監督  アトム・エゴヤン
出演  ケビン・ベーコンコリン・ファース、アリソン・ローマン、ソニヤ・ベネット、レイチェル・ブランチャード、デヴィッド・ヘイマン、キルスティン・アダムス

遅くなりましたが、やっとこの映画を見てきました。しかも恐るべき劇場で・・・ま、それはどうでもいいことですが、この二人の組み合わせの映画を今まで見落としていたことが許せませんよっ!
エゴヤンという監督の作品は初めてでしたが、このコリンとケビンのコンビが出来たこと、そのことが私にとって収穫でした。
二人ともなんとしなやかだったことでしょう!
でも今日劇場に女性は私一人でした。いやだったなぁ!
二人の、コリンとケビンの個性が際立っていました。
だからサスペンスもよりサスペンスフル(こんな言葉あるかしら?)に感じました。
ただ、秘密を拾い上げようとするジャーナリスト役のアリソンが私には填まらないように思えました。彼女のまあるい驚いているような目(一寸狸目?)が、サスペンスを引き算していくような気がしたんです。
誰なら・・・と考えているのですが・・・もう少し翳りを見せる目、表情の多い目、知的でもある目、そんな目で迫って欲しかったです。
ケビンの歌声にかぶさるコリンの声、全く正反対の声が奏でるコントラストの妙がコンビの在り様を象徴的に表現していることといったら!
コリンのあの一寸高めでクリアで明瞭な声が私の耳をするすると滑っていくんです。本当に特徴的な声の人だと、改めて聞き知りました。
二人が代わる代わる話していくとその声だけで物語のトーンが切り替わるようで、心臓の鼓動を司どられてしまったような気がしました。
あの声の遣り取り・交代が意味は分からないながら画面を二つのサイドに引きちぎって謎をより謎に、嘘を真実っぽく、真実を嘘っぽく重層にしていく効果があったような気がします。
二人の声で二人の気分を、言い分を?も、私の耳が飲み込んでいるうちに段々この二人が俳優本人のように思えてきてしまって、不思議なことに私はモーリーンを殺したのがこの二人ではありませんように!と殆ど祈りながら見てしまいました。
コリンじゃありませんように!
ケビンじゃありませんように!
二人は二人ともお互いが殺したと「知っていて!」その秘密をお互いに死ぬまで秘密のままに持っていこうとしていたんだ!
ということに気が付いた時、彼ら、「ラニーとヴィンスのコンビ」というコンビのありようがパァッと頭に閃いて、同時に時代の空気も閃きました。
秘密の後ろにあったものは、彼らコンビの間にかって存在した夫婦愛に近い友情の名残りだったのかなという印象も閃いて、そして(どっと!)ほっとしました。
どんなものにしろコンビって難しくてミステリアスなものなんですね。すべての連れ合いさん、心しましょう。
1950年代と今との彼我の隔たりを強く意識しました。
現代だったら起きなくて済んだかもしれない事件でしたよね?
一番変化の大きかった1世紀って何時でしょうね?
今を生きている私には歴史がはっきりしてきてからの人類にとって「20世紀こそが一番!」と思えるのですが、21世紀に生きる人たちは「21世紀だった!」と思うのかもしれません。