監督 ダンカン・タッカー
出演 フェリシティ・ハフマン、ケヴィン・ゼガーズ、フィオヌラ・フラナガン、キャリー・プレストン、バート・ヤング、グレアム・グリーン

キャッチフレーズが全くそのままと言う珍しい映画だった。
「世にもフクザツな親子が愛を見つけた旅物語」
こんな設定がありえて、しかも不思議なことに、ごくノーマルな私がなにがなし感動して劇場がすっかり明るくなっても立たずに最後の一人になって席を立つとは!
この映画を見ているとあらゆる性の概念が受け入れられて、偏見がこの世からなくなったような錯覚を覚える。
だから主人公の母の反応が一番普通なのに、一番エキセントリックでおかしいとすら思えてしまうくらいだ。
主人公を演じたフェリシティの好演は確かに素晴らしく光っていた。
本当に難しい役だと思ったのに、時には男性に確かに見えてしまったり、時には本当に女性らしく見えてしまったり?
女性でしかない?私から見ても「私より圧倒的に女性女性している・・・!」と、思ってしまったところで、彼女の演技に脱帽した!
一番ピンクの女性らしい服装をしてはにかみながら表れた時に一番からだの線が男性的に見えたあの不思議!
そして性同一性障害の父?、その息子が又ゲイであることのなんと言うか因縁みたいなもの。
これは下手すると「親の因果が子に報い・・・」的な世界になりかねないのに・・・実に人間の個性は個性として描かれていると言う意味でのおおらかさ。
だって、思わず笑いが漏れる場面もそこそこあったし。
私にとっての「凄い!」はあのカウンセラー!
的確な助言とサポート。性同一性障害については日本でも最近良く知られてきているけれど、多分あのようなサポートシステムは無いのではないか?と、思う。あっても足りない?
この障害だけについてでなく、あらゆる障害、病をサポートするシステムが向上することが今の社会では急を要するのではないかと思って見ていた。
うつ病での自殺者の数の多さについてのニュースを見た後なんか。
アメリカのドラマを見ていると(あくまでドラマの世界のことですよ)、社会そのものが日本より難しくなっていると思うのに、意外にいいサポート体制がとられているのに感心することがある。
勿論その分取り残されもれている人の多さも又物凄く多いのではないかという推測も出来るのだけれど・・・。
色々なことでの「カミングアウト」が日本でも増え始めているということは、それだけ社会が人の多面性を?個性を?認める方向に進んでいるのだと思いはするけれど、こんなに多面的になった社会と言うのは本当に成熟した社会を意味するのかどうか私には未だ分からない。
ただ実際に障害を抱えた人が居る限り、支えあい認めあう社会こそが優しいと言えるのだろうと、完全に女性になった「父」を見る息子の愛情の籠もった眼差しに思わされた。
事実を受け入れる側にも勇気とおおらかな愛情が要求されるという試練は避けられないが!
しかし自分の生涯にかまけて息子の事などすっかり忘れた親が旅を重ねて息子への愛情に目覚めていくところなど、「いいなぁ!」
一寸時間が短すぎて急ぎすぎのような気もしたけれど、「これでいいのだ!」気分!
だからある意味複雑な映画なのに、後味がとてもハートフル。
フェリシティの「デスパレートな妻たちⅠ」を楽しく見ていた。
そして彼女の役が一番好きだったから、この映画が来るのを楽しみにしていた。
間もなく「デスパレートな妻たちⅡ」が始まると言うので、それも楽しみにしている。
素敵な女優さんを見つけた!
一緒に見に行った友人はため息をついて「あんな可愛い息子一家に一人欲しいわね!」と言った。
いかにも女の子のお母さんが言いそうなことじゃありませんか?
「それが最初に言う感想ですかね?家には可愛いのが2人居たけどね・・・」過去形ですが・・・???