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監督  クリント・イーストウッド
出演  クリント・イーストウッド、ビー・ヴァン、アーニー・ハー、クリストファー・カーリー、ブライアン・ヘイリー、ブライアン・ホウ、ジェラルディン・ヒューズ

もうなんとも言う言葉も要らない永遠に心に残る映画だった。
この映画を父と見に行ったということがなんともおかしなシチュエーションになっていたが・・・それだけに忘れられないだろう。
朝鮮戦争などはとっくに忘れたような顔をし、ベトナム戦争などはなんだったっけ?みたいな顔をしたい、そして原爆のことはなんかの間違いでしょう・・・パール・ハーバーだけ覚えておけばいいのさ・・・・・みたいなのがアメリカ人だ・・・っていう気がしているのだけれど、普段。
硫黄島二作でおや?と目をこすり・・・まだ知ろうとしていてくれるんだ・・・と言う感動を覚えたのだったけれど、今度はモン族(ベトナム戦争)と朝鮮戦争だった。
クリントはアメリカの過去をちゃんと見ようと努力する目を、または意識を持っているんだ。
カトリックの神父がまた秀逸でウオルトと向き合う姿勢にこの若い神父の秘める宗教の力と彼の柔軟な人間性をも感じさせられたが、結局ウオルトは懺悔では許されるはずも無いものがある事を知っていた。そこがまたこの人物を陰影の深いもの、潔いものにしていたのだと思う。
モン族の事を姉娘がクリントのウオルトに説明する件があった。
ベトナム戦争の時、アメリカに肩入れして故郷に居られなくなった少数民族だと。彼らの生活は何に依存していたのだろう?
あのデトロイト郊外の住宅地にかなり大量に?移住してきており、タオもその従兄たちのチンピラもどうやら仕事も無い日々を送っているらしいのに・・・彼らの親世代の生活はさほど困窮しているように見えなかった。アメリカの何らかの保障を受ける世代なのだろうか?
タオのしたことに対しての謝罪の、ウオルトへの感謝の民族の表現、贈り物攻勢が素朴で愛らしかった。
ベトナム戦争の傷跡もまだこういった意外な形でも残っている。朝鮮戦争で戦った世代の心の痛み、PTSDを抱える人々もまだ残っている。その事実にも目を向けて。その上に立脚してこの物語は成立している。
その上に白人であり、人種差別も含めて、頑固一徹に自分であり続けてきた男の人間としての誠実さが見事に表現されていたのだ。
人間としての・・・などと大上段に書くのはおかしい。彼はウオルトで、ウオルトらしく生き抜いたということの確かさが胸を打ったのだから。
むしろ厭な隣人だったからこそ彼の心は動かされたのだろうし、家族は家族だったからこそ努力は得られなかったのだろうと思う。家族は居て当たり前で努力して、言葉を尽くして理解しあうものでは本来無いからだ。
家族から距離があったからこそウオルトは自分の生き方を自分ひとりで選び取れたのだと思うし、それがこの男の見事さになって見るものの心を打ったのだ。
彼に心を開いていく少年は見ている私でもあって、彼に言葉を尽くす姉もまた私でもあって・・・物事は言葉を尽くすことから始まるのかもしれない・・・と、改めて思った。
「何でこんなものを見るんだよ、女の癖に」と、言われながらもダーティ・ハリーにさえ見る物を見た思いの私にはこの映画の中に散りばめられたハリーの残像に懐かしい日々を思い起こし、彼の眉間の皺、細められた瞳、彼が銃を構え、ツバをはき、ののしり言葉を吐くたびに過去の膨大な作品群がフラッシュバックをするといった記憶の重層的な厚みをも感じさせる‘大作’に成っていた。
クリントの映画人生を濃縮して味わったような素晴らしい時間だった!
タオがグラン・トリノにディジーを乗せて海岸線を走っていく横顔、そしてその後車が長く連なっていくエンディングの長い光のある道路の光景は未来に連綿として続いていくだろう人間を象徴しているようで暖かさを感じていた。被さる曲がまたいい!古き、善き、アメリカよ、確かに有ったんだ?