明石少尉が彼女に恋をしていたのを知っていたのに。親友が愛した人を幸せにしてあげたかったのでしょうか?生き残る者の務めだと?でもそれでよかったのでしょうね。それが映画の冒頭にちゃんと語られていましたものね。彼らは幸せにこどもを育て上げ人生の終わりに入って静かでしたものね。
「人は強いんだ!」と思う反面、青春ってそれでよかったんだ?ってちょっと侘しい気持ちでもありました。時代がそれを強いたのだと思えば反戦の気分はいや増します。この時に至って、監督の心がにじみ出てくるようでした。
ひどい時代だったのに、その日常が静かに述べられると、あの時代がセピア色に包まれて美しく思ってしまうなんて・・・私も十分?感傷的に年を取ったってことなんだろうなぁ・・・
黒木監督は日本の節度ある日常を本当に愛していらしたのでしょうね。
それにしても原田さんって、随分長く見ているような気がするのに、変わらないのねぇ・・・驚きです。
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華麗なる恋の舞台で

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監督  イシュトヴァン・サボー
出演  アネット・ベニング、ジェレミー・アイアンズ、マイケル・ガンボン、ブルース・グリーンウッド、ショーン・エヴァンス、ミリアム・マーゴリーズ、トム・スターリッジ

この映画の何が嬉しいって、私くらいの年齢のおばさんたちが、くすくす笑いながら見て、最後にやったぁ!と心の中で凱歌を上げられるところだろう。
若い人が見るとどうかな?反対の反応があるのじゃないかしら。
一面まさしく見事ないびり!だからね。
でも、舞台から降りていく刻を知りかけた者にとっては最後の快哉に違いない。
せめてこのくらいの反撃はしたいものだ。
ただやはり「面白打て、やがて悲しき・・・」の気配は濃厚。
数年後には、いや数十年後にはこの若い女優が見事にこの出来事を踏み台にして育って、同じ事をしている可能性があるもの。
しかしこうしたたかに年を取りたいものだなぁ!
「ただでは譲り渡さない!」ってね。
アネット・ベニングさんはハリソン・フォードさんとの「心の旅」から美しい人だと思っていたけれど、年が綺麗に降り積もったのだろう、実に表情が多彩で生き生きしていた。
倦怠や疲れもにじませて悲しみ落ち込む表情は年相応!なのに一転輝くばかりに美しく、明るい若さをきらめかせて貫禄まである。
喰えない夫や、批判的な息子や、忠実なお付きのおばさんや、イメージの師匠(面白い設定ですよ)の快哉を受け取ったときの満足顔の輝いたことといったら!裏切った若い恋人のいたたまれなさ、若い女優の悔しさも快い凱歌の添え物!
ここにいたって、したたかな舞台監督の夫が若い女優に書かせた契約書も大いに私たち見るものをニャッとさせてくれて、全く生き馬の目を抜く世界をトップに立って生き抜いてきた人々のしたたかさが凄い!と、思わせられる。
意地悪という毒は人生の調味料。程の良い使い方は人生を豊かにさせます?大人の使うそれは若い人へのはなむけ・・・なんてね?
いやいやいや・・・それでもうたかたですよねぇ・・・そこはかとなく来るべき哀愁。老いの坂は速い。最後の徒花。
徒花も咲かない自分につい気が付いちゃいましたよ・・・すると?トホホ人生は悲哀一色です。
だからって訳でもないですけれど、付き人の女性の気持ち判るような気がします。
色々な役で多彩に見ていますけれど、ここではジェレミー・アイアンズが妙に健康的な大人にみえましたねぇ・・・コミカルでシニカルでしたたかで、理性的で、こんな役もっとやってって思いました。でもこの年になると、どうせ見るなら美しいものの方がありがたいですかね。そして、私的にはですねぇ・・・若いツバメ役のショーン・エヴァンスの明るいハンサムよりも眼に翳りのある息子役のトム・スターリッジの方を買いたいなぁ・・・と言う気がしますが。
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クラッシュ

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監督  ポール・ハギス
出演  サンドラ・ブロック、マット・ディロン、ドン・チードル、ブレンダン・フレイザー、ジェニファー・エスポジード、ウィリアム・フィクトナー、テレンス・ハワード、ライアン・フィリップ、タンディ・ニュートン

これも見たかったのに見落とした映画。こんな企画しょっちゅうやってくれたらなぁ・・・と思いながら豊洲ユナイテッド・シネマに足を運んだ。しかも800円なんて嬉しいなぁ!
この映画を見ながらアメリカを憧れの象徴のように見ていたのは一体何年ごろまでだったのだろう・・・と、考えていた。
何時ごろからかアメリカは「何時か行きたい国」ではなくなり、息子が社会人になってNYに赴任した時には「行って欲しくない国」になっていた。「フリーズ」という言葉を息子は知っているか確認したものだったが。
クリント・イーストウッドが「フェーバーさん」と言っていた頃「サンセット77」のクーキーを笑ってみていた頃、アンディ・ウィリアムス・ショーを見たくて走って学校から帰ったあの頃、確かにアメリカは輝いていたけどなぁ・・・
それでもボクはやってない」を見た後この映画の警官を見ると、あの日本の刑事もこの映画に出てくるアメリカのおまわりさんも紙一重ジャン?ね。今日は本物の犯罪者を検挙し、今日は無実の人を締め上げる?そして威光を笠に着る横暴、ある時はその笠が本当に役に立つ?物事の裏と表、表裏一体。
アメリカのある町の1日をポコッと切り取るとこんなものなんだろうな。そして多分日本のどこかをポコッと切り取るとこれに近いような状況がきっと見られるんだろうな。そしてそのポコッはどこでもいいんだ。
それを高みから冷ややかに見ている俯瞰図だけだったら、この映画は心に染み入る何ものをも与えなかっただろうけれど、昨日の彼女は今日の私、でもって昨日の彼は今日のあなた?あなたにも色々な日があるでしょう?とその1日を切り捨てていないから多分そっと見ていられたのかなぁ?
人の行為は一面じゃ測れない。そう、確かにそうよって。
人という生き物の一筋縄ではいかない揺らぎの様々な相が活写されている魅力かな。
そう「禍福はあざなえる縄の如し」って言葉が思い出された。ちょっと違うけれど。でも人の善悪もそう。なった縄のどちらかの面がそのときその弾みで浮かび出てくるようなもので、人のある行為がある人には打撃になり、ある人には救いになる。ここで振り上げたこぶしが、思いも寄らないところに落ちる。
この瞬間誰かを救ったものが、次の瞬間誰かの致命傷になる。
誰かの言った言葉が回りまわって誰かをとんでもない方に動かす。
悪い人も悪いばかりではないし、善意の行為が結果的には非道になる。
「生きていくということはこんなものだよ。」
池に落とした小石が起こす波のように人の行為言動の起こした波動が次々広がっていくのを絵にするとこうなるのか!なんて、妙に悟りながら映画を見てしまった。が、疲れた!
人は誰かの何かの影響を被らずにはいられない。
丁度、以前にマット・ディロンの映画をマット・ディモンの映画と早とちりして見てしまって、マットが出てこない、まだ出てこないといらだったように?で、八つ当たりでディロンを嫌いになっちゃった(ディロンさんいい迷惑だ!)・・・そんな笑って済まされる動かされかたならいいけれど、大抵はどこに波動が打ち寄せられたか知り得ないんだから・・・だからのほほんと生きていられるんだ・・・なんてね。
そして人種が絡めば、宗教が絡めば、その複雑さは縄目なんて目じゃない!私たちだって肌の色が殆ど変わらなくたって差別から無縁ではいられないのだし。差別はあらゆる物から生まれるものだから。
鍵屋のお父さんの娘への愛情がよかったなぁ。だけどもし玉が入っていたら・・・あの父親はあんな話をした事をどれだけ悔やむことになるだろう・・・正義感のライアンのおまわりさんはどんな警官になっていくんだろう・・・ドン・チードル刑事の母親は自分の言ったことの影響がどんな風に出るか気付きもしないで死ぬだろうなぁ・・・とか、色々有って、だからってサンドラのいらつき女がただのいい人になるってものじゃなかろうし・・・行く末様々に考えてしまって・・・だからって何も言わず動かず関わらず生きていけはしないし・・・あぁ、眠れそうも無い?

京鹿子娘二人道成寺

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出演 坂東玉三郎、尾上菊之助

「シネマ歌舞伎」というのだそうです。
平成18年2月歌舞伎座で上演された「京鹿子娘二人道成寺」を映像にして映画館で上映したものです。
実はかなり前から予告編も見、広告も見ていました。
でも、実際見に行く気はさらさらありませんでした。
歌舞伎も舞踊も舞台で見てこそという気があったからです。
この作品上映、1千円です。
歌舞伎の一幕見の値段と比べてどうか?という問題でもありません。
玉三郎さん、見るならやっぱり舞台で見たいじゃないですか。
それが先日「寿新春大歌舞伎」昼の部の最後に舞踊「喜撰」を勘三郎さんの喜撰法師、玉三郎さんの祇園お梶で見たのです。
その前見たのは・・・もう何年前になりますか・・・京都南座だったかなぁ?
それなのに玉三郎さんは何年も前と全く同じ、いやもっと?美しくて・・・その美しさにホント惚れ惚れと見惚れました。
勘三郎さんの喜撰法師はこの手の踊りを見せたらぴか一、滑稽味のある踊りをこの人ほど上手く踊る人を知りません。
あの体で?(失礼)どうして?と思うくらい軽やかに軽妙に・・・軽味が只者じゃない?素晴らしい踊りでしたのに、私ときたら玉三郎さんに釘付けでした。
姿形の美しさだけではないのですからね。一挙手一投足、手指の先から足のつま先の動きに至るまで、魅了しつくされました。
あの表情の無い表情、人形の魅惑に近いのでしょうか?こちら、見るものの心をそのまま映せる様な?
で、俄然見逃したこの舞台惜しくて惜しくて・・・仕方が無い、映画で我慢!の心境にコロリ転げたわけです。
大昔?歌右衛門さんの道成寺見ているんですが、正直あの頃あの方はもう美しくは無かったんですね・・・それにこっちも芸が分かるような目も無かったし。だから玉三郎さんの絶頂期を逃してはならじ!
東劇での最終日、満席の片隅に滑り込みました。着物の女性がいっぱいの華やかな劇場でした。その意味じゃ舞台にひけを取らなかったですね。
それで、どうか?これが難しいところです。綺麗な映像、音響も悪くなく、でもなんか一重挟まったような感動なんですね。
美しかったです。舞台が想像できました。やはり臨場感が全てなんじゃないかなぁ・・・舞踏はという感じでしょうか。
二度とないはずのものを映像にとどめておくのは意味があります。
取っておきたいですよね、留めておきたいです。でも目の当たりに見たい物は見たいです。その意味ではやはり次善のものに過ぎなかったです。舞台を見落とさないようにしようと思いました。
彼がうんと年老いた時その芸の素晴らしさが分かるようにこちらも目を養っておきたいものだと思いました。
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敬愛なるベートーヴェン

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監督  アニエスカ・ホランド
出演  エド・ハリス、ダイアン・クルーガー、マシュー・グード、

芸術家を主題にした映画はかなり厄介!
いつも色々思い惑うのです。
「アマデウス」然り、「ポラック」然り、つい最近では「クリムト」然り!でしょ?
ああ、「レンブラント」を描いたいい映画があったけど・・・
でも、年末に第九を中心に据えたベートーヴェン映画と来ればやっぱり引き寄せられる。
この年末第9を聞く予定も無いし、映画の中の第9は圧巻という噂も聞くし?
日本人が何故「年末には第九!なのか?」という命題はさておき。
ところがピアノ教師をしている知人が試写会へ行ってきたというので「いかがでした?」
「ベートーヴェンの尊厳を傷つけられたようで腹がたったわ。あんな女性に指揮されたり動かされたり・・・そんなはず無いわ。」
でもある音楽家が新聞広告で「感動的だっ!」て長口舌振るってたし・・・やはり芸術家物は難しい。
なら自分でとりあえず見るさ!
ベートーヴェンの難聴が進んだ晩年4年間の物語でした。
ベートーヴェンはその音楽以外の人生については難聴の話しか知らない私ですから、物語としては多分一番に彼の人生の劇的なところを切り取ったのだろうなぁと思いますが、エド・ハリスの熱演にも関わらずこれは写譜師アンナの物語でした。
「師弟愛」という素直なものが主題なのだとすると、ベートーヴェンの物語にしないでも良かったのに・・・という気がしてしまいました。
難聴でも、外の不自由でも、とにかく助けが必要になった老芸術家を尊敬し、敬愛する弟子、しかも未だ女性の能力を振るう場の無かった時代に女性の弟子が献身的に尽くし、その結果芸術家はその才能を生かしきった・・・という話として。
それならベートーヴェンへの思いの強い人にも納得が行ったでしょう?そう思ったのはダイアン・クルーガーの美しさがこの映画では生きていた気がしたからです。
この人の「トロイ」のヘレンはちょっと違うという気がしましたが、この映画で天命を生かそうとする毅然とした凛とした女性の美しさを表現していたという点で感動したからです。
だからあの指揮の場に行く時のベートーヴェンの「色っぽいな」と言うせりふはなくともがな!でしたと思います。
ただ23歳のあの時代の女性にあの自信はどうでしょうね。
必然性を薄めるような気がしてしまいましたが。
もう少し人生と苦闘しながら音楽の道を志している女性なら、あのエド・ハリスが造形したような野卑な手ごわいベートーヴェンを理解できるのじゃないかと思ってしまうのですが。
でも、確かにやっぱり年末は第9だ!
全部ちゃんと聞くぞ!ベートーヴェン聞かなくっちゃ、久しぶりで・・・なんて、追い立てられるような気持ちで帰ってきちゃったのです。
エド・ハリスさんて「ポラック」「めぐりあう時間たち」今回の「ベートーヴェン」みたいな芸術家役は確実に印象に残って凄い!のですが、でも私が好きなのは「アポロ13号」「ニードフル・シングス」は別格として、「目撃」「スターリングラード」「ザ・ロック」「ビューティフル・マインド」のような作品に出てきた時の男の魅力みたいだわ。
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クリムト

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監督  ラウル・ルイス
出演  ジョン・マルコヴィッチ、ヴェロニカ・フェレ、サフロン・バロウズ、スティーヴン・ディレイン、ニコラス・キンスキー

「ウィーンといえばクリムト!」?ウィーンへ同行した友人と誘い合わせて行きました。で、やっぱり「クリムトといえばウィーン!」です。
金とエロスとをふんだんにてんこ盛りにしたエネルギッシュな装飾的な魅惑的な絵の作者として「クリムト」を思っていました。
それに扮するのがマルコヴィッチさんですし・・・凄い演技?が見られるのではないかという期待も勿論ありましたしね。「マルコヴィッチの穴」とか「ザ・シークレット・サービス」とか記憶に新しいところでは「リバティーン」とか、思い出しますよね。
でもそこには私が写真で見たクリムトの線を細めにして圧迫してくるような迫力を緩く薄めたようなマルコヴィッチのクリムトがいました。
でもエゴン・シーレが余りにそっくりで、「シーレ」という名が出てくる前に分かるくらいで、「ジョンは負けたな?」と、一瞬思ってしまったくらいでした。(はいはい、形態模写じゃないんですからね!)この若くして亡くなった画家は私がどうしても好きになれない絵を描いた人として覚えています。
二人の絵の間にある広がりを思うとクリムトの死の床に付添っていたのがシーレだったなんて不思議です。
映画はこのシーレが見守る中、ベッドで今しも死にゆこうとするクリムトの意識を流れる過去の断片を積み上げていくような感じでした。
作品中、時代の画壇のこと、美術・建築界の動向、パリとウィーンの在り様・・・は登場人物の会話で観客に説明されたようでした。
私が期待したクリムトの作品は幾つか映画の中で見ることが出来ましたが、作品を創造する現場はたった一っ箇所だけでした。
あの金箔が部屋中に巻き上がるところはクリムトの絵の世界を彷彿とさせて、この映画の中で唯一私の好きな場面でした。
唯一と書きましたが、私はこの映画に何を期待して出かけていったのでしょう?
画家の作品製作に纏わる逸話?画家のモデルとのいかがわしくも華やかな世界?ウィーン世紀末の画壇の中での彼の存在?かなり創作に関わったと思われる義妹との不思議なドラマ?
・・・そういう点ではこの映画は何も語ってくれなかったような気がします。彼の意識の中に意識を導くように現れる男の象徴するものも私には理解できませんでしたし(ただの狂言回しでいいのでしょうか?)、彼のあの多数の大作を生み出したエネルギーがどこから来たのかも結局分かりませんでした。
クリムトについての枝葉末節的な情報はかなり収集?出来たかもしれませんが。私には消化不良の何かを無理やり飲み込んだという感じが残りました。時代の空気感?は感じられたかな。
そのせいで「ねぇ、どう思った?」と。友人に聞かざるを得ないという気にもなったのでしょう。
「眠たくなった!」という答えを聞いて妙にほっとしました。
私は何か「ぼうっとしちゃった!」という感じでした。
何から得た創作意欲を作品にぶつけたのだろう・・・と推測していた・・・そんな場面を知るのを楽しみにしていた・・・単純な私にはちょっと高踏過ぎたのかな?
クリムトという人物を、また彼から生まれた作品への思いをこういう表現で見せたいと思った映画作家がいたんだ・・・と思って、けりをつけることにしましょう・・・わかんないんだもの・・・
しょうがないやって感じでしょうか。これ以上考えると何か無理やりこじつけそうなんです。
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カポーティ

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監督 ベネット・ミラー
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、ブルース・グリーンウッド、クリス・クーパー、クリフトン・コナーズ・Jr

「ティファニーで朝食を」と「冷血」で名前を知っているトルーマン・カポーティを描いた映画でアカデミー主演男優賞受賞の映画であって、見たい気分十分の一方で、予告で見るホフマンさんはどうみても私のタイプじゃない?って言う言い方もどうかと思うけれど苦手・・・というわけでシーソーのギッタンバッタンという感じでズーッと「見よう、止めよう」の行ったり来たり。
結局今日見てきたのは友人に「「プラダを着た悪魔」まだだよね?来たら行かない?」と誘われて、何時から始まるか調べてみたら銀座ではカポーティと入れ替えなの。
「明後日までだ!」と、思った途端出かける支度をしていた・・・というわけ。
それで・・・見ている間から既に・・・「こりゃぁ何も書けないぞ!」と思っていた私。
カポーティって言う人の人となりが浮かび上がってきてそれが真実かどうかは別として、こういう複雑な陰影の人物を浮き彫りにしていく俳優の力量と言うものがひしひしと感じられたことは確か。
こういうのを適材適所?いい役を引き寄せたのもやっぱり実力!
それに時代の感じ、文壇やその周辺の社交事情、人間関係などがまるで?まさに?文芸作品ですよという知的な雰囲気をかもし出していてそのあたりが魅力的だったことも確か。
一つの新聞記事から想を得て、ノンフィクションの作品が生み出されていく緊迫感・執念?もきっちり表現されていたことも確か。
さらにその過程でカポーティの上を通過していく様々な葛藤などが作家って言う職業の業の深さを見るものに語りかけてくるのも確か。
だけど不思議なことに、確かに語りかけてくるものがこんなにもあるにもかかわらず、この作品は好きにもなれず「いい映画だったなぁ。」とも言い難い気がしたのは何故だろう?
「冷血」を生み出した後の彼の心がどんなになったか・・・気の毒だなぁ・・・引き裂かれたろう・・・と思いはしても、命と引き換えに何かを生み出すというのが作家の宿命だろうし、こういう事件に引かれてのめりこんだのは彼自身の素質的?宿命だろうなぁ・・・つまりどこか醒めていて酔えなかった私。

余談ですが、「アラバマ物語」は私の中では子どもを描いた作品として「スタンド・バイ・ミー」と双璧だから「作家のリーさん(カポーティの弟子・友人だったの?)」にひょんなところでお会いできて?光栄!
それにクリス・クーパーさんの顔って好きなんです・・・ちょっと見れて良かった!
それにあんなにハンサムなのにろくな役で見ないケネディさんと呼んでいる(名前を直ぐ忘れるので)ブルース・グリーンウッドさんが今回はいい感じでよかったなぁ・・・と。
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狩人と犬 最後の旅

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監督 ニコラス・ヴァニエ
出演 ノーマン・ウィンター、アレックス・ヴァン・ビビエ

予告編で何度も雄大な自然の風景を見ていました。
だから疲れたら、きっと見に行きたくなるだろうなぁ・・・という気がしていました。
ご多分に漏れずチラッと見た犬の表情はそれに輪をかけて魅力的だったからです。
だから雨の静かな日に一人静かに出かけて見てきました。
思っていた通りの映画でした。
狩人の日常が美しい大自然の中で淡々と描かれます。
音楽とこの景色をただ見ているだけでも肩の力が抜けていく感じでしたが、実際には非常に厳しい生活が語られていました。
「大自然の中で生きるということ」は「一瞬一瞬が命と向かい合う日常を生きる」ということだということです。
その厳しい日常が犬とのふれあいのある生活、その潤いの御蔭で美しくなっているようでした。
近所で見るハスキー犬は好きではありません。
でもあのカナディアンロッキーの厳冬の中で見るその犬は本当に見事でした。凛として美しくて。
犬も生きるべきところがあるんだなぁ・・・と、思いました。
愛らしさと共に、自然の中で真に必要とされ、よき相棒として共に生きている尊厳までこの犬たちから感じられました。
犬もですが、私の全く想像の付かない厳しさの中で生きているからか、主人公・[himself]を演じたノーマン・ウィンターの顔がそぎ落としたように精悍で魅力的で、つい惚れ惚れと見とれてしまいました。
メタボリック・シンドローム?とは無縁の生活の贅肉を極限までにそぎ落とした男の顔ってこんなにも魅力的なんですね?
でもその彼も、町へ行くとちょっとした息抜きが待っていましたね。
もう一人魅力的に描かれていた彼の「ネブラスカ(でしたっけ?)」のたたずまいも、これまた見事でした。でも彼女にはどんな休みがあるのでしょう?
どんなにか孤独なと思われる日常を淡々と受け入れて楽しんでいるかのように見えました、愛情に溢れて。
孤独にいられるということはそれだけで力なのでしょうか。
それに二人とも犬によく声を掛けていましたね。
人も動物もこうして育てるのだと深く納得しました!
「マイボーイ!グッド・ボーイ」そして名前を何度も呼びかけ、愛撫です。いつくしむ気持ちさえあれば育つのですね。
首の線がほんわりと優しくなった気がして、雨の中帰り道につきました。

ゲド戦記

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監督   宮崎吾朗
出演(声)岡田准一、手嶌葵、田中裕子、菅原文太、風吹ジュン、夏川結衣

見ないつもりの映画、ひょんなことから見てしまいました。
一緒に行った相棒も「私これ見る気なかったのよぅ。」と言っておりましたから・・・本当にヒョンでした。
「あまり評判が悪いので・・・」と言うのが真相です。
「一応話題だからと思って、原作の方だけ読むつもりで図書館に申し込んだの・・・外伝まで入れて確か6冊?ところが2だけ来ちゃってまだ肝心の1も3(映画の原作は3が主体だと・・・?)も読んでいないのよ。で、2だけじゃとんとわかんない!」と私。
・・・と言う状態で、今日映画を見てしまいました。先に言います。
「いいじゃない!そんなに悪くないよねぇ?」が二人の共通意見でした。
で、私が思うに・・・何で悪い前評判を聞き過ぎたか・・・?
「原作の長さからいくと・・・脚本が下手だった。だから思い入れのある原作ファンに受け入れられなかった。」がその1。
その2は「もののけ姫のキャラクターがそのまま出ていたよ。あれは無いでしょ?」手抜き?丁寧じゃない!原作への誠意が不足・・・とか?
それにね、その3「絵に声に監督のオリジナリティが無い!」感じがするんだけど?「ジブリ」ですっていう線で押した!のかなぁ。時間が足りなかった?なんだろなぁ?
おまけに歌もね。「千と千尋」もそうだったけれど、歌はとてもいいよね、その声の魅力も十分認めるけれど、息がちょっとね!くたびれない?
「その点ハウルは安心して聞けたよね。紅の豚も!」
「それをいうなら千と千尋とこれ以外は皆良かったと思うなぁ。これは素人っぽさが大事だったんだよ、きっと。」
「いい曲だったからチョットもったいないような気も確かにするね。」
その4、それに科白の説明がきついよ。自分で説明しちゃっているから・・・聞くほうは「ああ、そうなんですか?」「そうだったんですか!」になっちゃう所があるよね。
登場人物が何もかも話さなくても伝わるものがあるというのが映画だよ。
でも、総じて私は楽しめました。
それなりの物語になっていましたよね・・・。
テルーとテナーと名前が間違えそうだけど・・・それに「結局テルーって、本当は竜なの?」と二人で「ハモッタ!」所を見ると、今ひとつ私たちは事情を飲み込めていないようでした。
「だってさ、親に虐待されてやけどの跡があるって言ったわよねぇ?」
「ゲドの魔法ってことあるかなぁ?それとも虐待した親って竜?」
「アレンってさ、国に帰ると国王・父殺しで磔だよね?」
「そうか!今頃新しい王が即位しているだろうしね?」
いやきっと、ゲドがここで働くのですよ。でなくてどこが大賢人なのでしょう!
結果?新しい秩序の回復の功労者としてアレンは英雄になる!
さて、物語は結局本を読まないと分からないようで・・・。
真の「名前」を伏せているところ・・・昔の日本の天皇みたいだね?
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