ヴィゴ・モーテンセン

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彼と言えば「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001・2002・2003年)につきます。
以前に「G.I.ジェーン」1997年、「ダイヤルM」1998年に出演していたことには気が付いていました。
でも、特に気を惹かれる俳優さんではありませんでした。
特に「ダイヤルM」などでは、「芸術家の魅力がある。」ということにしてもグィネス・パストロウが浮気に走るほどの魅力は私には見出せませんでした。
「えー、こんな男に惹かれるかなぁ?」
でも「G・I・ジェーン」ではオヤ?っと思ったのでした。
「目にちょっと魅力があるおじさんだぞ!」ええ、目が生き生き銀色に輝いている感じがありましたね。
でも、「なかなか軍人さんらしい良い味を出しているな!」ぐらいでした。
「ロード・オブ・リング」のアラゴルンが「G.I.ジェーン」のあの軍人だとは最初気が付きませんでした。
全く別人でした!と言うかあの役柄がそう見せていたのですよね。
額にわかめのようにもつれてかぶさり風になびく髪。
映像の中のアラゴルンは最初どう見ても「ほれられる男」では無かったですよ。
その証拠に?アラゴルンのヴィゴ・モーテンセンにすっかり填まった私が、その後彼の映画に誘っても「ロード・オブ・リング」を楽しんだはずの友人の誰一人付き合ってくれるとは言いませんでした。
オーランド・ブルームの映画なら幾らでも付き合うわよって言うくせに!
しかもあの時、この映画「オーシャン・オブ・ファイヤー」は歌舞伎町でしかやっていなかったので、「あそこは一人で行きたい映画館じゃないのよねぇ~」と言うわけで、迷っているうちに見損ないました。
そして今度は「ヒストリー・オブ・バイオレンス」です。
これも題名が災いして、女性陣からは総すかん!
うーん、早く決断して行かないとまた見損なってしまうと私は迷っています。
「迷わず即ゴー!」といかないのは心の中にこの役者さんは「ロード・オブ・リング」で最高の輝きを放ったのではないか?という疑念があって、がっかりするのではないかという恐れが拭いきれないからです。
あえて言えば「風とともに去りぬ」のビビアン・リーみたいに。
アラゴルンの彼は「」に彼の表現として出てくる記述に実によく符合していたのです。
目には荘厳な理知的な表情が出ていましたし、時にはまるで老年の様に老いくたびれて、時には壮年の激しい逞しさを見せて丈高く偉大に、そして時には若者のような目の輝きを見せて。
実際この役者さんの年齢測り難かったのです。
アラゴルンには勝手に色々な役者さんを当てはめていたのですけれど、映画で彼を見た時
「はまり役だ!」と思いました。
それまで余り彼への先入観が出来ていなかったのが良かったのかもしれませんね。
不思議なのですが映画で見て「アァ、いいなぁ、この人の他の映画見てみたいなぁ。」と思える場合と、「彼のほかの映画見ても良いのかなぁ?」と思ってしまう場合とがあるんです。
ヴィゴ・モーテンセンの場合どうも後者のような気が・・・?
「ロード・オブ・リング」での彼の魅力はあのたなびく髪の毛のカーテンの威力かと・・・?
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最近の邦画

映画についてのコラム No Comments »

私を洋画ファンにした私の父が80歳を過ぎてから、目が字幕に追いついていかなくなったと言う理由で、邦画一辺倒に180度の転換をしました。
「夢追い人」と言う気分に安住できると言う意味で?洋画一辺倒だった私が、その父のお供というか安全杖?と言う立場で、邦画を付き合うようになって五年経ちました。
そしてこの5年間にこれまでの私の人生45年間に見た邦画を凌ぐ数の邦画を見てしまいました。
そして不思議なことに洋画を見るのとは随分違った意味で邦画を楽しんでいる自分に気が付きました。
思っていた以上に楽しめているのです。
思い込んでいた以上に「質がいい!」と言ったら随分失礼ですね。
でも本当にいい感動や、いい楽しみや、いい夢を貰って満足して帰ってくる自分に気が付いています。
最初は親孝行のつもりで、字幕についていけなくなったと嘆いている父が邦画にしてまでも映画をまだ楽しみたいと思っているということに驚きながら、付いて行っているだけだったのにです。
今では「あれ見てみない?」と私から誘っている始末?です。
素敵な脚本を書く人も、不思議なセンスとこだわりを見せる監督さんも、画面の中で輝く俳優さんも、様々な技術でも、かけるお金が少なくとも、魅せてくれる映画が本当に多くなっているんです。
で、気が付いたら洋画・邦画と区別して考えていない自分が居たという訳です。
この数年間に父が是非見たいと言った洋画は「ストレイト・ストーリー」だけでした。
寡黙なこの映画は言葉以上に共感するものをいっぱい持っていたと見えて、
「こんな邦画が見たいものだ。センスがいい!」
などと言っていたものでしたが、その科白を最近は二人で邦画にも言っています。
「ALWAYS 三丁目の夕日」と「博士の愛した数式」にです。
あぁ、あと「父と暮らせば」という映画もありましたね。
本当にセンスのいい映画でした。
純君の時から見ていた吉岡秀隆さんを父は非常に評価していて(隠れたる?大ファンと言ってもいいでしょう)彼の成長を心から喜んで見て、それも映画の一つの楽しみになっているようです。
「吉岡君の次回の作品はどんなのだろう?」とね。
「彼は『海は見ていた』の頼りない役も実に上手かった!」とか「『雨あがる』の軽い武士役も味が良かった!」とか言って。
こんなわけで、幾つになっても楽しみを与えてくれる映画に私は感謝しているのです。
もう一言
高倉健さんの映画も外さない父の為に健さんの末永い健闘も祈っています。
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デビッド・ボウイ

俳優についてのコラム 466 Comments »

はて、彼は映画スターだろうか?
私には映画スターなのです。
ピーター・オトゥールの目を書きましたから「目つながり?」で、彼の事を書いてみましょう。
「青い目」を偏愛しているからじゃないか?って?
「青い目」それだけならいっぱいいますよ、他にもね。
いいえ色だけじゃないんです。
映画の中でその目が「生きた!」瞬間を持っているかどうかが大事なんです。
言い換えれば私を本当に見つめてくれた、私と見詰め合って何かを交感した瞬間があったかどうかということでしょうか。
大体彼の目が本当に青い目なのか私は知らないんです。
少なくとも1983年の「戦場のメリー・クリスマス」の彼は青い目でした。
彼は化粧もしますから色付きのコンタクトをしていても不思議じゃないのですから。
素の彼が何色の目をしているかは私には大事なことではありません。
彼の映画はもう一本「ラビリンス」(1986年)を見ています。
でもその映画では彼の目は余り印象的ではないのです。
青よりもむしろ銀色だったような記憶です。
髪がもりもりの銀色だったからそんな印象なのかなぁ?
要は土の中に埋められた彼の顔がこちらを向いた時の目です。
この目で彼は私の中でムビー・スターになりました。
本当のところもう映画の詳細は覚えていません。
もう一つ本当の所、今となっては「はて、本当に青だった?」って感じもなきにしもあらずです。それなのにあの目の持つ力の記憶は死なないんですねぇ。
あの目は確かに私を捉えていたんです。
実際は彼はちゃんと私にとってロック・スターとして始まったんですよ。
狭い台所で小さかった二人の息子をかわるがわる私の足の甲の上に立たせて抱えて、彼の「チャイナ・ガール」を聞きながら踊りまわったものです。
だから息子が大学生になって下宿した時に、たまたま上京して彼のテーブルの上にデヴィッド・ボウイのCDを発見した時は妙にうれしかったですねぇ。
「あぁ、彼は私の息子だ!」とつくづく思っちゃいましたから。
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コリン・ファース

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「コリン・ファース」
彼の目は多分黒、いや絶対黒でしょう。
「憂鬱な黒」が似合う人です。
初めて彼の名前を知ったのはTVドラマでした。
何年か前の正月にNHKで放映した「海外ドラマ」の「高慢と偏見」でです。
ジェーン・オースチンの小説は「エマ」と「高慢と偏見」を学生時代読んでいましたから、
「この英国小説を英国ドラマとして見られるとはなんという楽しみ!」と喜んで見ました。
期待にたがわず丁寧に原作を大事にした脚本に俳優さんのイメージも見事に合致して、私にとって大満足のTVドラマでした。
何よりミスター・チャールズ・ダーシーを演じた俳優にはころっと参りましたね。
私の頭の中のイメージをそのまま実現したみたいに、馴染んだ手袋のように、ぴたっと填まりました。
「誰だろ?この俳優は?」・・・それが「コリン・ファース」でした。
ミスター・ダーシーが高慢をへし折られて、苦々しくもどこか自信無げに悔しげに恋を告白するところなんか出色でした!
高慢で陰鬱だった黒い目が憂鬱な悩める黒い眼になっていました。
こんな誇り高い男に恋を告白された女の凱歌、歌ってみたいものですねぇ。
その偉そうな告白をまたぺシャッと潰されて、本当の恋がその苦痛の中から生まれたのは
「その人柄の奥底に秘められていた高潔で誠実な人柄があったから!」
だという事を見るものに分からせてくれる力を秘めたしっかりした目でしたね。
この人の映画見たいなぁと思うこと数年。
やっと巡りあいました。
「恋に落ちたシェークスピア」1998年で。
まさか!と、意外なキャスティングでした。
あのミスター・ダーシーがシェイクスピア(ジョセフ・ファインス)と恋に落ちるヴァイオラ(ヴィネス・パストロウ)の無理やり結婚させられる喜劇的な笑える貴族になっていたのですから。
しかしこれはこれで凄いんですよ。
欲とコケにされた激しい怒りに狂った目をぎらぎらと見せて、この貴族を存在感あるものにしていましたね。
最近の彼は「ブリジット・ジョーンズの日記」2001年、
「ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月」2004年のマーク・ダーシーで知られていますが。
この作品の中でのマーク・ダーシーという名前、「高慢と偏見」のダーシーから来たんでしょうかね?
トナカイ柄でしたっけ?凄いセーターで出てきた時の彼の顔は忘れられませんよ。
ミスター・ダーシーがガラガラと崩れていったんですから。
作品が面白かったから許せますが、実力が認められ人気が出てくると、沢山の作品を見られるという喜びとともに、こういう悲劇?も生まれます。
ま、どっちにしても彼の名前を見つけると直ぐ映画館へ行ってしまう私なんですけれど。
だから「真珠の耳飾の少女」の陰気な苦悩のあるフェルメールの役は私にとって彼向きでした。
絵の対象として少女を見る激しい目の中に複雑なものを秘めて、そこに彼の本領が伺えたような気がしたからです。
でも、願わくばいつか彼のロチェスターを見たいものだと思っています。
「ジェーン・エア」の苦悩と激情を秘めたあの悲劇の意志の男です。
彼を演じられる目をコリン・ファースは持っていますよ!
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オードリー・ヘプバーン

俳優についてのコラム 389 Comments »

「女優」と聞いた途端、私の中に浮かび上がるのは「オードリー・ヘプバーン」です。
「女優」としてどうか?何ていうことは彼女の前では何の意味もありません。
映画の中でどんな女性を演じていようが、悲しんでいようが、怒っていようが、苦しんでいてさえも、彼女のそのときの映像の向こうにあの「ローマの休日」1953で見せたあの素晴らしい魅惑する目が輝いているのです。
彼女はどの映画でもそこにいてくれるだけで見る者をその映画の虜にする魅力を秘めています。
いえ、秘めているというよりその魅力を発散しているという方が正しいでしょう。
私は始めて「ローマの休日」を見たときから彼女の全部の表情の虜になってしまいました。
美しくて、可愛くて、無邪気で、優しくて・・・天使のようで、妖精のようで、なよやかに細く、高く、清らかで、女性がこうありたいと思うすべてを兼ね備えていましたもの。
神の賜物をこんなにいっぱい貰って生きるってどんなでしょう?
憧れる以外にどうできるというのでしょう。
まさしくそれが「スター」の条件でしょう?
すべての映画の中で彼女の持つ何かが必ずスター・星のように輝いていました。
「ローマの休日」には彼女のすべてが凝縮されていましたが、かなり年齢がいってからの「ロビンとマリアン」1976でさえ、彼女の持つ可愛らしさは隠しようもなく現れ出でて、スクリーンの彼女は見る者を魅惑してくれました。
あぁ、なんて彼女は可愛いのでしょう!
尼僧姿のオードリー「尼僧物語」1959年は彼女の清純さに魅せられた監督がその清純さをスクリーンに固定したくて撮ったのではないかと思ってしまいますし、リッツで黒のレースの覆面をして現れたオードリー「おしゃれ泥棒」1966は彼女のチャーミングさに惑わされた監督がそれを見せたくて撮ったのではないかと思ってしまうといったふうです。
「パリの恋人」1957年の黒タイツで踊るオードリーはスレンダーなその姿が生み出す躍動感の美を体中で見せてくれて、楽しませてくれましたしね。
「暗くなるまで待って」1967年は盲目の彼女の健闘がいじらしくて、可憐で、どんなにはらはら応援しながら息を呑んだことか!
オードリーだったからあんなにもいじらしかったんですよ。
彼女の映画にあっては物語は付け足しで、どんな彼女を魅せてもらえるかということだけで楽しかったという気がしています。
「マイ・フェア・レディ」1964年を見に行くのではなくてマイ・フェア・レディのオードリーを見に行ったのです。
本当にフェア・レディ!なオードリー!
彼女みたいな女優はもう出ないかもしれませんね?
モット美人で、モットはかなくて、もっと魅力的な、モット上手な女優は居るかもしれませんが、すべて持っているものの上になんともいえない上品さをヴェールのようにまとって素晴らしい最高の笑顔を見せてくれるのは彼女だけでしょう。
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映画への馴れ初め

映画についてのコラム 13 Comments »

父は仕事帰りや休みの日によく一人で映画を見に行っていた。
わたしの子供の頃。
母に「なんでお母さんは一緒に行かないの?」
と尋ねたことがある。
連れて行ってくれるものなら、絶対私だったら付いて行くのにと思っていたから。
母の答えは簡単だった。
「あの暗いところに入ってちかちかする画面を見ていると直ぐに頭が痛くなるのよ。」
その母は偏頭痛もちで、私もしっかりその遺伝子を持っているのに、私の偏頭痛はむしろ映画館で治る。
「?」
いつも一人で映画に行く父が一度大学生になって上京した私の従姉を連れて映画に行ってしまったことがある。
オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」だ。
従姉にどんなに嫉妬し、羨ましさに歯噛みしたことか。
今みたいにしょっちゅうTVで映画を見られるわけではないのだから。
「ローマ」「王女」女の子を魅了するキーワード!
あれからの数年間はオードリーが日本中に溢れていたような気が今でも残っているのは、その羨ましさのせいかもしれない。
ヘプバーン・カットにし、ヘプバーン・サンダルを履き、サブリナ・パンツが流行ったあの頃!
映画はストーリーよりも映像よりもまずスターだったような気がする。
「私も!私も!私も!」と纏わり付く私に父は
「お前はもう少し大きくなったらね。」
1953年、「ローマの休日」大ヒット!
私は今考えるとまだ5歳だった!
女の子恐るべし?
その父が初めて連れて行ってくれた映画が「ウエスト・サイド物語」(1961)年だった。
いや始めてというのはちょっと違う。
「ウエスト・サイド物語」が余りに素晴らしくて、それまで見ていたものすべてをひっくり返すほどの衝撃を受けたから、そう思っているのかもしれない。
その前に私は父にディズニー映画は殆どすべて連れて行ってもらっているはずだ。
しかし「ウエスト・サイド物語」を見てしまった私にはディズニーは映画というものとは思えなくなってしまったのかもしれない。
「アニメーション」だけでなく「白い大陸」などの記録映画も私にとっては「映画」とまた別の範疇に入ってしまったのだ。
勿論このディズニーは今のディズニーとは違う。
「ウエスト・サイド物語」の上映が終った瞬間が私の「ロマンス」と「スター」があってこそ映画!になった瞬間だったのかもしれない。
それから、かなりの映画を見た。
そして映画というものへの思いも変わった。
でも連れて行ってもらえなかった映画への渇望が私の映画への入り口になってしまったことは確かなようだ。
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ピーター・オトゥール

俳優についてのコラム 13 Comments »

彼を初めて見たのは「アラビアのロレンス」だった。
物語の初めでは、砂また砂、丘また丘のあの砂漠でどんどん日に焼けていく肌の色とその下で輝く目の印象が私を捕らえた。
そしてらくだに背を丸めてロレンスが乗り越えていく広大な砂漠と、彼がそこで大きく育ちまた壊れていく様とが見事に映し出されていく大きな物語に魅了されていった。
決定的だったのは囚われたロレンスが鞭打たれた時のあの目だ。
画面と私とを隔てていた距離がその「ひと見つめ」で消え果てた。
私はそのままロレンスの背中に溶け込んだ思いで彼のその後の生を生きた。
そしてまた、私の視線はオマー・シャリフ演じる族長の視線と重なって、ロレンスの砂漠とそこに生きる人への思い、愛と憎しみを悲しく見つめた。
圧倒的な「眼」だった。
この1作でピーター・オトゥルの名は私の頭に刻み込まれた。
しかし彼の映画はそんなには見ていない。
直ぐ数え上げられる。
「何かいいことないか子猫チャン」(1965)
「チップス先生さようなら」(1969)
「おしゃれ泥棒」(1966)
TVドラマ「ドーバーを越えて」
そして「トロイ」(2004)
俳優本人の人生は殆ど全く知らない。
私が垣間見たニュースは「彼の演出したシェークスピァの舞台が不評だった。」こと、
「アル中の治療中だ。」った時期があったらしいこと、
「アカデミー賞の特別功労賞にノミネートされた。」くらいだろうか。
この映画の事を思い返せば、目をつぶらなくても、砂漠の砂と風の中の彼のなびく金髪、焼けた肌、見つめる眼は直ぐに私の中に甦る。
「子猫ちゃん」の青い青い大きな笑う目、
「チップス先生」の背の高い痩せた猫背の後ろ姿と眼鏡の上から見つめる優しい悲しげな語る目、
「おしゃれ泥棒」の悪戯っぽい踊るようなからかう目、
「ドーバー海峡」の頑固な意志の強い成し遂げる目、
「トロイ」のアキレスに向ける老いた弱々しい悲しい訴える目
彼の目は永遠だ。
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映画という世界

映画についてのコラム 141 Comments »

息子夫婦が遅めの夏休みを9月の終わりに取って、ハリウッドへ行くと言う。
「ハリウッド!」
憧れの都の一つだけれど、私は決して行きたいとは思わない。
好きになり方にはいろいろあって、その表現も色々あると私は思っている。
そして私は「舞台裏を見たい!」というタイプの映画好き人間ではないのだ。
アジア映画はそんなに好きではないし、邦画も余り見ないのは、
決して欧米崇拝主義者だからではなく、目の色や皮膚の色が完璧に私と違う人たちの物語の方が夢世界に入り込みやすいからなのだ。
映画は私の夢であり、ロマンであり、異次元なのだ。
あぁ、ハリウッド!
夢を紡ぎだしてくれる源の大きな一つではあっても、そこに蠢き、生きているものには用は無い。
勿論スターには憧れる。
「なんて上手に私を異世界に誘いこんでくれるのだろう!」
という驚嘆があるから。
勿論監督にも憧れる。
「なんて上手に異世界を構築するのだろう!」
という感歎があるから。
映画の中で生きるすべての人物に私は感謝している。
「なんて上手にあなた方は異世界を紡ぎだしてくれるのだろう!」
ロマンスであれ、
冒険であれ、
SFであれ、
ハードなノンフィクションであれ、
ナンセンスであれ・・・
私の住む日常では知るよしも無く、住むよしも無い、
そんな世界を繰り広げてくれるなら、
私は大体において歓迎の手を差し伸べて、味わう。
「ジョニー・デップの手形を写真に撮ってきてあげるね。
ブラッド・ピットのも欲しい?」と、彼らは聞く。
「勿論!」と私は答える。
私は彼らの映画をなるべく多く見たいと思っている。
彼らは私を魅了する。
でも、「ピーター・オトゥールの手形があるか探してね。」
と私は付け加えた。
「なに、それ?」
「それ?」
彼はもうこの世代では「人ですらないのか?」と私はがっかりする。
未だに彼は見ようとすれば画面の中で生き生きと生きているし、
現実に生きているのに。
でも私はおとなしく答える。
「「トロイ」見たんでしょ?プリアモスをしていた俳優よ。」
「プリアモスって、誰だっけ?」
「パリスをやったオーランド・ブルームの父王役。綺麗な銀髪の青い目の上品な哀れな王。いたでしょ?」
「あぁ、あれ。あの人そういう名前?」
そうだろうな。
フレッド・アステァやクラーク・ゲーブル、ジョセフ・コットンやひょっとしたらスティーブ・マックィーンも、
もっとひょっとしたら?ジェームズ・ディーンでさえも
「誰?それ?」になるのだろう。
最近「夫婦50割引」で映画を見始めて、映画に興味が出てきたという私の友人が
「ねぇ、TVで見たけれどフレッド・アステァだっけ?しなびたおじいちゃんが踊ってて、スターだって言われてたけれど、何であんな貧相な人がスターだったの?」
と聞いて私を絶句させた。
「ひ・ひ・貧相?」「!」
で、つらつら考えた。
そうか、今初めて彼を見たからそう見えるんだ。
時代だね。
「子どもの時にリアルタイム?でもないけれど見ていた私にはあの踊りは夢のようだったからね。あの背景もあの時には素晴らしいと思ってみていて、楽しく笑ったものよ。多分その違いなんだろうね。私には今でも彼はスターだもの。踊り、歌い、輝いていたよ!」
かくして時代は移り人は代わる。
しかし心に一度スターとして住み着いた者は永遠にスターとして輝き続ける!
そういうわけで私はピーターの演じた銀幕のすべての人物に魅了されているけれど、彼に会いに海を越えようとは思わないし、
ジョニーの演じた殆どの役柄を楽しんでいるけれど、彼が来日したからといって空港に駆けつけたりはしない。
私は架空の世界だけを「永遠に憧れ続けるだけ」のおっくうがりの恋人なのだ。
そんな私の「映画紹介」
あなたの役にたつといいけど?
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