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監督  ピエール・ショレール
出演  ギョーム・ドパルデュー、マックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴ、ジュディット・シュムラ、パトリック・デカン、オーレ・アッティカ

一緒に行った友人は「彼の削げた横顔にかっ攫われちゃった!」そうなんですが・・・実際私は彼の顔が分からなかったようなんです。そう書くのはおかしいのですが・・・私は昨年「ランジェ公爵夫人」を見ているんです。あの映画も実に映像が暗くて・・・一体見せる気があるのか?見る努力を強いるのが芸術だと思っているんじゃないでしょうね?」みたいに思わせぶりな、あまり目に優しくない映画でした。で結局物語が物語で、主人公たちの人間性が明確にならなくて、私は彼の顔を掴み損ねたようでした。そこに持ってきてこの映画です。
この映画も「フランス映画って!」と嘆かせる曲者でした。特に前半は目を凝らすのに一生懸命ってところがありました。静かで・・・暗い!でお隣のお隣の大きな奥様は鼾を書く有様。
ランジェ公爵夫人のギョームとこの映画のギョームとの間には大きな広い川が流れているようですが(確かに両極端の男性像です)、どっちの作品からも漂ってきて感じさせられたのは横顔のはっきりしない難しいあいまいな男です。個性は強いのに・・・固定できない影の中です。
さてこの映画ですが・・・どこの国にもホームレスの住みやすいところってあるのでしょうね。この場合あのベルサイユ、観光客で賑わい・・・実際私も明るい部分だけはしゃいで輝きに目を奪われて廻ってきましたが・・・あのベルサイユのあの美しい庭園の向うに広がる広大な森林にあんなに人々が住んでいるとは思いもかけませんでした。
ダミアンは否応無く子供を押し付けられ・・・多分長い間考える事を放棄していた「生きること」を考えたのでしょう。いたいけな子供が戸籍もしたがってなんの権利も無く世の中に放り出されたということの結果を考えたのでしょうね。病気を助けられて・・・なお更真摯になったのでしょう。でも自分ひとりの力では出来なかったのです。そして・・・子供に家庭と戸籍と権利を与えて・・・つまり自分の実の父親に責任を丸投げして・・・素の自分に戻って行きます。役所で自分の(詐称した)経歴を語るとき・・・麻薬や病歴は本当の事を語ったのでしょうね・・・で、私は彼はあの森で今度は助ける人も無く亡くなってしまう道を選んだのかも・・・と、思ってしまいました。
それはどうしても?役者本人の影とどうしてもダブってしまったからでしょうか。働こうとしても働ける身体を彼はもう持っていなかったのですし、自分を回復させる・・・そこまでは父に頼りたくも無かったから・・・っていう気がしてならなかったのです。
私にもう一つ頷けないのはエンゾの母です。子供連れて避難し、働く機会も施設もあったのに・・・彼女が選んだあの新聞の彼女はどんな主張を新聞に載せていたのでしょう?そこがもう一つ分からなくて、この母の言い訳が素直に滲みてきませんでした。
エンゾがとりあえず母を受け入れてもその後は?とどうしても思ってしまうのです。
それでもダミアンからエンゾが受け継いだもの・・・今一あいまいな形ではあっても「勇気」は・・・心に残ったのでしょう。