監督  フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演  ウルリッヒ・ミューエ、セバスチャン・コッホ、マルティナ・ゲデック、ウルリッヒ・ツゥクール、トマス・ティーマ、ハンス=ウーヴェ・バウアー

老化が進んでいます。友人と渋谷まで重い腰を上げて出て行ったら、昨日までだったといわれてしまいました。こんなことがこの頃結構あります。いい評を耳にして、それなら一寸長く上映するだろうなんて思う私が甘いんですけどね。見逃して悔しいから言いますが、渋谷は大人の町ではないんですよ。行くのは気分が今一面倒臭がってなかなか・・・こんな映画は大人の銀座でして欲しいよと友人とぼやきます。捨てる神在れば・・・ギンレイがある!ありがたいことですよ。でも、ギンレイもそのときにならないとやってくれるかくれないか分からないのが難点です。でもま、見れました!

セバスチャン・コッホっていう人の顔好きなんですけど、何でかなぁ、彼の事を思うと赤ちゃんを思い出すのよね。キューピーと似ているなんて思わないのに?悪い人なんて絶対できないなんて思っちゃう。ふぅんわり甘ぁーい感じ?理想を謹厳な理想にしない柔らかな持ち味?と言うわけで今回も頷ける配役で填まっていました。知的な魅力が横溢していました。

だけど、主演のウルリッヒさんの目、見ました?初めごろのヘッドフォンをとる時、講義する時の目と最後に本を手にとって「ボクの本だ」って言う時の目!こういう人を俳優さんと言うのだろうな!
ヴィスラーの精神の軌跡が心に滲み込んで来ます。孤独で乾いて感動も無くなっていた心にしみこんでいくものが見えるようでした。すべてはウルリッヒさんの目がなす技でした。
この映画の3本柱、女優のクリスタを演じたマルチナさんも素晴らしくて、彼女の苦悩、愛も誠意も裏切りも慙愧も一人の女が背負わされるには余りに過酷なすべてを見せてくれました。
今もまだ東西真の融和の難しさが報じられる国のあの当時の東側の人々がこの3人に凝縮されてあの映画の画面に立ち上がって来ました。
知らないということは、知らないままで済ませることは罪なんだと思いました。
だって、ドライマンが「あのクリスタが死ぬまで・彼がスパイされなかったこと?」の真相を知ろうと努力しなかったら、あの「HGXxxx?」にたどり着くことは無かったし、彼自身もう作品は書けなくなっていただろうと思われたからです。
しかしそれにも増して本当の感動は、すべてを見破った上司に格下げされ日陰に落とされたヴィスラーが淡々と背筋を伸ばし日常をこなし、その目がきれいに輝きを増してそしてあの本と出会う!そこにこそありました。本を抱いた彼の目の中に浮かぶ誇りと尊厳!理解されたことへの感謝と喜び!
なんて静かに感動させる映画だったことだろう!
ソナタはただ単にあの時彼の耳に入ってきた音楽としてだけでなく、彼の知らなかった、彼が覗き見た人たちが奏でていた愛のある世界だったのかもしれないなぁ。

自殺者の多かった東ドイツ、今多い日本、北朝鮮はどうなのだろう?南北半島の壁が崩壊する時どんなことが起こるのだろう・・・見終わった後素晴らしい映画を見たと言う感動の下でジワリと未来の不安を感じました。