「への字の口」を持つ女優

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ジャンヌ・モロー(フランス)
シャーロット・ランプリング(イギリス)

ジャンヌ・モローが1928年の生まれ、シャーロット・ランプリングが1946年の生まれといいますから、キャリアの本当に長い大女優といってもいいでしょう。
かなりの?年の私でさえお二人の若い頃の作品は見た覚えがありません。
それでも名前と顔だけはしっかり知っていたということは、コンスタントにお二人が映画界で活躍続けていたということでしょうね。
多分色々な映画でチョコット出ているのを見ているのでしょう。
この二人の印象が私の中にしっかり出来たのはほんの最近のことです。
ジャンヌ・モローは「デュラス 愛の最終章」2001年、今年公開の映画「ぼくを葬る」があるようです。
シャーロット・ランプリングは「まぼろし」2001年、「スイミングプール」2003年、今年は「家の鍵」が公開されるようです。
だからまだまだ彼女たちの映画見られそうです。嬉しいですね。
「デュラス」も「まぼろし」も「スイミングプール」もフランス映画です。
フランス人のジャンヌ・モローはともかくシャーロット・ランプリングはちょっとユニークです。
この2本のフランス映画で輝きを放ち、というより「存在感を示しました。」という言葉を使った方がいいかもしれません。
私はフランス人だと思っちゃいました。
「デュラス」のジャンヌも「まぼろし」と「スイミングプール」のシャーロットも、にこりともしない不機嫌そうな「への字の口」のままで「女」を描ききりました。
小気味が良かったですね。
年を取ると顔の筋力が衰えると見えて、老人には圧倒的に「への字」口の人が増えますよね。
それがいやで、日ごろ口の端を持ち上げて笑顔口を作るように努力していませんか?
特に女の子は、笑顔笑顔笑顔と押し付けられていませんか?
私はよく両親に「女の子なんだから口の端をきりっと上げていつも笑顔が身につくように努力しなさい。女の子に不機嫌なへの字口は似合わない。」といわれたものですが。
この年になると結構きついです。
自然にしていてふと鏡を見ると口の端は自然に?垂れています。
それが人にいやな印象を与えるのではないかと、自戒して唇を上げ笑顔をつくります。
するとまるで年にこびているようでちょっといやな感じです。
だから、にこりともしないで、しかも老年なのに、ずーっと若い崇拝者に向かって居丈高に「私は魅力的だ!」と言い放つデュラスに驚きましたね。
そしてシャーロットも60歳の女のまだまだ生きている感情と体の生き生きとした魅力をへの字口のまま見事に表現しましたね。
時々頬に浮かぶ笑みはその笑みで人を魅了しようと言う意図は全く持っていませんでした。
ほんの少し自分を、自分の立場を、横目に見ているようなちょっと醒めた皮肉な揶揄する笑みでしたね。
年を経た魅力・年輪の持つ魅力を彼女たちは自信を持って表現していました。
「若い者が絶対見せられない、太刀打ちできない魅力と言うものを私は持っているのよ!
伊達に生きてきたんじゃないのよ。」とその口は雄弁に語っていました。
ほんとあの自信にうっとりしましたよ。
こんな風に立てるように私も生きなくっちゃ!?
でもこれってフランスならではの・・・フランス人しか認めない魅力かも・・・と・・・心配?
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今年の日本アカデミー賞

映画についてのコラム 2 Comments »

「ALWAYS 三丁目の夕日」を圧倒的に印象付けて今年のアカデミー賞の発表が終りました。
小雪さんが残念でした。
あの若さと大柄さと日の出の勢いの女優さんに生活臭(それもかなりくたびれた、セピア色の)を求めるのはなかなか大きなハードルでしたよ。
でもあれが宮沢りえさんだったらひょっとしたら出せたかもしれないなと思ってあの映画見ていました。
女優として伸び盛りという点では甲乙付けられないところでしょうが(好き嫌いは別ですよ)、生き生きするフィールドが違うようです。
むしろ「ラストサムライ」の小雪さんの方が彼女の魅力を最大限に引き出されていたように思いました。
それに司会の鈴木京香さんの美しさといったらどうでしょう!
彼女の守備範囲の広さは今ぴか一かもと思っています。
それにしても楽しみな女優さんがいっぱいいるのは、今後に期待が持てて嬉しいですね。
予告編が大量に流れていた頃は今年のアカデミー賞総なめ?の印象さえあった??「北の零年」からは最優秀主演女優賞の吉永小百合さん一人が気を吐いたという感じですが、さてどうでしょう?
ご本人がおっしゃったように「代表として」というのもどうでしょう?
主演女優賞の顔ぶれを見た途端「ああ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ、決まりだ!」と、私は思っちゃいましたけれど。
それだけ彼女は日本の大女優です。
吉永さんの作品では映画ではありませんけれど「夢千代日記」が好きでした。
あの作品の中の彼女は本当にはかなく優しく消え入るような美しさで心の中に忍び込んでくるようでした。
「いつも、何時までもおきれいだわぁ!」と、感嘆しています。
でも女優賞となるとどうでしょう?
「千年の恋 ひかる源氏物語」の紫式部の彼女と「北の零年」の開拓者の妻の彼女とどこか違っていたでしょうか?
それに「北の零年」は吉永さんが力を振るうには余りに脚本が舌っ足らずでした。
「開拓と淡路島からの移民の何を描きたかったんだ!」と、馬に乗った母子を見た途端突っ込みたかったくらいでした。
「描かなければならないところを間違っただろ?」と、聞きたいくらいのものでした。
一番ドラマになるところをわざと選って切り落としたんじゃありませんかね?
ドラマにあまりにもがっかりしたので、この映画のことはアカデミー賞に出てくるまですっかり忘れていました。
で、「あぁ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ・・・」になった次第です。
私の中の女気は「大女優になって!汚れる時は汚れて!」と思い、
私の中の男気は「何時までもこのまま美しくいて!」と、思い・・・
どっちにしても応援しているのですけれど、今後どんな道を歩いていかれるのでしょうね。
実が生るのはこれからかもしれませんが。
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