監督  アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウ
出演  ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、役所広司、
菊池凛子、ガエル・ガルシア・ベルナル、アドリアナ・バラッザ、二階堂智、エル・ファニング

「バベル」と表題を聞いた段階でこの映画のモチーフというか監督が言いたいことの概略がわかるような気がしましたが、はて、ブリューゲルの「バベルの塔」ほどの?映画大作が出来たのでしょうか?
旧約聖書でもこの話は面白く読んだような記憶もありますし・・・ちょっと素通りしたくない含蓄満ち溢れた心躍る題ですし・・・後ろに「ベン・ハー」「スパルタカス」「十戒」「クオ・ヴァデス」みたいななつかしの大作が顔を出しているんじゃないでしょうか・・・なんて・・・現代の巨匠がどんな塔を築き上げたか見てみようじゃないですか?
入り口で「上映開始から1時間20分後のクラブ内のシーンにて。1~2分の間、照明が高速で点滅するシーンが・・・云々」のお断りを貰って、ちょっとドキドキ?なんか凄いものが見られるのかなぁワクワク?
・・・!やっぱりバベルの塔は築き上げるのは本当に難しかったようです。何を表現しようとしたか。何を描きたかったか。何を伝えたかったか。ということに関しては私なりに受け取った物はありました。4つの国、4つの言語。すでにして、人々は分けられ共通の物は何一つ無く、理解し合い繋がり合い知り合おうとなんか、はなっから思っていない人間たちに1発の銃弾という災厄?が降りかかることで、繋がってしまった物語。風が吹くと桶やが・・・ですか。
この監督はメキシコ人だそうで、それでかな、メキシコの結婚式の挿話が一番地に足が付いているというか生き生きしていたなぁ・・・裏返すとこの中の日本部分にはちょっとナットクが行かなかったってこともあるのだけれど。そうそう入場時に渡された「照明高速点滅」はまさかと思った日本シーンでした。驚いたけれど、確かに渋谷は私にとって既に?得たいの知れない町だから、「こんなのかな?今の渋谷は?こんなんかな?今の高校生は?」でもあったのだけれど。ただ今の高校生がどんなであるにせよ、この子供たちが世界中で「日本の女の子って・・・」の基準にまさかならないでしょうね?いえ、ソリャどこにだって色々な状況下の色々な人がいるでしょうけどって百も承知。その上でデモネです。言葉も心も通じあわなくなった関係を描くのに父娘を持ってくるのはいい!通じ合えない表現としての聾唖もいい!それでもデモネと思ったのです。この監督の中にある日本てなんでしょ!これですか?
それだけでなく、きっとモロッコの人もきっと描かれたモロッコに悲しむのじゃないでしょうか?モロッコの現状が「あの感じ」だとしても、描かれる子供は何故ああじゃなければならなかったのか、そこに全く共感も理解も抱けませんでした。
彼が妻・子を取り戻せたとしてその代償は?で、日本人の父娘が理解しあえたとしてその代償は?
大作の印象はあったし、気宇も感じましたが、読み解いて理解したいという気持ちになるには厭な棘が幾つもあって不愉快だなぁと思ったのです。
お互いの心を繋ぎあうための旅行に何であの土地を選ぶの?子供を失ったらしいのに何故大事な子供を子守任せに出来るの?テロが怖いアメリカ人旅行者が無防備に何でイスラムの地へ出かけていくの?子守の事情に無頓着でその結果に責任をどう取るの?他人の子供を守りきった子守が全てを失ったことに?アメリカ人の前で自己を通じさせられなかったあの能天気な甥はどうなるの?子供を殺された父親に何を伝えられるというの?あの悲しみをどう贖うの?あの国とこの国のために一方のあの国とこの国はツケを払わされると?世界の今はこんなだと見得を切りたいの?それがなんになるの?・・・とまぁ、こんな気分でいい訳はありません!それが狙いでしたか?この棘こそが意図だと?結局こんな風にメキシコ人には日本もモロッコも解からないのですよって?そもそも神は人間が嫌いなのかも!