監督  クリント・イーストウッド
出演  ライアン・フィリップ、アダム・ビーチ、ジェシー・ブラッドフォード、バリー・ペッパー、ポール・ウォーカー、ジョン・スラッテリー、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、

さっきからこの映画の事を書こうとして座っているのだが、最初の言葉すらも出てこない。だから出てこないと言う事を書いたら・・・ひょっとして?・・・と思って書き出してみた。
何を覚えている?・・・音楽!うん、音楽。
心にとーんと落ちている。米軍に向かって恋人のところへ帰れと促す語りの後のしーんと心に染み入る曲(あれって東京ローズ?)、そしてこの映画のテーマ、エンディング、その他も。
それから?・・・あの物量!
硫黄島が米軍の戦艦や輸送艦にぐるりと取り巻かれ、その上にあの鈴なりの兵隊。あれを見たとき妙にリアルにこの戦争に勝てると思った人たちの無謀な愚かさ、取り返しのきかない過ちの重さに胸を突き刺された。
それから?・・・インディアンの海兵隊員アイラ。
あの頃の日系の人たちと同じだろうか?アメリカに忠誠を尽くすことで、命を投げ出すことでアメリカ人になりきろうとした。または家族たちをアメリカ人として受け入れられてもらいたい一心で?またはアメリカ人としての誇りを持ちたくて?それでも結局「インディアンめ!」と言われ、差別され、貶められる。どこの国でも同じだ・・・とアイヌ人を思い出していた私。軍隊の中で生き生きしていたアイラと戦後酔いつぶれ生き方を見出せないアイラ。「ウインド・トーカーズ」で見た俳優さん、とつとつと知した喋りに無垢・素朴を感じさせる、いい感じの俳優さん。いい感じと言えばバリー・ペッパーの演じたマイク軍曹。
それから?・・・そうあの写真!
戦場でなら数限りなくあっただろう国旗を掲げるシーン。その一つに過ぎないのに、妙に絵となる構図だったために、激戦の地の山上に立ったために、利用されまくってしまった写真。あの頃の米国にも厭戦気分あったんだ!金に困っていたんだ!あの利用を考え出した広報?の非情さ。財務省の担当者と海軍の担当者のあり方。そして一番は生き残った当事者の3人のその後の人生。せいぜい20歳前後?可哀相に生き残った後の人生の長く思えたことだろう。
病室で死を迎えようとしている「今」、硫黄島での「過去」、戦時公債キャンペーン中の「過去」の三重構造がちょっと忙しくて、戸惑ったり、感情移入がよろめいたりした分?却ってじっくりその当時がどうなっていたのかと言う事を追って読んでいけたので、彼らを理解できたのかも知れない・・・と、思う。
だから監督が言いたかったことも、頭に描けたような。
戦争へ行きたくない。誰も戦争に行かせたくない。
誰もあんなところで死なせたくない。誰にもあんな殺し方をさせたくないしあんな殺され方をさせたくない。アメリカと日本、立場が逆転していても政府や軍がしたことは、考えたことは、きっと同じだったろう。
日本も、日本の軍も硫黄島の様に全滅・一億玉砕を叫んでいたのだから。硫黄島を利用したことでは同じだ。
心などというものを毛筋程も思いやる心など無くなるのが戦争だから。
戦場ではヒーローは生まれない。戦場に行かなかった人間が戦争に利用するためにヒーローは作られる。
アメリカ側からだけでなく日本側からも撮られたというもう一つの映画も見てからならまた書くことが出来るかもしれない。
反対側からの視点を持つ余裕が平和の証であってほしいけれど、アメリカは今まだ戦時下で、兵士が亡くなり続けている。この国も片棒を担ぎ続けている。
映画の原作がこの帰還できた衛生兵の息子の手によるものだということも一つの明るさかも知れない。
過去は語り継がれるべきものだから。