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 監督  ケヴィン・マクドナルド

ドキュメンタリー
ナチの戦犯の一人の、戦後逃げ延びて長寿をまっとう?した男の人生を丹念に様々な立場の人の証言をもとに構成した作品だった。
あらゆる戦争の度に繰り広げられる裁きと復讐の一つの典型だろうと思った。
見終わったときに最初に思ったのは「圧倒的に国って悪い!」「国は怖い!」「国は厭だ!」ということだった。
戦争が起こればその過程で勝っている方が負けている人民にすることは何時いかなる戦争でも同じだ。そのまま勝ち進んで征服してしまえば起こらないかもしれないことだが、その成り行きが覆った時には必ず復讐・報復、こういうことが起こる。しかも歴史はその繰り返しに尽きている気配。
拷問のスペシャリストで子供を含め多くのユダヤ人を死に送り出した男を、娘は「いい、やさしい父親だ」と言う。これも何時もどこでも繰り返される言葉である。
個人ではしないこと、できるはずも無い事を、戦下では出来てしまう。出来ない人間はそこでは無事に生き抜いていくもとができ無くなる。それでも迫害された人間は覆して勝ったとき今度は復讐と捌きを求める。
「殺した人間は殺されてしかるべきだ」もっともだ!
だけどそれが反対になったら?

その世界で、その時点で、よりよく生きようとすれば・・・?
戦争裁判は勝者の復讐に過ぎない。痛められた人間はその代償を求めずにはいられない・・・それももっともだ!どっちが勝ってもやることだ。
個人だったら出来ないことが国の名の下に召集された時、できるようになる。その国の名の下でしたことに個人は責任あるのか?
しなかった人間、心強くも拒否して制裁に甘んじた人間も確かにいる!そこに僅かの救いを感じるが、でもそれは僅かで、自分がそうなれる自信も無い。「・・・するってーと?」と私は考え込んでしまった。
国の名、民族の名、人種の名の下に殺された人を全部計りに乗せてつりあうように同量殺す?
教育の名の下に何時までも恨みを語り継ぎ不和を紡ぎ続けたり、また同じ教育の下にしたことにホッッカムリをする事を続けて、国というものは過去を今にする。

時には神の名の下に。
神があってもいけない!国があってもいけない!そうとしか思えなくなった私だが、特にねぇ・・・大国はもっといけない!