デビッド・ボウイ

俳優についてのコラム 466 Comments »

はて、彼は映画スターだろうか?
私には映画スターなのです。
ピーター・オトゥールの目を書きましたから「目つながり?」で、彼の事を書いてみましょう。
「青い目」を偏愛しているからじゃないか?って?
「青い目」それだけならいっぱいいますよ、他にもね。
いいえ色だけじゃないんです。
映画の中でその目が「生きた!」瞬間を持っているかどうかが大事なんです。
言い換えれば私を本当に見つめてくれた、私と見詰め合って何かを交感した瞬間があったかどうかということでしょうか。
大体彼の目が本当に青い目なのか私は知らないんです。
少なくとも1983年の「戦場のメリー・クリスマス」の彼は青い目でした。
彼は化粧もしますから色付きのコンタクトをしていても不思議じゃないのですから。
素の彼が何色の目をしているかは私には大事なことではありません。
彼の映画はもう一本「ラビリンス」(1986年)を見ています。
でもその映画では彼の目は余り印象的ではないのです。
青よりもむしろ銀色だったような記憶です。
髪がもりもりの銀色だったからそんな印象なのかなぁ?
要は土の中に埋められた彼の顔がこちらを向いた時の目です。
この目で彼は私の中でムビー・スターになりました。
本当のところもう映画の詳細は覚えていません。
もう一つ本当の所、今となっては「はて、本当に青だった?」って感じもなきにしもあらずです。それなのにあの目の持つ力の記憶は死なないんですねぇ。
あの目は確かに私を捉えていたんです。
実際は彼はちゃんと私にとってロック・スターとして始まったんですよ。
狭い台所で小さかった二人の息子をかわるがわる私の足の甲の上に立たせて抱えて、彼の「チャイナ・ガール」を聞きながら踊りまわったものです。
だから息子が大学生になって下宿した時に、たまたま上京して彼のテーブルの上にデヴィッド・ボウイのCDを発見した時は妙にうれしかったですねぇ。
「あぁ、彼は私の息子だ!」とつくづく思っちゃいましたから。
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プライドと偏見

映画タイトルINDEX : ハ行 140 Comments »

監督 ジョー・ライト
主演 キーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファデン、ドナルド・サザーランド、ブレンダ・ブレシン、ロザムンド・バイク

さて、先日「コリン・ファース」のところで、イギリスTVドラマの「高慢と偏見」について触れたから、この映画にも触れないわけにはいかないですね。
ジェーン・オースティンの原作は私の高校の頃からの愛読書ですが、TVドラマになった作品と映画を、どちらが原作に忠実だとかイメージがあっているとかいう問題を論じても意味がないと思っています。
それぞれにどのくらい楽しめたかということがまず第一に大事なことでしょう。
その点ではどちらも楽しめたという事をまず最初に書いておきたい。
原作は何回もの読書に耐える素晴らしさを持っています。
余りにも現代とはかけ離れてしまった世界に思えますが、人の心の動き、感情の波、家族の有り様、恋の駆け引き・・・色々な点で今、どんな時代に読んでもきっと十分魅力的な作品で、私など読んだ年代によってその度何か嬉しいものを感じさせられています。
恋の成り行きにも、いじらしい姉の恋にも、出来の悪い放任された妹たちのこれからの人生にも、勿論リジーの生活にもわくわくさせられるです。
姉妹・母親・その友人たちの織り成す物語のそれぞれの心の動きに頷かされてしまうのでしょうね。
これだけ魅力を持った小説は反対に言えば読むものに、読む人毎に、色々なイマジネーションを与えてくれるのでしょうから、色々な脚本が現れても不思議は無いわけです。
だからこの原作からどんなTVドラマ、映画、舞台が生まれたとしてもそれはそれぞれに比べるのではなく、それ一個のものとして鑑賞され論じられるべきだと思います。
「コリン・ファース」で激賞したように私の中ではあのミスター・ダーシーは最高に魅力的な男でした。
たった二時間のドラマにされてしまった映画においてはダーシーのしどころは短くて、その魅力を十分に発揮することは出来なかったろうという点でマシュー・マクファデンははなっから分が悪いですね。
プライドを前面に押し出すには轟然と頭をあげて、見下す視線を送るしか手が無かったでしょうから。
彼の人間性の隠れた人みしりするような繊細さ、真に誠実な性格まで表現する時間も無いままにあのいきなりの恋の告白に行かなければならなかったのだから、ちょっと辛いですよ。
結局女としての私は主人公に同化してしまって、恋の対象であるダーシーを論ずることにのみ興味を示してしまいます。
ダーシーが表面的にしか描かれなかった分、映画ではあの告白が呼び起こした猛烈なリジーの反発・拒絶は反対に素直に受け取れましたね。理解できました。
だってアンナ表情しか見せなかった男の告白ですよ?
コリンのダーシーには彼の性格の奥行きを表現する時間があったので告白がああなるという必然をちゃんと見るものに納得させるので、かえってリジーのあの激烈は拒絶はダーシーに同情を起こさせてしまうようでした。
悩める男の内心のせめぎあいの表現が見事でしたよねェ!
というわけで、私はどちらのダーシーをも楽しめたといえるでしょう。
映画のあの時代考証は綿密なものだと思いますが、彼女の家とダーシー家の階級の差は映画の方がかなり際立って表現されていました。あれならダーシーがこの縁組を心底ためらった理由が分かりやすかったと思います。
イギリスの貴族階級の館と庭園の見事なこと!
田舎が本当に美しかったですね。これはTVでも映画でも!
それにしても女性のドレス、映画のはちょっとおとなしくなりすぎていませんですかねぇ?あの時代女性は女性をモット強調していたのではないでしょうか?
キーラのリジーは繊細で機転が利き当意即妙な元気さと美しさが良いとおもいましたが、TVで演じた女優さんの理知的で勝気なしっかり者の雰囲気もよかったなぁと思いますし。そんなわけでどちらも面白く楽しんだというわけです。
ジュディ・デンチという女優さん凄いですね?
ツイこの間の「ラベンダーの咲く庭で」見ました?
あの可憐なおばちゃまですよ。
いやこっちの方が大方の彼女のイメージですよね。
ビクトリア女王とか、はまり役でしたが、「ラベンダー」で可愛いのに驚いたのでした。
お父さん役がドナルドだと知った時にも、あの田舎紳士、「彼でいいのかなぁ?」と思ったのに、ちゃんとイギリス親父になっていました。
俳優さんてだから素敵!と思うのです。
それにしても何で「プライド&プレジャデス」か「高慢と偏見」じゃなくて「プライドと偏見」なんですか?

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