「この自由な世界で」

監督  ケン・ローチ
出演  カーストン・ウェアリング、ジュリエット・エリス、レズワス・ジュリック、ジョー・シフリート、コリン・コフリン、レイモンド・マーンズ

この監督の「麦の穂をゆらす風」という映画が私に忘れられない印象を植え付けたので、その時も何もできない自分を再確認しただけだったのだけど、なんと不遜なことに!やっぱりたまには目を開かせていただかないとただただ怠惰に流れる自分を知っていますし・・・考えるだけしか出来なくとも、でもそれは必要なことではないか?という気もするし・・・。というわけで出かけました。
そしてまたあの時と同じように、私は自分の住む安易な時と場所に何もできない自分を見出して忸怩としています。
だって、この安全である程度満ち足りている生活は、絶対何処かで何かを踏んずけていることは意識できますもの。
隅田川を下ればブルーテントの膨大な居住者、ニュースを見れば金日成の死亡如何ではの緊迫した北朝鮮の難民の話題、アメリカの底知れなくなりそうな世界中を巻き込む恐慌、その社会でとりあえず安穏としていられる者は搾取している側でないと言い切れますか?
というより、この映画を見た後では自由社会は搾取自由社会ということですと思いしらされます。「何をしても自由」という世界があっていいはずはないのに、弱い者も、もっと弱いものから搾取する自由。それに気が付いてしまった、その泥沼のうまみを知ってしまった主人公が怖かったです。
付いていけなくなって袂を分かった友人も、掴んだ金は手放さなかったですものね。人は手に入れた、それも自分の才覚で手に入れた物はなかなか離せるものではありません。こんな怖い思いをしても、彼女はまだ何とか自分の才覚を頼ってやっていける、搾取できる弱者はそれこそ世界中に山のようにいると言う事を知ってしまっていますから。父母のようにつましく生きる生活にはうんざりしている。自分を生かしてくれなかった男会社には目に物を見せてやりたい。
自分は踏みつけられたのだから今度は踏みつけるものがあればそれを土台に・・・金!金!金!に縛られていることにはもう気が付くことはなくて。この哀れな連鎖、彼女から取り返した男たちもその上にそびえる社会には何もできない。出来る範囲は自分の力で抑えられる範囲。巨大な社会の仕組みの前には彼らの力は無力過ぎる。どうしてもこの連鎖は切れない、ここで彼女がつぶれても、また何処かで彼女と同じ人が生まれる・・・それが重なり合ってその仕組みの上に無意識の人々が乗って複雑怪奇に世界は回っている。自分はどこのどんな駒なのかもう分からない・・・でもそこに生きている、その上に安穏をむさぼっている。なんとおぞましい!と思いながら同情も共感も哀れみもさげすみも何の意味もないと思いつつ、それでも彼女の生きる強さ、逞しさに圧倒されて、「凄い!}と思い、ただただ感歎する私も確かにいる。

二作見ただけだけれど、この監督は演技者を選び出す才能が凄い!

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