監督  マーク・ライデル
出演  ヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘップバーン、ジェーン・フォンダ、ダグ・マッケオン、ウィリアム・ラントゥ

先日カズオ・イシグロの映画化だからといって「上海の伯爵夫人」を見に行ったが、彼の作品というとなんといっても「日の名残り」が印象に残っている。その「日の名残り」の事を思い出すと連続して思い出されるのがこの映画だ。物語り的にも全然関係ないし、舞台もイギリスとアメリカだし、単純に日の名残りが見られる時間が黄昏だからだ?と言ってしまってはみもふたもないが。
ただ老人を描いたという意味で、しかも頑固に生きた老人を描いた、人生の終章を描いたという点で共通の味わいがある。
先日八千草薫さんと杉浦直樹さんの出演での舞台の広告を見ていた。
多分非常に好配役だろうなぁ・・・と思ってその記事を読んだが、日本人の俳優によって演じられるその舞台は身近過ぎて自分にぴったり引き付けてしまいそうだぞ・・・という懸念もある。
「黄昏」も「日の名残り」も外国の話だというところに程の良い感傷に素直に浸れるという一種のクッションが私の場合あるのだと思う。照れないで見られるのだ。
老いてはいてもヘンリーもキャサリンもおしゃれだったしなぁ・・・あの当時そう思ったのだった。
全てが人も別荘もその周りの景色も羨ましいくらい美しかった。
そのあたりで痛みを感じないで感傷にふけれたのだろうと今は思う。
だけど今は切実なんだなぁ。
人生の黄昏がいつかということは人それぞれだし、その同じ人でもある年はしっかり黄昏ていたのに、翌年は気を取り直して生き生きしていた・・・なんてこともあるし。そろそろ老年を迎えるから親孝行できる時に・・・なんて思い初めた頃に急に亡くなってしまった母のようなこともある。その私の母は自分の人生の黄昏時を認識したことはあったのだろうか?母の歳までまだ15年も残している私は先月から起きた腰痛を庇っていたら?首も回らなくなってしっかり人生の終わりを痛感している。だから?この映画を思い出した?
いずれにしてもこの映画は決して忘れることのない輝きを私の映画史?のなかに燦然ときらめかせている映画の一つだ。
人なら大抵は必ず迎える時の一つの普遍的な現れのような気がするからかもしれない。
夫婦が二人で老年を迎えると、きっとこんな時が来るのだろうなぁ・・・という?
子供と問題のない親なんてそうはいないし、首尾よく分かり合えて、愛を確認しあえて・・・晩年を迎えるなんてこともそうそうはないかもしれない。
ヘンリーとジェーンのフォンダ父娘が同じ眼をしていた、確か。
だからなお更親子のことが、確執も理解も素直に心にしみたんだろうか。
でも時間が無くなる時が来ることは確からしいから?なるべくは心を広くおおらかに(大雑把に?)受け入れることは受け入れ、受け入れられないことも受け入れ・・・ということも心できれば・・・と思わされた映画だ。
だけど頑固になっていく一方、せっかちになっていく一方、弾力性がなくなっていく一方、我慢がきかなくなっていく一方・・・なんだなぁ・・・やっぱり今はもう人生の日の名残りを秒読みしている段階に入ったのかなぁ?
願わくば、キャサリン・ヘップバーンさんのような美しい賢い老年を迎えられますように・・・と、ひたすら願うしかないかな?無駄だ!無理だ!有り得ない!