3人の先生

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素敵な先生が3人居ます。
一人は「チップス先生さようなら」1969年のチップス先生。
ピーター・オトゥールが演じました。
一人は「今を生きる」1989年のキーチング先生。
ロビン・ウィリアムズが演じました。
一人は「卒業の朝」2002年のハンダート先生。
ケヴィン・クラインが演じました。
どの先生も忘れられません。私が学校で習ったどの先生よりも先生らしく、どの先生よりも印象的です。
理想の先生でしょうか?いいえ、そうとは言い切れないかもしれません。でも魅力的です。

一番若い時に見た先生だからでしょうか、一番長く心に住み着いているからでしょうか、チップス先生(チッピング先生)がやはり一番好きです。つくづくイギリスの先生だなぁと思います。
チップス先生は伝統を身に纏い生徒におもねらない静かな先生です。
取り分けいい科白を言うわけでもありませんが、その佇まいこそがそのまま教えになる先生で、生徒を見る眼差しが優しくて、生徒に愛情を抱いていて、教えることが好きだと無言で語りかけています。
その生徒たちが先生をからかい、その先生の当惑した表情に生徒が自分のしたことに恥じ入るところが私は好きです。そして妻に校長に昇進した事を話そうとしてひた走るところで泣けます。滑稽な姿なのに・・・どうしてもここで泣けてしまいます。老いたチップス先生が学校で静かに生徒たちを見つめているところが好きです。チップス先生の表情・震える指・・・忘れられない心に染み入るシーンがあります。
高校の時の先生が言いました。「いい先生の一番の条件は知識があることだ。聞かれたことに答えられるのが先生の第一条件だ。」と。
そうかも知れませんが、チップス先生を見ていると生徒に人格を感じさせられるのが先生の第一条件ではないかという気がしてくるのです。先生の無口な温かさが伝わってくるようです。

次のキーチング先生は語る先生です。生徒を啓発し、理想を抱かせる先生です。意欲や行動を呼び覚まし、触媒になる先生です。
でもこの作品では一人の生徒が自殺をしてしまいます。それがこの作品を後味の良くないものにしていると思いもします。でもこの先生を見ていると、これが先生というものだと思わされてしまいます。
働きかける先生にはこういう不幸な出会いも起こりうるのかもしれないねぇと。でも「こんな先生に出会いたかった!」
生徒の心や行動に意欲を持たせ目指すものを探す「ステップ」になる事こそ先生の使命でもあり生きがいでもあるのだと頷いてしまいます。特に最後は圧巻です。気弱で意思表示もろくに出来なかったイーサン・ホークが演じる生徒が立ち上がるところで、ここで私は泣いてしまいます。
先生冥利に尽きるのではないか・・・と。学校から追われるキーチング先生に「先生を辞めないで、もっと沢山の生徒を育てて!」と言いたくなるのです。生徒を魅了してやまない先生は私の心も魅了しました。ロビン・ウィリアムズが生徒に向ける豊かな表情と目の中の愛情がとても素晴らしくて、彼のもう一つの「グッド・ウイル・ハンティング」の先生とともに忘れられない先生像となりました。

そして、最後のハンダート先生は一寸複雑です。好きになれるでしょうか?う~ん!
この先生は悩む先生です。生徒を導いていい感化を与えたいと願っており、そうできると思い、過ちをも犯す先生です。先生の感化力と自分の理想を過信します。でもこの先生は生徒に愛される先生でしたね。ハンダート先生の理想のために不当にコンテストに出られなくなった生徒のうなだれる姿に先生が何か声を掛けるだろうと思ったので、私は失望しました。先生がそうまでして感化しようとした生徒は結局最後まで心の向上を見せずに先生の理想は潰えたかに見えましたけれど、めぐり合ったあの生徒に遅ればせに彼は謝りましたね。その生徒が良い道を歩んでいたことにその時私も救われたような気がしました。「教育に出来ることは少ない!」ということをこの映画は言っている様でもありますが、先生も良い資質の生徒とどうにもならない生徒とにめぐり合っちゃうんだと少々おかしくも思えました。でもこの映画が心に残るのは、先生が一生懸命先生をしようとしていたからだと思います。先生としての格調が高いといいますか。やはり「先生」ですね!
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サハラに舞う羽根

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監督  シャカール・カプール
出演  ヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケート・ハドソン、ジャイモン・フンスー、マイケル・シーン、ルパート・ヘンリー・ジョーンズ

ヒース・レジャーといえばゴールデングローブ賞受賞作品「ブローク
バック・マウンテン」に主演していた俳優さんで、今「カサノバ」が
公開されている。
「カサノバ」当時のヴェネチアには物凄く興味があるけれど「カサ
ノバ」さんはどうかなぁ?
「ドン・ファン」と「カサノバ」の違いについて聞いた事がある。
ドンファンは次から次へと新しい女性に恋をするけれど、只飽きて
次の花に移るので、女たちは捨てられても余り憎まない。
けれどカサノバは真に素晴らしい理想の女性を求めているので「こ
れは違う、理想の女では無い!」と思って捨てるので捨てられた女
は彼を本当に憎む・・・っていうんだったかな?
それとも、その反対だったかな?
見ようか見るまいか?見ればどっちか分かるかも?
そのヒース・レジャーで思い出したのがこの作品。
正直「カサノバ」を演じられるほどの男前とは思えない。
でもこの作品なら。
冒頭がとても生き生きとした青春群像で良かったという記憶がある。
戦争前と戦争後のヒースの容姿にはメイクによるものだけではない変化
が如実に現れていて、多分これは彼の演技力によるものなのだう。
演技力でいい男になれる人だという気がした。
舞台的には男の友情を描くには持ってこいの設定だ。スポーツから入って軍隊だなんてね。
協調と一体感が何より大事な所だ。
しかもその中に名花が1輪ともなれば?
否応も無く友情は試練に逢う。
しかし、男の友情を書きたいためだけの設定には少々無理があるようだ。
なぜなら、戦争がいやだから除隊したと臆病を認めている男が行け
る場所ではないからだ、あの当時のスーダンは。
このあたりで主人公の精神設定の理解に苦しむ。
「そこへ行けるなら、友人たちと一緒に戦うだろう?」と思うのは
私が男ではないから?
あの土地で、スーダンの人々の間で、言葉も分からなく、イギリス
人である事を隠して入り込めるはずも無い。
そして、あの黒人(土人)の登場だ。
まるでヒース演じるハリーの守護天使?みたいな。
妙に都合いい設定をしたとしか言いようが無い。
ハリーを守りきって彼は「神の与える道を行く。」なんて、格好よく去っていく。
それでも背景がとてもリアルに描かれているので納得させられる。
サハラの砂はそれだけで圧倒的にリアルになる。
現実離れがしているくらい現実だって言う気がする。
圧倒的な砂の物量に気圧されるのだろう。
それとその砂にまみれた戦闘場面。
緻密で丁寧なシーンが積み上げられていると感心してしまった。
主人公の思考回路にはちょっと首をかしげた私だが、ケート・ハド
ソンが美しく堅実なしかもいかにも女性らしい揺らぎを見せていて
よく描かれていた。
「あの頃ペニー・レインと」の印象的だった女優さんだ。
こんなに成熟した優しい笑顔を見せる女優さんになったんだなぁと思った。
ウェス・ベントリーの演じたジャックの「運命」に同情を惜しまない!損だ!
邦題がちょっとロマンチックだったので見たいと思ったのだった。
題名は大事!

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