麦の穂をゆらす風

映画タイトルINDEX : マ行 298 Comments »

監督  ケン・ローチ
出演  キリアン・マーフィ、ボードリック・ディレイニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド、メアリ・オリオーダン、マアリ・マーフィ

最初から最後までこんなに救いの無い映画ってあっていいのだろうか。70年前から今に、いやもっと以前からズーっと続いている事実のほんの欠片に過ぎない提示なのに・・・。
言う言葉も、考える脳細胞も、この映画のまえでは凍結してしまう。
しかもこれはまさしくイギリスはアメリカ、アイルランドはイラク!
「イラクは内戦状態」でしょ。アナンさんじゃなくとも。
強国の弱国にすることは同じパターンの繰り返し。そして弱国が陥るパターンも歴史が見せるとおり。
そのパターンを兄弟の仲に凝縮して、映画は不滅になったかな?
この監督の作品は初めて。今この作品ということはやっぱりイラク!映画が整理して見せたあの時点より70年余りたった今がIRAを含めてイギリス・アイルランドの状況が良くなっているわけでも無いようだし、とにかくその歴史すら外部の私たちにとっては理解の他というしかない入り組み方なのだ。何百年に渡って侵略され続けた国と侵略し続けた国の収拾の付かない惨めな憎しみの溢れる現状。丁度パレスチナ・イスラエル問題をどうしたらいいのか分からないような。
そしてイラクもそうなっている現状。
人はせっせと解決できない憎しみを紡ぎ続けているんだなぁ・・・と思った時に、省みられるのは日本の場合は中国・朝鮮半島の問題。
これ以上複雑に未来に残さないように・・・と、考えるべきだ・・・と、きっと多くの人が思っているのだろうに。
戦っている時、相手が強大なイギリスだった時の男たちの顔は輝いて魅力的に見えたのに、内戦になったら全ての男がまるで顔を上げられないように下を向いてしまったところが本当に切なかった。
「何故男は戦うのか?」以前に「何故男って戦う時に光が当たるように見えてしまうんだろう?」ということを考えなくちゃ?その光はまがい物で絶対的な間違いなんだよって思うのに。
悲しい民には美しく切ない歌があるんだなぁ・・・大地はこんなにも美しいのに。
受け取りたくないメッセージってあるよねぇ。
映画を見ているだけの私を許してくださいって、誰かに言いたくなる私がいるのよ。誰にも言えないし、何にもならないし。
ツィードの背広は本当に労働着だったのね。ツィードの上着を着て働く農民、馬の世話をする小者、トレンチを着て野に伏すゲリラたち・・・背広を着て働きすぎる男たちのDNAはこんなところに?
それにしてもまたしても今、この時、この日本の平和を大切に思い、維持できるよう・・・ここから始めて世界へ広げられたら。その平和も一皮剥けば風前のともし火状態?朝鮮半島を見、アジアを見、そして過去を見る。これが大切!
その意味では「父親たちの星条旗」に次いで「硫黄島からの手紙」も見るべきかも?!

キリアン・マーフィは一目見ただけで「あ、「真珠の耳飾の少女」のハンスだ!」と分かるくらい特徴的な顔の人ですが、あの映画では奇妙な顔という印象が強かったのに、この映画では妙にあの土地と溶け合ってインテリジェンスと民族性を体現しているようでした。役柄と俳優が見事に共鳴しているといった感じでしょうか?彼はアイリッシュ?
Read the rest of this entry »

007 カジノ・ロワイヤル

映画タイトルINDEX : 数字他, 映画タイトルINDEX : サ行 384 Comments »

監督  マーティン・キャンベル
出演  ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーン、マッツ・ミケルソン、ジュディ・デンチ、ジェフリー・ライト、ジャンカルロ・ジャンニーニ

ホント、久しぶりの007映画堪能!
007シリーズを読んだのはもう40年近く前になる。そして、ジェームズ・ボンドは私のヒーローの一人となった。彼のスタイル!=ため息!!!
だからショーン・コネリーの時でさえ受け入れるのは・・・、だがその後のボンドは考える余地も無い。
「ショーンのボンドは良かった!」と、思えるようになったのは、その後のショーン・コネリーの活躍にも因るかもしれないが。
ティモシー・ダルトンはその中ではまし?と、思えたがちょっと荒削りすぎる。ロチェスターならはまり役でも、ボンドにはスマートさに欠ける・・・というわけで007映画からは長く遠ざかっていた。
予告編でダニエル・クレイグという俳優のボンド就任?を知ったが、「これは?」と、思わせる何かを彼は持っていた。
髪?許せる!目?許せる!額?許せる!鼻?許せる!口?ここではたと私は迷った。う~んこのちょっと受け口の唇は果たしてショーン・コネリーのように酷薄さを漂わせることが出来るのだろうか?
むしろキスにもって来い!って感じじゃないかしら?いつでも美人にはスタンバイ、OK!って?
でもそのスタイル!満点の肩の上の小さな顔!いけるかも?
というわけで3〇数年隔てて、銀幕の007とまみえたのですが、「結構!毛だらけ猫灰だらけ!」って寅さんなら言うだろうな・・・と、思いながらの鼻歌交じりの帰宅になりました。
面白かった!
この一言でしょう。
ヴェネチアの歴史的建造物が崩れていくところなんか・・・うぁー!
色々な有名ビルが倒壊するところは散々見てきたけれど、あの静かな崩れ方は別物だったなぁ。
絶対手を触れてはいけない聖域になんてことするんでしょうね?
でも妙にリアルで妙なカタルシス?
しかし、こんな映画こんなに楽しめちゃうなんて・・・
ダーティ・ハリーやダイ・ハードが好きな私の一部がこの作品でもわくわく震えたってことですが・・・男兄弟の中で育った歪みかな?なんて、「ちょっぴりうしろめたさ」もヴェネチアの衝撃で忘れ去られました。
風景は満点!ただ欲を言えばカジノの緊迫感がもっとあっても良かったのに・・・記憶の中の勝負はもっとスリリングだったような?
カードもトランプだった子供の頃の記憶だからかなぁ?
私的にはドァのナンバープレートが印象的だったけれど、今はカジノこんなんですか~?なんて、時代も自分もそこはかとなく・・・哀愁?
さて、次は彼で「ロシアから愛をこめて」を見たいなぁ・・・と、思うのですが、頭の中のショーンとの対決!これもわくわくするんじゃないかなぁ?
「灰色の」マチュア・・・ジャンカルロ・ジャンニーニが演じると「ハンニバル」の彼を思い出させて(強烈な印象が残って)、つい「限りなく黒だよぉ」と彼が出てきた瞬間もうボンドに言っていました。だからスパイ映画は出来たら色の付いていない配役でお願いしたいなぁ。
Read the rest of this entry »

クリムト

映画タイトルINDEX : カ行 2 Comments »

監督  ラウル・ルイス
出演  ジョン・マルコヴィッチ、ヴェロニカ・フェレ、サフロン・バロウズ、スティーヴン・ディレイン、ニコラス・キンスキー

「ウィーンといえばクリムト!」?ウィーンへ同行した友人と誘い合わせて行きました。で、やっぱり「クリムトといえばウィーン!」です。
金とエロスとをふんだんにてんこ盛りにしたエネルギッシュな装飾的な魅惑的な絵の作者として「クリムト」を思っていました。
それに扮するのがマルコヴィッチさんですし・・・凄い演技?が見られるのではないかという期待も勿論ありましたしね。「マルコヴィッチの穴」とか「ザ・シークレット・サービス」とか記憶に新しいところでは「リバティーン」とか、思い出しますよね。
でもそこには私が写真で見たクリムトの線を細めにして圧迫してくるような迫力を緩く薄めたようなマルコヴィッチのクリムトがいました。
でもエゴン・シーレが余りにそっくりで、「シーレ」という名が出てくる前に分かるくらいで、「ジョンは負けたな?」と、一瞬思ってしまったくらいでした。(はいはい、形態模写じゃないんですからね!)この若くして亡くなった画家は私がどうしても好きになれない絵を描いた人として覚えています。
二人の絵の間にある広がりを思うとクリムトの死の床に付添っていたのがシーレだったなんて不思議です。
映画はこのシーレが見守る中、ベッドで今しも死にゆこうとするクリムトの意識を流れる過去の断片を積み上げていくような感じでした。
作品中、時代の画壇のこと、美術・建築界の動向、パリとウィーンの在り様・・・は登場人物の会話で観客に説明されたようでした。
私が期待したクリムトの作品は幾つか映画の中で見ることが出来ましたが、作品を創造する現場はたった一っ箇所だけでした。
あの金箔が部屋中に巻き上がるところはクリムトの絵の世界を彷彿とさせて、この映画の中で唯一私の好きな場面でした。
唯一と書きましたが、私はこの映画に何を期待して出かけていったのでしょう?
画家の作品製作に纏わる逸話?画家のモデルとのいかがわしくも華やかな世界?ウィーン世紀末の画壇の中での彼の存在?かなり創作に関わったと思われる義妹との不思議なドラマ?
・・・そういう点ではこの映画は何も語ってくれなかったような気がします。彼の意識の中に意識を導くように現れる男の象徴するものも私には理解できませんでしたし(ただの狂言回しでいいのでしょうか?)、彼のあの多数の大作を生み出したエネルギーがどこから来たのかも結局分かりませんでした。
クリムトについての枝葉末節的な情報はかなり収集?出来たかもしれませんが。私には消化不良の何かを無理やり飲み込んだという感じが残りました。時代の空気感?は感じられたかな。
そのせいで「ねぇ、どう思った?」と。友人に聞かざるを得ないという気にもなったのでしょう。
「眠たくなった!」という答えを聞いて妙にほっとしました。
私は何か「ぼうっとしちゃった!」という感じでした。
何から得た創作意欲を作品にぶつけたのだろう・・・と推測していた・・・そんな場面を知るのを楽しみにしていた・・・単純な私にはちょっと高踏過ぎたのかな?
クリムトという人物を、また彼から生まれた作品への思いをこういう表現で見せたいと思った映画作家がいたんだ・・・と思って、けりをつけることにしましょう・・・わかんないんだもの・・・
しょうがないやって感じでしょうか。これ以上考えると何か無理やりこじつけそうなんです。
Read the rest of this entry »

地下鉄(メトロ)に乗って

映画タイトルINDEX : マ行, 映画タイトルINDEX : タ行 177 Comments »

監督 篠原哲夫
出演 堤真一、岡本綾、大沢たかお、常盤貴子、田中泯、吉行和子

原作を知っている作品の映画化はいつも葛藤を引き起こしますね。
でも、やっぱり見ちゃうんだなぁ。
さてと、何が一番違ったでしょう?
見終わって一番に思ったのは「女」というものをどう思っているの?でした。
男に優しいものを描くと女は割りを喰わなくちゃならないの?
3人、いや4人の女性・・・本当に幸せだったのは誰でしょう?
いえ、一番可哀相だったのは誰でしょう?と問いますか。
吉行さんの演じた主人公の母?
愛した人には戦死されて、お腹に残された子供には自殺されて、大成功した(成り上がった?)夫には虐待されて別れ、冴えない次男と暮している上に多分その息子の不倫にも気が付いているから一緒に暮している嫁には後ろめたい。
常盤さん演じるみちこの母?
愛して戦後一緒に生きぬいた人には妻子がいて、とうとう一緒に暮すことも無く世話されることも無く、意地を貫いてひとりで生き抜き、子供も結局は流産してしまう。
岡本さん演じるみちこ?
生きている時は愛人で、好きになった男は腹違いの兄で、その兄のために自分の存在を抹殺しようと決意しなければならなかった?
長谷部の妻?
夫の愛人の存在も知らず、姑と狭い団地で同居して、パートで家計を遣り繰りして夫の留守がちの家庭を支えている。
映画の始まりから終りまで沢山のタイムトリップがあって、過去が凝り固まった愛憎を解きほぐしていく形になっているのにこの女たちは物語から置き去りにされたままだったような・・・
勿論みちこさんは余りにも哀れな存在に描かれているけれど・・・勝手に男の守護天使なんかにされては叶わないわねぇ、みちこさん!
岡本綾さんが本当に消え入る風情の女性を好演していたからなお更。
好演といえば常盤さん、蓮っ葉な粋ないなせなお姉さん堂に入ってたわ。
主人公が優しい弟に自分の厭なもの?を押し付けっぱなしで勝手に生きてきた男と見えてしまったのは映像の力だろうか。
本で読んでいる分には彼の事を理解できたような気がして「よかったね・・・」とでも言ってあげたくなるくらいだったのに、みちこと抱き合う生の姿を見てしまうと、こんないい加減な男に「過去を知る」という恩寵がどうして与えられたのか?とすら思ってしまう。
勿体無いじゃない!もっとそれに値する人が他に幾らでもいるでしょうに、何で彼なのよ・・・ってね。
そこで「ああそうか、恩寵が与えられたのは戦中子供を助けた、良かれ悪しかれ一生懸命生き抜いた父親にだったのか!」って思ったりして。いや、でも女に手を挙げる男なんだぞ!
だけどやっぱり、みち子さんにとっては冗談じゃないわよ、こんな「真実」見せられてこんな選択させられて・・・。あんな男たちのためによ?
本でオブラートに包まれていたものが脚本に整理されたら男の童話の我が儘さがそそけたってしまったという印象なのだ。
だけど過去を振り返る、過去を見る、過去に浸るというのは確かにちょっとしたカタルシス!思い出は絶対に甘い!許しはもっとイケル!
その点でこの映画を好きだという人も多いだろうな・・・とも、思うけれど、同じ「懐かしいなぁ!」でも「3丁目の夕日」との決定的な違いは真底を流れる暖かさに無垢なもの有るか無いか、傷つく人がいるかいないか、かもしれないなぁ。
Read the rest of this entry »

プラダを着た悪魔

映画タイトルINDEX : ハ行 270 Comments »

監督  デヴィッド・フランケル
出演  メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ、エイドリアン・グレニアー、トレイシー・トムズ、サイモン・ベイカー

いやいやいや・・・満席でした。まだ早かったか!40分も前に行ったのにそのあおりでかなり前方の席になっってしまって疲れたぁ!
それにしてもほぼ90パーセントは女性、それもちょっと年齢アベレージは低め?私も誘ってくれたのは8歳も年下の友人、ブランド情報通(私よりはね)の彼女は入ってくる女性たちのバックの解説をしてくれました。
映画の中もゴージャスだったなら、会場もかなり?ゴージャス?
「ひょっとしてあなたのそれプラダ?」
「そうだよ。」
「あれ、ヴィトン。あれは分かるよね?あの人のあれシャネル、あっちほらあれエルメス、あれ三越にやたらとあったでしょガッバーナ。」「みんな本物?」「?」
と、まぁ、始まる前から賑やかでした?が、銀座スカラ座の私の隣の超ミニのもこもこショートジャケット・シャネルバックのお姉ちゃんはこっそり紙袋から取り出したカップヌードルを映画が始まってからもすすっていました。
注意する肝、元へ、気も!失った私でしたが、間もなくその残り香?も気にならなくなってゴージャスでハードな世界に引き込まれた私でもありました。
何もかもひっくるめてピンクのオブラートに包んでベルベット・シュガー(そんなものがあるならね?)をたっぷり振りかけてシャボン玉で包んで差し出された世界!
確かに映画が終った時点で弾けて消え去りました!
実話だそうですが・・・とっかえひっかえ出てくるブランド名と衣装・バック・靴のオンパレードはそれだけで圧巻。美しくて魅力的で豪華で・・・後何ていえばいい?
鬼上司と成長する若者譚なんてお話はもうどうでもいいの・・・になっちゃいます。
で、目くるめくその世界は実話らしさの欠片も吹っ飛ばしてしまう迫力!
ターコイズ色のセーターを着てきた主人公に全く無頓着にその色のセーターを選んだ彼女にミランダが「背景」を簡単に辛らつに説明した短いくだりは眼からうろこ!
ウォー!私のワイン色のセーターもそんな流れの結果だったりするわけ?
アホに見えた隣のお姉ちゃんたちのブランド信仰?もいじらしく思えましたよ。
ミランダが言っていたじゃありませんか「この本に憧れ読みふけってこの世界に憧れて、やってきて直ぐ首になっていく娘たちは馬鹿が多い」っていうようなことを、アンディを採用した理由としてね。
それでもそういう子供たちに(女性も男性もひっくるめて)夢を見させる力って凄いじゃないですか。踊らされているのを承知で踊ってみたいっていう気にもなりますよ。
最もアンディ、サイズが幾つだろうとあのお眼々を持っていたら・・・男なら?皆溺れちゃいますけどね。
私もサイズは4なんだけど・・・手と足と長さを詰めると・・・サイズ8どころか・・・に、見えちゃうんだもの、鼻ッから論外。まずは、ピンヒールで走り回れなくちゃね?
でも別の次元に存在している私はああかも知れないし?黒を着こなせる?へへッ!
メリル・ストリープがその非の打ち所のない若いアン・ハサウェイを向こうに回して魅力で一歩も退けを取らないの。凄くない?
「ソフィの選択」のメリルは一生忘れられない存在だけれど、こんなメリルはメリルでいいなぁ・・・ウットリでした。ただの鬼じゃないの。あくまで実力をがっしり発揮している素晴らしい人間なのが分かるのよ。
シャボン玉が飛んでいる間思いっきり楽しみました!
でもそれより映画の世界から覚めたら「11ヶ月でサイズ2つもダウンさせる方法を教えてもらいたかったな!」・・・と。これは切実!!!
Read the rest of this entry »

黄昏

映画タイトルINDEX : タ行 No Comments »

監督  マーク・ライデル
出演  ヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘップバーン、ジェーン・フォンダ、ダグ・マッケオン、ウィリアム・ラントゥ

先日カズオ・イシグロの映画化だからといって「上海の伯爵夫人」を見に行ったが、彼の作品というとなんといっても「日の名残り」が印象に残っている。その「日の名残り」の事を思い出すと連続して思い出されるのがこの映画だ。物語り的にも全然関係ないし、舞台もイギリスとアメリカだし、単純に日の名残りが見られる時間が黄昏だからだ?と言ってしまってはみもふたもないが。
ただ老人を描いたという意味で、しかも頑固に生きた老人を描いた、人生の終章を描いたという点で共通の味わいがある。
先日八千草薫さんと杉浦直樹さんの出演での舞台の広告を見ていた。
多分非常に好配役だろうなぁ・・・と思ってその記事を読んだが、日本人の俳優によって演じられるその舞台は身近過ぎて自分にぴったり引き付けてしまいそうだぞ・・・という懸念もある。
「黄昏」も「日の名残り」も外国の話だというところに程の良い感傷に素直に浸れるという一種のクッションが私の場合あるのだと思う。照れないで見られるのだ。
老いてはいてもヘンリーもキャサリンもおしゃれだったしなぁ・・・あの当時そう思ったのだった。
全てが人も別荘もその周りの景色も羨ましいくらい美しかった。
そのあたりで痛みを感じないで感傷にふけれたのだろうと今は思う。
だけど今は切実なんだなぁ。
人生の黄昏がいつかということは人それぞれだし、その同じ人でもある年はしっかり黄昏ていたのに、翌年は気を取り直して生き生きしていた・・・なんてこともあるし。そろそろ老年を迎えるから親孝行できる時に・・・なんて思い初めた頃に急に亡くなってしまった母のようなこともある。その私の母は自分の人生の黄昏時を認識したことはあったのだろうか?母の歳までまだ15年も残している私は先月から起きた腰痛を庇っていたら?首も回らなくなってしっかり人生の終わりを痛感している。だから?この映画を思い出した?
いずれにしてもこの映画は決して忘れることのない輝きを私の映画史?のなかに燦然ときらめかせている映画の一つだ。
人なら大抵は必ず迎える時の一つの普遍的な現れのような気がするからかもしれない。
夫婦が二人で老年を迎えると、きっとこんな時が来るのだろうなぁ・・・という?
子供と問題のない親なんてそうはいないし、首尾よく分かり合えて、愛を確認しあえて・・・晩年を迎えるなんてこともそうそうはないかもしれない。
ヘンリーとジェーンのフォンダ父娘が同じ眼をしていた、確か。
だからなお更親子のことが、確執も理解も素直に心にしみたんだろうか。
でも時間が無くなる時が来ることは確からしいから?なるべくは心を広くおおらかに(大雑把に?)受け入れることは受け入れ、受け入れられないことも受け入れ・・・ということも心できれば・・・と思わされた映画だ。
だけど頑固になっていく一方、せっかちになっていく一方、弾力性がなくなっていく一方、我慢がきかなくなっていく一方・・・なんだなぁ・・・やっぱり今はもう人生の日の名残りを秒読みしている段階に入ったのかなぁ?
願わくば、キャサリン・ヘップバーンさんのような美しい賢い老年を迎えられますように・・・と、ひたすら願うしかないかな?無駄だ!無理だ!有り得ない!
Read the rest of this entry »

カポーティ

映画タイトルINDEX : カ行 4 Comments »

監督 ベネット・ミラー
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、ブルース・グリーンウッド、クリス・クーパー、クリフトン・コナーズ・Jr

「ティファニーで朝食を」と「冷血」で名前を知っているトルーマン・カポーティを描いた映画でアカデミー主演男優賞受賞の映画であって、見たい気分十分の一方で、予告で見るホフマンさんはどうみても私のタイプじゃない?って言う言い方もどうかと思うけれど苦手・・・というわけでシーソーのギッタンバッタンという感じでズーッと「見よう、止めよう」の行ったり来たり。
結局今日見てきたのは友人に「「プラダを着た悪魔」まだだよね?来たら行かない?」と誘われて、何時から始まるか調べてみたら銀座ではカポーティと入れ替えなの。
「明後日までだ!」と、思った途端出かける支度をしていた・・・というわけ。
それで・・・見ている間から既に・・・「こりゃぁ何も書けないぞ!」と思っていた私。
カポーティって言う人の人となりが浮かび上がってきてそれが真実かどうかは別として、こういう複雑な陰影の人物を浮き彫りにしていく俳優の力量と言うものがひしひしと感じられたことは確か。
こういうのを適材適所?いい役を引き寄せたのもやっぱり実力!
それに時代の感じ、文壇やその周辺の社交事情、人間関係などがまるで?まさに?文芸作品ですよという知的な雰囲気をかもし出していてそのあたりが魅力的だったことも確か。
一つの新聞記事から想を得て、ノンフィクションの作品が生み出されていく緊迫感・執念?もきっちり表現されていたことも確か。
さらにその過程でカポーティの上を通過していく様々な葛藤などが作家って言う職業の業の深さを見るものに語りかけてくるのも確か。
だけど不思議なことに、確かに語りかけてくるものがこんなにもあるにもかかわらず、この作品は好きにもなれず「いい映画だったなぁ。」とも言い難い気がしたのは何故だろう?
「冷血」を生み出した後の彼の心がどんなになったか・・・気の毒だなぁ・・・引き裂かれたろう・・・と思いはしても、命と引き換えに何かを生み出すというのが作家の宿命だろうし、こういう事件に引かれてのめりこんだのは彼自身の素質的?宿命だろうなぁ・・・つまりどこか醒めていて酔えなかった私。

余談ですが、「アラバマ物語」は私の中では子どもを描いた作品として「スタンド・バイ・ミー」と双璧だから「作家のリーさん(カポーティの弟子・友人だったの?)」にひょんなところでお会いできて?光栄!
それにクリス・クーパーさんの顔って好きなんです・・・ちょっと見れて良かった!
それにあんなにハンサムなのにろくな役で見ないケネディさんと呼んでいる(名前を直ぐ忘れるので)ブルース・グリーンウッドさんが今回はいい感じでよかったなぁ・・・と。
Read the rest of this entry »

上海の伯爵夫人

映画タイトルINDEX : サ行 7 Comments »

監督 ジェームズ・アイヴォリー
出演 レイフ・ファインズ、ナターシャ・リチャードソン、真田広之、リン・レッドグレーヴ、バネッサ・レッドグレーヴ

「カズオ・イシグロ」の原作というだけで私も見たいと思っていたら、案の定「日の名残」を最高の映画の1本だと思っている父からの誘いがあった。
カズオ・イシグロさんの作品を本で読んだことが無いので、経歴は全く知らないが、この映画も、見終わって「英国」の香りがしたと思った。日本人の名を持つこの人が描く「英国」は妙に魅力的だ。
「日の名残」はまさに英国映画だったが、この作品は上海が舞台で、しかもアメリカの元外交官が主人公の映画なのに何故「英国」を感じたのだろうかと考えてみた。
主人公のジャクソンを演じるレイフ・ファインズが英国人然としているからかもしれない・・・「ナイロビの蜂」の見事な英国人の役柄がまだ目に新しいからかもしれない?
何故イギリス外交官にしなかったのだろう?その方が自然だったろうにと思うが・・・あの当時上海の外国租界ではないところに店を持たせるにはアメリカ人の方が都合良かったのだろうか?などと当時を知らない身としては色々思いあぐねてしまった。
それほど英国ぽさをこの映画から感じ取れたということだろうが・・・レッドグレーヴ家のせいかもしれない。主な女優陣は英国人の母(ヴァネッサ)と娘(ナターシャ)と叔母(リン)で占めていたのだからかも?
それにしても「レッド・ドラゴン」のレイフ・ファインズを見た後で「ナイロビの蜂」を見たときの「嘘っ!」っていう感じはもう無い。
むしろこの紳士的な役柄こそ「この人のものだ!」と思えるところが凄い!これで私、完全に彼のファンになってしまいそう。
まぁそれはさておき、この映画の魅力は1936年前後の上海のなんともいえない猥雑な多国籍的魅力とエネルギーの表現にあった。
フランス租界とか英国租界とかでの一旗挙げ組や難民、権益に遅れを取るまいとする日本人など怪しげな人々の坩堝だったのだろうか?
その感じがこの作品をただの風変わりなロマンスものではないものに昇華せしめていると思った。
町の描写、「ホワイトカウンテス」やそのほかの社交場の描写に歴史の流れが覆いかぶさって醸されてゆく雰囲気が魅力だった。
そして見ているうちになんか妙に変なことに気を取られた。
中国という国はあの当時の列強による様々な侵食を忘れたのだろうか?阿片戦争後、様々な国に齧られていたということはどういう記憶になっているのだろうか?とか。
伯爵家の人たちは香港に行ったが、ユダヤ人と伯爵夫人とジャクソンたちはマカオに行くと言っていたけれど・・・どっちが正解だったのだろう?ジャクソンたちには愛という明るさが、ユダヤ人一家には知性という明るさがあったけれど?とか。
伯爵夫人が一家を食べさせていたけれど、ロシアも大家族主義なんだ。そして誇りというものは死ぬまでに随分とじたばたあがくものなんだ・・・とか。彼らはあの後どうやって生きていったのだろう・・・?
真田広之さんの演じるマツダがとても堂々としていて良かったなぁ・・・外国映画の中の日本人がやっとこの頃安心して見られるようになってきたなぁ・・・(ラスト・サムライ以降?)とか。
「伯爵夫人の持ち味?」の悲劇性と諦めがあの混乱の中で頼られることの嬉しさと頼れることの歓びとに変わっていったのを見て、娘のはつらつとした様子を見ていて、香りの良い映画だったなぁ・・・と思いました!
Read the rest of this entry »

16ブロック

映画タイトルINDEX : 数字他, 映画タイトルINDEX : サ行 143 Comments »

監督  リチャード・ドナー
出演  ブルース・ウィリス、デヴィッド・モース、モス・デフ、ジェナ・スターン、ケイシー・サンダー、シルク・コザート

実を言うと、ブルース・ウィリス大好きです。
無理して映画を付き合ってくれると、必ず隣で眠る我が旦那(「父親たちの星条旗」の前半も寝てましたよ)が、「ダイ・ハード」を見た時だけは、「スティーブ・マックィーン亡きあとはこいつだな。」と、実にアバウトに「私のブルースはいいよ!」意見に賛成してくれました。
私の方は「ブルームーン探偵社」以来ですから、筋金入り?
でも彼は「ダイ・ハード」だけの支持者ですからね、つまるところ。
というわけで「付き合う?」に・・・煮えきれない「う~~ん。」。
待ってなんていられません。というわけでさっさと行ってきました。
思ったとおり楽しませてもらって帰ってきました。
この人の「楽しませてやろう」精神。好きですねぇ。
久しぶりの?「ダイ・ハード」系!この系、絶対損はしないですよ。
一段と冴えない老込んだしょぼくれた刑事になって・・・「髪」気になります?ブルースの頭知っていますよね?あのままでいいじゃないの・・・アガシと同じで格好いいんだから・・・と、思いかけたのですが、
あれじゃぁ、この作品のコンセプト?からいってしょぼくれ方が不足しちゃいます。ブルースのそのままの頭じゃ絶対この難事凌ぎきるって最初からわかっちゃいますもの・・・って、最初から分かっているのですけれど・・・!そこはそれ・・・いかにして?って問題じゃありませんか!
で、そこをちゃんと楽しませてもらって、ブルース・ファンとしては満足です。
今まで「ブルース好き!」って一項目作って書いていないなんて不思議です。でも確実に年月は経っていますね・・・淋しいくらいに。何時までこの「系」見させてもらえるのでしょう。
「ダイ・ハード4」があるらしいって、ホントですか?・・・だといいな。
善人顔の人が悪いと絶対本当に悪いですよ・・・という点でデヴィッド・モースも適役でしたし・・・だから最後のところで撃たないだろう・・・という予測もドンデンが効いて悪役に徹し切れていましたものね!
二人の間の長年の微妙な感情も想像の余地があって・・・ふくらみがあって濃くもいや増し。
そこで一つ。私の中で解決できなかったのがあの護送囚の黒人さん。
この俳優さん歌手ですって?信じられないのですが、私は声が厭でした。しゃべり方が厭でした。耳に障りまくりでした。うっとうしかったです。
いいこといっぱい言って、いい科白もちりばめられていたけど(だから、惜しい)、あそこまでしゃべり続けなくてもいいのにねぇ・・・って。
途中で「ガントレッド」思い出して、それも楽しめちゃったし・・・だけど、だから「あのバスが裁判所に横付け・・・って事は無いな」ってわかっちゃった・・・って、はなっからそれは無いでしょう。
妹とその仲間とか、隠し球がちょっと安易な気もしたけれど、気持ちのいい隠し球だからいい!
女(妻)?の匂いさせておいて、ありふれたその系のごたごたが無かったのも好感!
最後の決めはブルースらしくサッパリと快く決まって、出所後の誕生日はとても心温まるシーンで大おまけの付録みたいで、良かったなぁ。

しかしあの司法取引っていうのがいまいち理解できないんですよ。
最近あちら物?で、耳に馴染んでいますが・・・日本でもこっそりあったりするんですか?ブルースがどんな悪徳刑事だったのかはっきりしませんが二年の「お勤め」くらいで済むものなの?護送囚だった黒人の経歴抹消なんてことも実際取引出来るんですか?本当にあり?
Read the rest of this entry »

父親たちの星条旗

映画タイトルINDEX : タ行 12 Comments »

監督  クリント・イーストウッド
出演  ライアン・フィリップ、アダム・ビーチ、ジェシー・ブラッドフォード、バリー・ペッパー、ポール・ウォーカー、ジョン・スラッテリー、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、

さっきからこの映画の事を書こうとして座っているのだが、最初の言葉すらも出てこない。だから出てこないと言う事を書いたら・・・ひょっとして?・・・と思って書き出してみた。
何を覚えている?・・・音楽!うん、音楽。
心にとーんと落ちている。米軍に向かって恋人のところへ帰れと促す語りの後のしーんと心に染み入る曲(あれって東京ローズ?)、そしてこの映画のテーマ、エンディング、その他も。
それから?・・・あの物量!
硫黄島が米軍の戦艦や輸送艦にぐるりと取り巻かれ、その上にあの鈴なりの兵隊。あれを見たとき妙にリアルにこの戦争に勝てると思った人たちの無謀な愚かさ、取り返しのきかない過ちの重さに胸を突き刺された。
それから?・・・インディアンの海兵隊員アイラ。
あの頃の日系の人たちと同じだろうか?アメリカに忠誠を尽くすことで、命を投げ出すことでアメリカ人になりきろうとした。または家族たちをアメリカ人として受け入れられてもらいたい一心で?またはアメリカ人としての誇りを持ちたくて?それでも結局「インディアンめ!」と言われ、差別され、貶められる。どこの国でも同じだ・・・とアイヌ人を思い出していた私。軍隊の中で生き生きしていたアイラと戦後酔いつぶれ生き方を見出せないアイラ。「ウインド・トーカーズ」で見た俳優さん、とつとつと知した喋りに無垢・素朴を感じさせる、いい感じの俳優さん。いい感じと言えばバリー・ペッパーの演じたマイク軍曹。
それから?・・・そうあの写真!
戦場でなら数限りなくあっただろう国旗を掲げるシーン。その一つに過ぎないのに、妙に絵となる構図だったために、激戦の地の山上に立ったために、利用されまくってしまった写真。あの頃の米国にも厭戦気分あったんだ!金に困っていたんだ!あの利用を考え出した広報?の非情さ。財務省の担当者と海軍の担当者のあり方。そして一番は生き残った当事者の3人のその後の人生。せいぜい20歳前後?可哀相に生き残った後の人生の長く思えたことだろう。
病室で死を迎えようとしている「今」、硫黄島での「過去」、戦時公債キャンペーン中の「過去」の三重構造がちょっと忙しくて、戸惑ったり、感情移入がよろめいたりした分?却ってじっくりその当時がどうなっていたのかと言う事を追って読んでいけたので、彼らを理解できたのかも知れない・・・と、思う。
だから監督が言いたかったことも、頭に描けたような。
戦争へ行きたくない。誰も戦争に行かせたくない。
誰もあんなところで死なせたくない。誰にもあんな殺し方をさせたくないしあんな殺され方をさせたくない。アメリカと日本、立場が逆転していても政府や軍がしたことは、考えたことは、きっと同じだったろう。
日本も、日本の軍も硫黄島の様に全滅・一億玉砕を叫んでいたのだから。硫黄島を利用したことでは同じだ。
心などというものを毛筋程も思いやる心など無くなるのが戦争だから。
戦場ではヒーローは生まれない。戦場に行かなかった人間が戦争に利用するためにヒーローは作られる。
アメリカ側からだけでなく日本側からも撮られたというもう一つの映画も見てからならまた書くことが出来るかもしれない。
反対側からの視点を持つ余裕が平和の証であってほしいけれど、アメリカは今まだ戦時下で、兵士が亡くなり続けている。この国も片棒を担ぎ続けている。
映画の原作がこの帰還できた衛生兵の息子の手によるものだということも一つの明るさかも知れない。
過去は語り継がれるべきものだから。
Read the rest of this entry »

Design by j david macor.com.Original WP Theme & Icons by N.Design Studio
Entries RSS Comments RSS ログイン