父と暮せば

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監督  黒木一雄
出演  宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信

ここ数年体調を保っていた父が今年の夏は元気が無く、ここ2月も上京していません。あの映画好きが、映画も「「ゆれる」見に行こうかなぁ。「回天」(出口のない海)見に行こうかなぁ・・・」と言ったきり、行っていないようです。香川照之さんファンなのに、横山秀夫さんの本のファンなのにね。
その父が月初めに「お彼岸に(母の)墓参には何とか上京するよ。」と電話をかけてきました。
「これで少しは安心?」と、思っていたら、又「その折には「紙屋悦子の青春」を、又岩波ホールに見に行こうな。」と、一昨日又電話してきました。
自分で予定を立てて気力を振り絞っているのかなぁ・・・?
岩波ホールと言えば、前回は・・・「父と暮せば」でしたっけ。
黒木監督といえば私はまだ「TOMORROW明日」と「父と暮せば」の2作品しか見ていないというのに、残念なことでした。ご冥福をお祈りします。
ですから「紙屋・・・」を見れば3作目ということになります。
この「父と暮せば」を思い出しましたので書いてみます。
父と娘が見に行く作品としては妙にぴったりのようで?なんとなくそこはかとなく照れました。
父の情愛と娘の父への思いが日常的な楽しげな何気ない会話の中に浮かび上がって来ましたっけ。
広島弁は全くといっていいほど初めてでしたので、上手いかどうかということはともかく、りえさんの優しく透明な声で可愛らしく語られると、なんとも言えず娘の心根の慎ましさが匂いたつようでした。
目のくるくるした動きと声の弾み方が連動して心の波のさざめきや、この娘が元々持っていたに違いない明るさまでもが、いじらしく表現されているようでした。
被爆した挙句に、こんなにも悲しくいじらしく慎ましく自分を責め自分を戒めて幸せに背を向けているなんて・・・声高にアメリカの仕打ちをなじるよりどんなにかあの原爆が引き起こした無残さが心に迫ってきたことか。
土壇場で父を見捨てて逃げた事で自分を責める時の、娘と父との遣り取りにやりきれない涙を浮かべずには居られなかったでしょう?
「TOMORROW」もそうでした。
小さくささやかに日常を描写して重ねていって、そのいじらしく生きていた人たちにどんな明日が来たことか!胸を鷲づかみにされた感じでしたものね。
父が原爆の日の事を舞台で見栄を切るように話す一人芝居風の語りがありましたが、その中で「母のお乳を飲んでいた赤子・・・」のところで「TOMORROW」の桃井かおりさんが演じた若い母親、ちょうど赤ちゃんを産んだばかりの・・・を、思い出しました。
こうして黒木監督は見るものの心に一枚一枚の薄紙を重ねるように反戦の意志を強くさせてくれるんだなぁ・・・凄いなぁ!と、思ったことでした。
映像が出来る限りの最高のメッセージをしっかり見る人に送り届けたなぁ・・・と、思ったものでした。
その監督の遺作です。「紙屋悦子の青春」また父と見に行くことが出来るのもありがたいことですし・・・「楽しみにしている」と言うのも変な映画の様ですが、どんな事をおっしゃりたかったのかなぁ・・・と。
そして監督に「私の見たこの2作ほど、原爆について考えさせたものはありません。」と言いたいと思いました。
そうそう「父と暮せば」は原作は井上ひさしさんで舞台もあるのですね?父と娘誰が演じたのでしょう?
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トランスアメリカ

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監督 ダンカン・タッカー
出演 フェリシティ・ハフマン、ケヴィン・ゼガーズ、フィオヌラ・フラナガン、キャリー・プレストン、バート・ヤング、グレアム・グリーン

キャッチフレーズが全くそのままと言う珍しい映画だった。
「世にもフクザツな親子が愛を見つけた旅物語」
こんな設定がありえて、しかも不思議なことに、ごくノーマルな私がなにがなし感動して劇場がすっかり明るくなっても立たずに最後の一人になって席を立つとは!
この映画を見ているとあらゆる性の概念が受け入れられて、偏見がこの世からなくなったような錯覚を覚える。
だから主人公の母の反応が一番普通なのに、一番エキセントリックでおかしいとすら思えてしまうくらいだ。
主人公を演じたフェリシティの好演は確かに素晴らしく光っていた。
本当に難しい役だと思ったのに、時には男性に確かに見えてしまったり、時には本当に女性らしく見えてしまったり?
女性でしかない?私から見ても「私より圧倒的に女性女性している・・・!」と、思ってしまったところで、彼女の演技に脱帽した!
一番ピンクの女性らしい服装をしてはにかみながら表れた時に一番からだの線が男性的に見えたあの不思議!
そして性同一性障害の父?、その息子が又ゲイであることのなんと言うか因縁みたいなもの。
これは下手すると「親の因果が子に報い・・・」的な世界になりかねないのに・・・実に人間の個性は個性として描かれていると言う意味でのおおらかさ。
だって、思わず笑いが漏れる場面もそこそこあったし。
私にとっての「凄い!」はあのカウンセラー!
的確な助言とサポート。性同一性障害については日本でも最近良く知られてきているけれど、多分あのようなサポートシステムは無いのではないか?と、思う。あっても足りない?
この障害だけについてでなく、あらゆる障害、病をサポートするシステムが向上することが今の社会では急を要するのではないかと思って見ていた。
うつ病での自殺者の数の多さについてのニュースを見た後なんか。
アメリカのドラマを見ていると(あくまでドラマの世界のことですよ)、社会そのものが日本より難しくなっていると思うのに、意外にいいサポート体制がとられているのに感心することがある。
勿論その分取り残されもれている人の多さも又物凄く多いのではないかという推測も出来るのだけれど・・・。
色々なことでの「カミングアウト」が日本でも増え始めているということは、それだけ社会が人の多面性を?個性を?認める方向に進んでいるのだと思いはするけれど、こんなに多面的になった社会と言うのは本当に成熟した社会を意味するのかどうか私には未だ分からない。
ただ実際に障害を抱えた人が居る限り、支えあい認めあう社会こそが優しいと言えるのだろうと、完全に女性になった「父」を見る息子の愛情の籠もった眼差しに思わされた。
事実を受け入れる側にも勇気とおおらかな愛情が要求されるという試練は避けられないが!
しかし自分の生涯にかまけて息子の事などすっかり忘れた親が旅を重ねて息子への愛情に目覚めていくところなど、「いいなぁ!」
一寸時間が短すぎて急ぎすぎのような気もしたけれど、「これでいいのだ!」気分!
だからある意味複雑な映画なのに、後味がとてもハートフル。
フェリシティの「デスパレートな妻たちⅠ」を楽しく見ていた。
そして彼女の役が一番好きだったから、この映画が来るのを楽しみにしていた。
間もなく「デスパレートな妻たちⅡ」が始まると言うので、それも楽しみにしている。
素敵な女優さんを見つけた!
一緒に見に行った友人はため息をついて「あんな可愛い息子一家に一人欲しいわね!」と言った。
いかにも女の子のお母さんが言いそうなことじゃありませんか?
「それが最初に言う感想ですかね?家には可愛いのが2人居たけどね・・・」過去形ですが・・・???
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太陽

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監督  アレクサンドル・ソクーロフ
出演  イッセー・尾形、佐野四郎、桃井かおり、つじしんめい、ロバート・ドーソン

さーて、何から書けばいいのかな?
シネパトス単館上映なので仕方が無い・・・と、30分前に映画館へ言ったら、長蛇の列(あの映画館の収容人数にしては)、案の定立ち見ですって。座りました!
不思議な映画でした。
色調といい、全体のトーンといい、リズムといい・・・日本映画なんだと感じてしまいました。
勿論登場人物は非常に少ない映画で、しかもその殆どが日本人ですから、そうなって当たり前と言えばそうなんですが、ロシア映画なんですね、これが!
私が生まれたときにはもう昭和天皇は人間でしたから、戦前・戦中の教育を受けた人々の混乱は知らないのですが、その天皇の人間宣言を録音した技師が自裁したと言うことはこの映画で初めて知りました。
この映画のこの一瞬で天皇が人間だと言う私たちにとって余りにも当たり前のことに当時の人々が受けた衝撃というものを知りました。「The Sun.」って言葉が一度出てきました!
大体私たちは授業で戦争前後の事を習っていません。
戦国時代から明治初期までを猛烈に熱を持って何時間も掛けて教えてくれた歴史の先生に「学年が終るまでに教科書終らないぞ?」と心配していた私を思い出しました。
高校二年生だったでしょうか。
学年が終る頃その歴史の先生は「教科書の残りは自分で読んでおけばいいでしょう。入試には出ません!」と言ったことまで思い出しました。
受験校の受験予備軍だった私はそれで安心してしまってその先は読みもしなかったのだということも。
だから当然自分の子どもたちがその頃の歴史を習ったのかどうかと言うことさえ私は知りませんし、別に気にもしていませんでした。
この映画の面白いところは?と言う言い方は合っていませんね。興味深いところは・・・私は大和絵の屏風を思い出したのです。
金箔の地に雲があちこち書かれたあの屏風絵です。
あの雲の役割です。省略も飛躍も襤褸隠しにも、自在に使われるあの雲です。
この映画も、人間宣言の録画場面は流しませんでした。
ただ天皇の「ぶつぶつ」と最後のほうで侍従長に天皇は「あの青年はどうしたかね?」と言う質問で表現しています。
そしてその答え。その反応。あの反応は人間の反応でしょうか?神の反応でしょうか?私には分かりませんでした。
他にもその手法を思い出させられたところが随所にありました。
イッセー・尾形さんの天皇の造形はあの口もごもごの最初の瞬間から(私の記憶の中の昭和天皇はいつもああでしたから)昭和天皇として違和感なく収まってしまったので、画面での彼の行為すべてをそのまま天皇のした事、言った事として受け入れてしまいました。
神としてでも、人間としてでも、悲しいくらい、不思議なくらい中途半端な?極端に不足している?言動で、時々観客の間から漏れた失笑や哄笑(普通の笑いも)は尾形さんの演技の力に負うところが大であったにせよ、お気の毒な生涯だったと思わずにはいられませんでした。
私が戦前・戦中・戦後の時代の歴史教育をなにがしか受けていたら、きっとこうは行かなかったでしょう。
外国の監督が撮った映画で天皇が神から人間になった短い時間の変化を知り、受け入れてしまったと言うことを正直残念に思います。(受け入れられるくらい見事な構成の映画だったと思います。)
あの時代の先生たちはもっと真摯に時代を次に担う子どもにきちんと歴史を見つめる事を教えるべきでした。
「自分の怠惰を棚に置いて・・・!」とも思いますが、戦後置いてきぼりにしたものが今の日本を苦しめる結果になっているのではないかという気もしましたから。
それにしてもマッカーサーとの会談。本当にあんなだったのでしょうか?
マッカーサーはあの会話で何を知ることが出来たんでしょう?
原爆を落とされたことに関する会話、マッカーサーの真珠湾言及の切り返し。「私は命令していません。I don’t know.」って言いましたね?
私も第二次世界大戦とその敗戦に関しては「I don’t know.」です。情けないことです!

ダンサー・イン・ザ・ダーク

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監督  ラース・フォン・トリアー
出演  ビョーク、デヴィッド・モース、カトリーヌ・ドヌーブ

デヴィッド・モースの事を書いたからというだけではなく、「何時かこの映画のことは書きたいな。」とは思っていたのです。
ただこの映画の事を語る言葉が見付からなかったのです。
書き始めたからといって、言葉が見付かったわけでもありません。
モースを書いたついでの勢いです!
この映画がモースの映画の仕事での代表作の一つになるかも知れないと思っていますから。

見終わって重く深いため息をついたことは事実ですし、正直直ぐには二度みたいとは思いませんでした。
でも、ミュージカルシーンを思い出すと、見たくて見たくてたまらなくなります。
不思議な撮り方なのです。
絶対自然じゃないと頭の一部は囁くのですが、心は自然に受け入れて陶酔しています。
工場の場面でも、線路の場面でも、そこだけを取り出して見たいくらいに魅力的です。
でも取り出したら途端に意味の無いものになりそうです。
監督がこの映画にこめたものを考えたくない頭もビョークの歌声の前にはしびれました。
ビョークの歌声の力で、モースの演じる独善的な?アメリカ人警察官の心情の情けなさに比べて、移民のビョーク演じるセルマの心根のなんと言えばいいのでしょう、純情とも違うんですね、すれていない一途さとでも言いますか、その心がじっとりとネットリと張り付いてくる感じです。
筋立ての根底になっている眼病、なんでしょう?
設定のための設定で、これは余り深く何の病気で・・・なんていう解説はいらないのでしょうね、多分。
事を明らかにしないセルマの無知な頑固さに、私はいらつきながらも最後の最後に彼女の無知が一途さゆえに美しく思えてしまいました。
殆どビョークの圧倒的な歌の力と彼女自身の持つ味わいのなせる業だと思います。
母性を描くとこういうことって起こりがちです。
同情とか共感とかし易いのです。
私も無知な子どもが唯々可愛い一人の母親だからかもしれません。
科白と音楽と踊りが渾然として織り成した不思議さが物凄く魅力的でしたし、長く重く「記憶に残る映画だ!」と、とにかく「凄い!」と思いましたが、単純に好きかと聞かれると「好き」というのをためらってしまいます。
とにかくソファにひっくり返って気楽には見れないような気がします。
それなりに、「今日は見るぞ!」の覚悟をして・・・やっとでしょうか。
何しろ線路の場面をもう一度見たくてDVDを用意してあるのにもう何年も「そうっと」してあるのですから・・・。

カトリーヌ・ドヌーブが美しかったです。
彼女を見たのは久しぶりでしたから。
でもその後彼女を見たのは「8人の女たち」でしたから、ずっこけてしまいました。
ヤッパリ凄い素敵な女優さんでした!
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デヴィッド・モース

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マシュマロ、好きですか?
ジャガイモ好きですか?
マシュマロを好きなように、ジャガイモを好きなように、なんか分からないけれど好きな俳優さんがこの人です。
マシュマロとかシュークリームとか柔らかくて形が悪いけれど愛嬌があるものとか連想してしまうのは、この人が多分ちんまりと垂れた目とふっくらした赤い頬とかなり大柄に見える雰囲気からかしらねぇ?
うーん、頭の中を絞って思い出す・・・としても、見た映画は多分「ザ・ロック」「交渉人」「グリーン・マイル」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」これくらいです。
しかも「グリーン・マイル」を除けば別に好感が持てるというような役をしていたわけではありません。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」なんてどう考えても好きになれない役を演じていました。
なのに、なんとなく
「どうしているのかな?」
「どんなお仕事してるかな?」
「今度、どんな映画で見られるかな?」なんて思ってしまいます。
なんで私の意識下に忍び込んだのかわからないんですよねぇ。
「ザ・ロック」のエド・ハリスの後ろに立つ姿は(エド・ハリスもよかったけれど)「忠誠とはこんなもんだ!」を絵に描いたようじゃありませんでしたか?
「交渉人」のスワット、「何かあるぞ、こいつ」怪しい匂いぷんぷんでしたよね?
[グリーン・マイル]の看守、こんな感じで見回りしてくれたら死刑台への道だって暫し忘れて癒されますよねぇ?
こじつけて理由を考えると、ごく自然に彼はそこを自然にさせて「居る」んだという感じで私の中にも小さいけれど居場所を作ってしまったということでしょうかねぇ。
でも俳優さんだったら、これは当たり前。
それに+αがあったから印象に残ったんですよね。
それは、その+αってなんだろう・・・?・・・ただ私のタイプだっただけだって?
えー、あのジャガイモさんが?
そういえば吉永小百合さんもジャガイモがタイプだって言っていましたよね。
ジャガイモって「いい女!」の「タイプ!」なんだ、きっと。

今、「夢駆ける馬ドリーマー」に悪役で出ているらしいですね。
幾ら彼でも天才子役さんと馬が敵では・・・勝ち目は見えていますよね。
だから見に行かないんだ!ホント?

先日書いたエドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」、
意外に島田正吾さんの向こうを張れるんじゃないかなぁ。
翻案物、所はアメリカ、南北戦争期、南軍のグレーの制服で・・・なんて、今時流行らない恋物語ですが。
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ダ・ヴィンチ・コード

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「本」で書いたからやはり映画も見てきた以上書くべきだと思う。

ダ・ヴィンチ・コード

が、さて・・・どう書いたらいいものか。
友人から
「今度の「会」丁度いいからダ・ヴィンチ・コード見に行かない?あなた銀座に近いから予約券手に入れておいてくれないかしら?」
と電話があって
「でも会は水曜日よ。六本木はいつも予約するけど日劇のレディスデーも予約できるの?」
「できるでしょ!」
で、すたこら出かけたら、予約の行列は出来ていたけれどなんとか予約できた、4人分。
その後土曜日の夕刊のニュースで開場前に100メートルの列が出来たと読んだ。
だから今日、電話をしてきた友人は「私って本当に先見の明があるわよね!」と、自賛していた。
並んだのは私だけれど、まぁ、確かに!
皆ニュースも読んでいたし、繰り返し繰り返しTVに閃く予告も見ていたし、予約券のある身、のんびり出かけていったら切符を求める長蛇の列が見えたし、期待感はいやがうえにも・・・
と、いった事情を長々書いているということは・・・なんだけれども、
決して映画の出来が悪いと言うことではないのだが、本の感想がしっかり出来ていると、
「映画と原作は別物だよねぇ・・・」なんて、また言ってしまいそうになる。
あの本の中身を凝縮しているのだから、もっとスピード感に満ち満ちてもよさそうなのに、意外とそうはなっていない。
上手に物語が整理されていると言うことも勿論あるのだが、人物描写をすっ飛ばしたせいで妙に簡単なうすべったいお話になってしまったようなのだ。
まづジャン・レノが演じた警視に意外性が無くなった!
イアン・マッケランがガンダルフの陽気な憎めない目つきで終始するので、ついこちらもにこやかになってしまう?
ポール・ベタニーの修道僧の恐ろしいまでのストイックさと狂信と従属が、経過がはしょられているので理解できない!
恐怖感も嫌悪感も沸きそこなった。
カトリックがこの作品を嫌悪する理由はわかったけれど、肝心の謎解きが妙に簡単過ぎない?
シオン修道会はこれじゃぁ何とか無事繋がっていけそうだよねぇ・・・って、えぇっ、安心していいんだっけか?
トム・ハンクスは演技力見せ所が無かったなぁ、オドレイさんは可愛らしさ魅せそこなったなぁ。
でも、フランスやイギリスや舞台はとてもよかったなぁ!
ルーブルとテンプル教会は行ったけど他のとこも行って見たいなぁ!
ロスリンて「ロード・オブ・リング」のロスロリアンを思い出さない?
と言うわけでもう一度いうけれど、小説と映画は別物だからね、映画を見ただけでも「キリスト教って一筋縄じゃ行かないんだなぁ。宗教ってなんなんだ?神なんて出来なければいいのに!」って思えることは思える?
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