山猫

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監督  ルキノ・ヴィスコンティ
出演  バート・ランカスター、アラン・ドロン、
クラウディア・カルディナーレ

久しぶりにバート・ランカスターにお目にかかりました。
BSで古い映画やってくれるおかげです。
「男」が男だった時代の映画だというとおかしいでしょうか?
バート・ランカスターのシシリー島の公爵は「男」としか言えないんですもの。
現在の男女共同参画時代では許されない男ですよ。
でも、バート・ランカスターの堂々たる体躯とあの髭(似合っていますよね?)ですからね、この映画の中で彼が演じていたのは間違いなく「壮大な男」でした。
イタリアが統一される前夜くらいのイタリア、シシリー島が舞台ですから、185、60年頃?の物語です。
まず何より背景がいいです。
公爵の屋敷、舞踏会が催される特権階級の豪奢な屋敷の前に広がるのは荒れた貧しいシシリーの山岳と村落です。
こんな村々の貧しい人々をずーっと見下ろして特権を行使し続けてきた男の意識ってどんなものなんでしょう?
本当の所想像も付きませんが、公爵を演じているバート・ランカスターを見ていると分かってくるような気がします。
尊大で、磨き抜かれていて、自由奔放、欲望を抑えようともしない。
この公爵自身は生命力に溢れた生身のそれこそ生々しい男なのに、個人としてよりも彼の家柄の疲弊がここに来て時代の波におぼれかかっているという雰囲気を見せていました。
それは甥の「時代に見事に調子よく乗っていくという選択」の背中は押してやるけれども、自分はその意志も意欲もエネルギーもないという姿勢に現れているのですが。
若々しい細身のアラン・ドロンの軽やかで衝動的に見える行動力と対照して、二つの時代が浮き彫りになってきます。
アラン・ドロンが演じるタンクレディという青年とその婚約者を演じるクラウディア・カルディナーレの哄笑が暗示的で、時代に浮かび上がっていくものと、飲み込まれていくものとを見せ付けるようでしたけれども、バート・ランカスターの公爵はそれを見届けることに奇妙な楽しみを見出しているように思えて、古い時代の凋落はそれでも一筋縄ではいかないことも教えてくれるようでした。
幾時代も乗り越えて磨き続けられてきたものは、その輝きを失う時がきても、滅びる時にはまたそれ相応の残りの輝きを見せるということでしょうか?
それにしてもタンクレディとその婚約者、その父はちゃんと上手く時代を手に掴み取れたのでしょうか?知りたいです。
この公爵の妻に生まれていたら、あんな素晴らしいシャトーに住めて、あんな素晴らしいドレスを着て、たっぷりのご馳走と舞踏会と社交に明け暮れたとしても、生まれ変わったら今度は男になりたいと思うんだろうな・・・なんてつまらない事を考えちゃいました。
たとえ斜陽の家の当主だとしても・・・?
ちなみに「山猫」というのはバート・ランカスターが演じたサリーナ公爵家の紋章です。
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 ヒストリー・オブ・バイオレンス

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監督  デヴィッド・クローネンバーク
出演  ヴィゴ・モーテンセン マリア・ベロ エド・ハリス
ウィリアム・ハート

散々悩んだ末?とうとう見に行きました。
結局見ないと結論は出ないと言うことで・・・。
その結論から言ってしまうと、「ロード・オブ・リング」のアラゴルンのヴィゴ・モーテンセンは
「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンや「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥルや「風と共に去りぬ」のビビアン・リーとクラーク・ゲーブルや「大脱走」のスティブ・マックイーンや「ジャイアンツ」のジェームズ・ディーンや「ウエスト・サイド・ストーリー」のジョージ・チャキリスや・・・
並べると結構限が無いわ・・・と同じに、私の中のムービーヒーローに奉るということで一線を画す事にして、「他の映画の中の彼は彼でまた良し!」ということになりました。
題名が題名で[R15]が付いているので、誰も付き合ってくれる人がいなかった割には地味だけれど、
なかなかいけていたじゃないの・・・と思って出てきました。
だって、それこそ地味だけど素敵な俳優さんが出ていたんですから。
エド・ハリスなんて私大好き!
「アポロ13」で、何で最優秀助演男優賞取れなかったんでしょう?
「ポロック」なんで受賞できなかったんでしょう?
「ビューティフル・マインド」の妄想の中の人物なんて存在感ありすぎの幻!
(ポール・べタニーもだけど)助演男優賞ものでしょうに。
だいたいこの映画でウィリアム・ハートがノミネートされてエド・ハリスがノミネートされないのはなんで???
って、これは余計な話。
ヴィゴ・モーテンセンはジョーイになった時のアクションのスピード感のある動きと表情、トムの時のマスターの、また父、夫の時の表情と、最後に帰ってきて家族に見せるなんとも自信無げな表情とが皆良かったですよ。
でも、何がどうあってジョーイがトムになったのか?
こんな大きな変化を遂げさせた何かが分からなくて、ちょっと私の中ではドラマ的には消化不良です。
等身大の普通の男を彼は演じることが出来ると言うことがわかってよかったなぁ、っていうより、この映画の中で完全にそこらにいる男の人でした。
ま、この映画の場合私は映画を楽しみに見に行ったというよりは、映画の中のヴィゴ・モーテンセンを確かめに行ったということで、その意味ではなかなか収穫があったと言えるでしょう。
それにしてもエド・ハリスとウィリアム・ハート(ブロード・キャストの彼は嫌な奴だったなぁ!)ってやっぱり凄い俳優さんだなぁ・・・!ってところに戻るところに問題があるような・・・でもこの映画の場合それでいいような?
いいのよ!
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「への字の口」を持つ女優

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ジャンヌ・モロー(フランス)
シャーロット・ランプリング(イギリス)

ジャンヌ・モローが1928年の生まれ、シャーロット・ランプリングが1946年の生まれといいますから、キャリアの本当に長い大女優といってもいいでしょう。
かなりの?年の私でさえお二人の若い頃の作品は見た覚えがありません。
それでも名前と顔だけはしっかり知っていたということは、コンスタントにお二人が映画界で活躍続けていたということでしょうね。
多分色々な映画でチョコット出ているのを見ているのでしょう。
この二人の印象が私の中にしっかり出来たのはほんの最近のことです。
ジャンヌ・モローは「デュラス 愛の最終章」2001年、今年公開の映画「ぼくを葬る」があるようです。
シャーロット・ランプリングは「まぼろし」2001年、「スイミングプール」2003年、今年は「家の鍵」が公開されるようです。
だからまだまだ彼女たちの映画見られそうです。嬉しいですね。
「デュラス」も「まぼろし」も「スイミングプール」もフランス映画です。
フランス人のジャンヌ・モローはともかくシャーロット・ランプリングはちょっとユニークです。
この2本のフランス映画で輝きを放ち、というより「存在感を示しました。」という言葉を使った方がいいかもしれません。
私はフランス人だと思っちゃいました。
「デュラス」のジャンヌも「まぼろし」と「スイミングプール」のシャーロットも、にこりともしない不機嫌そうな「への字の口」のままで「女」を描ききりました。
小気味が良かったですね。
年を取ると顔の筋力が衰えると見えて、老人には圧倒的に「への字」口の人が増えますよね。
それがいやで、日ごろ口の端を持ち上げて笑顔口を作るように努力していませんか?
特に女の子は、笑顔笑顔笑顔と押し付けられていませんか?
私はよく両親に「女の子なんだから口の端をきりっと上げていつも笑顔が身につくように努力しなさい。女の子に不機嫌なへの字口は似合わない。」といわれたものですが。
この年になると結構きついです。
自然にしていてふと鏡を見ると口の端は自然に?垂れています。
それが人にいやな印象を与えるのではないかと、自戒して唇を上げ笑顔をつくります。
するとまるで年にこびているようでちょっといやな感じです。
だから、にこりともしないで、しかも老年なのに、ずーっと若い崇拝者に向かって居丈高に「私は魅力的だ!」と言い放つデュラスに驚きましたね。
そしてシャーロットも60歳の女のまだまだ生きている感情と体の生き生きとした魅力をへの字口のまま見事に表現しましたね。
時々頬に浮かぶ笑みはその笑みで人を魅了しようと言う意図は全く持っていませんでした。
ほんの少し自分を、自分の立場を、横目に見ているようなちょっと醒めた皮肉な揶揄する笑みでしたね。
年を経た魅力・年輪の持つ魅力を彼女たちは自信を持って表現していました。
「若い者が絶対見せられない、太刀打ちできない魅力と言うものを私は持っているのよ!
伊達に生きてきたんじゃないのよ。」とその口は雄弁に語っていました。
ほんとあの自信にうっとりしましたよ。
こんな風に立てるように私も生きなくっちゃ!?
でもこれってフランスならではの・・・フランス人しか認めない魅力かも・・・と・・・心配?
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今年の日本アカデミー賞

映画についてのコラム 2 Comments »

「ALWAYS 三丁目の夕日」を圧倒的に印象付けて今年のアカデミー賞の発表が終りました。
小雪さんが残念でした。
あの若さと大柄さと日の出の勢いの女優さんに生活臭(それもかなりくたびれた、セピア色の)を求めるのはなかなか大きなハードルでしたよ。
でもあれが宮沢りえさんだったらひょっとしたら出せたかもしれないなと思ってあの映画見ていました。
女優として伸び盛りという点では甲乙付けられないところでしょうが(好き嫌いは別ですよ)、生き生きするフィールドが違うようです。
むしろ「ラストサムライ」の小雪さんの方が彼女の魅力を最大限に引き出されていたように思いました。
それに司会の鈴木京香さんの美しさといったらどうでしょう!
彼女の守備範囲の広さは今ぴか一かもと思っています。
それにしても楽しみな女優さんがいっぱいいるのは、今後に期待が持てて嬉しいですね。
予告編が大量に流れていた頃は今年のアカデミー賞総なめ?の印象さえあった??「北の零年」からは最優秀主演女優賞の吉永小百合さん一人が気を吐いたという感じですが、さてどうでしょう?
ご本人がおっしゃったように「代表として」というのもどうでしょう?
主演女優賞の顔ぶれを見た途端「ああ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ、決まりだ!」と、私は思っちゃいましたけれど。
それだけ彼女は日本の大女優です。
吉永さんの作品では映画ではありませんけれど「夢千代日記」が好きでした。
あの作品の中の彼女は本当にはかなく優しく消え入るような美しさで心の中に忍び込んでくるようでした。
「いつも、何時までもおきれいだわぁ!」と、感嘆しています。
でも女優賞となるとどうでしょう?
「千年の恋 ひかる源氏物語」の紫式部の彼女と「北の零年」の開拓者の妻の彼女とどこか違っていたでしょうか?
それに「北の零年」は吉永さんが力を振るうには余りに脚本が舌っ足らずでした。
「開拓と淡路島からの移民の何を描きたかったんだ!」と、馬に乗った母子を見た途端突っ込みたかったくらいでした。
「描かなければならないところを間違っただろ?」と、聞きたいくらいのものでした。
一番ドラマになるところをわざと選って切り落としたんじゃありませんかね?
ドラマにあまりにもがっかりしたので、この映画のことはアカデミー賞に出てくるまですっかり忘れていました。
で、「あぁ、吉永さんがいたっけ。じゃぁ・・・」になった次第です。
私の中の女気は「大女優になって!汚れる時は汚れて!」と思い、
私の中の男気は「何時までもこのまま美しくいて!」と、思い・・・
どっちにしても応援しているのですけれど、今後どんな道を歩いていかれるのでしょうね。
実が生るのはこれからかもしれませんが。
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ヴィゴ・モーテンセン

俳優についてのコラム 337 Comments »

彼と言えば「ロード・オブ・ザ・リング」三部作(2001・2002・2003年)につきます。
以前に「G.I.ジェーン」1997年、「ダイヤルM」1998年に出演していたことには気が付いていました。
でも、特に気を惹かれる俳優さんではありませんでした。
特に「ダイヤルM」などでは、「芸術家の魅力がある。」ということにしてもグィネス・パストロウが浮気に走るほどの魅力は私には見出せませんでした。
「えー、こんな男に惹かれるかなぁ?」
でも「G・I・ジェーン」ではオヤ?っと思ったのでした。
「目にちょっと魅力があるおじさんだぞ!」ええ、目が生き生き銀色に輝いている感じがありましたね。
でも、「なかなか軍人さんらしい良い味を出しているな!」ぐらいでした。
「ロード・オブ・リング」のアラゴルンが「G.I.ジェーン」のあの軍人だとは最初気が付きませんでした。
全く別人でした!と言うかあの役柄がそう見せていたのですよね。
額にわかめのようにもつれてかぶさり風になびく髪。
映像の中のアラゴルンは最初どう見ても「ほれられる男」では無かったですよ。
その証拠に?アラゴルンのヴィゴ・モーテンセンにすっかり填まった私が、その後彼の映画に誘っても「ロード・オブ・リング」を楽しんだはずの友人の誰一人付き合ってくれるとは言いませんでした。
オーランド・ブルームの映画なら幾らでも付き合うわよって言うくせに!
しかもあの時、この映画「オーシャン・オブ・ファイヤー」は歌舞伎町でしかやっていなかったので、「あそこは一人で行きたい映画館じゃないのよねぇ~」と言うわけで、迷っているうちに見損ないました。
そして今度は「ヒストリー・オブ・バイオレンス」です。
これも題名が災いして、女性陣からは総すかん!
うーん、早く決断して行かないとまた見損なってしまうと私は迷っています。
「迷わず即ゴー!」といかないのは心の中にこの役者さんは「ロード・オブ・リング」で最高の輝きを放ったのではないか?という疑念があって、がっかりするのではないかという恐れが拭いきれないからです。
あえて言えば「風とともに去りぬ」のビビアン・リーみたいに。
アラゴルンの彼は「」に彼の表現として出てくる記述に実によく符合していたのです。
目には荘厳な理知的な表情が出ていましたし、時にはまるで老年の様に老いくたびれて、時には壮年の激しい逞しさを見せて丈高く偉大に、そして時には若者のような目の輝きを見せて。
実際この役者さんの年齢測り難かったのです。
アラゴルンには勝手に色々な役者さんを当てはめていたのですけれど、映画で彼を見た時
「はまり役だ!」と思いました。
それまで余り彼への先入観が出来ていなかったのが良かったのかもしれませんね。
不思議なのですが映画で見て「アァ、いいなぁ、この人の他の映画見てみたいなぁ。」と思える場合と、「彼のほかの映画見ても良いのかなぁ?」と思ってしまう場合とがあるんです。
ヴィゴ・モーテンセンの場合どうも後者のような気が・・・?
「ロード・オブ・リング」での彼の魅力はあのたなびく髪の毛のカーテンの威力かと・・・?
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歓びを歌にのせて

映画タイトルINDEX : ヤ行 173 Comments »

監督 ケイ・ポラック
出演 ミカエル・ニュクビスト フリーダ・ハレグレン
ヘレン・ヒョホルム レナート・ヤーケル ニコラス・ファルク

私はこの映画を見て帰ってきてから、毎日ボイストレーニングをしています。
そういうと凄いみたいでしょ?
でも、ただ家で、窓を閉め切って、彼らがしていたように自由に自分の声を出しているだけです。
そして良ぉく声を出したら懐かしい童謡などを一節、仕上げに歌います。
これが結構いいストレス解消?になっています。
が、それ以上に映画を心の中で反芻して、感動を確かめているということでしょう。
この映画の物語に感動したことはもう最上の感動をしましたけれど、それ以上にひょとすると私は声を出すことの楽しさ、気持ちよさに目覚めちゃったのかもしれません。
それぞれに生活の中で色々な問題や屈託や葛藤を持っていたり、それぞれの道徳観に縛られていたりする様々な村人が、床の上に寝転んで人のお腹の上に頭を乗せて発声しているところなんか、愉快でもあり、また象徴的でもあると思われました。
腹の中、聞いてみたいものですよ。
お互いが腹の中をぶちまけると取り返しの付かないことになるのじゃないかと言う気がしますけれど、意外に道が開けることもありますしね。
同じ村でずっとーお互いの生活を見尽くしてきた人々ですもの、結末の心地よさに素直に流れ込んでいく素地が自然です。
結末では、折角思いが通じた村の雑貨屋でレジをしていたレナの、この後の悲しみまで想像してしまって、涙が止まらなかったのです。
でも命と引き換えに幼い頃の夢を実現した主人公の指揮者には「良かったわね!」と声を掛けるほか無いでしょうね。
本当に「ヨカッタ!良かった!」って、声を大にして。
彼にとっては「これで人生は完璧に近く満足のいくものになった!」と感じさせる表情を彼は見せましたから。
それにしてもレナの素朴で直接的な求愛(ちょっと古い言葉ですが)は可愛らしかったですね。
ぽっちゃりとした白い肌のように体中に優しい母性的な愛が満ち満ちていました。
それに引き換え人間関係に子どもの頃ににつまずいたままの主人公のダニエルが心を開くまでのおぼつかない戸惑いの連続はちょっとひ弱で見る女性すべての母性をくすぐったのでは無いでしょうか。
聖歌隊のヘレン・ヒョホルムの演じる夫の暴力に耐える妻が、歌に癒され勇気を得ていく過程も、それを引き出していくダニエルの書いた曲も素晴らしかったです。
スェーデンの厳しい冬の大地の中にも優しく春が芽生えてくるように、心の中にも暖かいものが芽生えてくるようなそんな映画でした。

ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女

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監督 アンドリュー・アダムソン
出演 ウィリアム・モーズリー アナ・ポップルウェル
スキャンダー・ケインズ ジョージー・ヘンリー
ティルダ・スウィントン

原作がC・S・ルイス と言うことでまたファンタジーの映画化です。
映画をどう位置づけるかでこの映画の評価は人によって真っ二つかもしれません。
でも映画というものはいつも楽しむものだと思っている私にとっては、ファンタジーの映画化?
願っても無い!です。
また素晴らしい映像が見られるぞぅ!!!
と言うわけで楽しむ姿勢バッチリで映画館に座れば、期待にたがわぬ美しい映像がたっぷり繰り広げられていく・・・というわけで、うっとり!わくわく!の2時間余りでした。
物語を原作で読まれた方はきっと映像作家のファンタジー力に感心されたことと思います。
あれだけの物語をあれだけの世界に昇華せしめたのですから。
丁度「ロード・オブ・リング」の反対だと思いました。
壮大な宇宙を7時間余りの時間で語ることが余りに無理なむちゃな挑戦だったのと比べると(と言って映画が粗雑だと言うこととは違いますよ。映画はそれはそれは素晴らしく出来ていましたからね。)、これは1時間余りで読める物語を2時間余りの壮大なスケールに膨らませたのですから。
多分この作品の方が映像にするのには楽しい作業だったと思います。
きっと楽しく肉付けできたでしょう!
監督やスタッフの方たちは想像力を思いっきり羽ばたかせることが出来たでしょうから!
私にとっては「もののけ姫」の映像と双璧!に近いです。
「全くしょうがないわねぇ、君たちは!」と言われかねない子供たちが僅かな時間にどんどん成長していくんですから、子どもも大人もまるで一緒に自分も成長していくように、感情も移入して行きやすい素直な冒険譚です。
それにお母さんにとっては興味深いことが1つ。
「まず名前を与えろ!」です。いい名前をね。
「君は英雄王!」「君は正義王!」
「あなたは優しの君!」「あなたは麗しの君!」といった風に。
さすれば・・・そう育つ!っていう見本が最後に見られましたね。
やはり褒めて育て!
信じて育て!
そして初めて、子どもは想像の国で培った自分の力で育つのでしょう。
それにしても団子鼻のルーシーがあんなに美しくなるなら、私も天国?の母にちょっと文句を言いたい!

最近の邦画

映画についてのコラム No Comments »

私を洋画ファンにした私の父が80歳を過ぎてから、目が字幕に追いついていかなくなったと言う理由で、邦画一辺倒に180度の転換をしました。
「夢追い人」と言う気分に安住できると言う意味で?洋画一辺倒だった私が、その父のお供というか安全杖?と言う立場で、邦画を付き合うようになって五年経ちました。
そしてこの5年間にこれまでの私の人生45年間に見た邦画を凌ぐ数の邦画を見てしまいました。
そして不思議なことに洋画を見るのとは随分違った意味で邦画を楽しんでいる自分に気が付きました。
思っていた以上に楽しめているのです。
思い込んでいた以上に「質がいい!」と言ったら随分失礼ですね。
でも本当にいい感動や、いい楽しみや、いい夢を貰って満足して帰ってくる自分に気が付いています。
最初は親孝行のつもりで、字幕についていけなくなったと嘆いている父が邦画にしてまでも映画をまだ楽しみたいと思っているということに驚きながら、付いて行っているだけだったのにです。
今では「あれ見てみない?」と私から誘っている始末?です。
素敵な脚本を書く人も、不思議なセンスとこだわりを見せる監督さんも、画面の中で輝く俳優さんも、様々な技術でも、かけるお金が少なくとも、魅せてくれる映画が本当に多くなっているんです。
で、気が付いたら洋画・邦画と区別して考えていない自分が居たという訳です。
この数年間に父が是非見たいと言った洋画は「ストレイト・ストーリー」だけでした。
寡黙なこの映画は言葉以上に共感するものをいっぱい持っていたと見えて、
「こんな邦画が見たいものだ。センスがいい!」
などと言っていたものでしたが、その科白を最近は二人で邦画にも言っています。
「ALWAYS 三丁目の夕日」と「博士の愛した数式」にです。
あぁ、あと「父と暮らせば」という映画もありましたね。
本当にセンスのいい映画でした。
純君の時から見ていた吉岡秀隆さんを父は非常に評価していて(隠れたる?大ファンと言ってもいいでしょう)彼の成長を心から喜んで見て、それも映画の一つの楽しみになっているようです。
「吉岡君の次回の作品はどんなのだろう?」とね。
「彼は『海は見ていた』の頼りない役も実に上手かった!」とか「『雨あがる』の軽い武士役も味が良かった!」とか言って。
こんなわけで、幾つになっても楽しみを与えてくれる映画に私は感謝しているのです。
もう一言
高倉健さんの映画も外さない父の為に健さんの末永い健闘も祈っています。
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デビッド・ボウイ

俳優についてのコラム 466 Comments »

はて、彼は映画スターだろうか?
私には映画スターなのです。
ピーター・オトゥールの目を書きましたから「目つながり?」で、彼の事を書いてみましょう。
「青い目」を偏愛しているからじゃないか?って?
「青い目」それだけならいっぱいいますよ、他にもね。
いいえ色だけじゃないんです。
映画の中でその目が「生きた!」瞬間を持っているかどうかが大事なんです。
言い換えれば私を本当に見つめてくれた、私と見詰め合って何かを交感した瞬間があったかどうかということでしょうか。
大体彼の目が本当に青い目なのか私は知らないんです。
少なくとも1983年の「戦場のメリー・クリスマス」の彼は青い目でした。
彼は化粧もしますから色付きのコンタクトをしていても不思議じゃないのですから。
素の彼が何色の目をしているかは私には大事なことではありません。
彼の映画はもう一本「ラビリンス」(1986年)を見ています。
でもその映画では彼の目は余り印象的ではないのです。
青よりもむしろ銀色だったような記憶です。
髪がもりもりの銀色だったからそんな印象なのかなぁ?
要は土の中に埋められた彼の顔がこちらを向いた時の目です。
この目で彼は私の中でムビー・スターになりました。
本当のところもう映画の詳細は覚えていません。
もう一つ本当の所、今となっては「はて、本当に青だった?」って感じもなきにしもあらずです。それなのにあの目の持つ力の記憶は死なないんですねぇ。
あの目は確かに私を捉えていたんです。
実際は彼はちゃんと私にとってロック・スターとして始まったんですよ。
狭い台所で小さかった二人の息子をかわるがわる私の足の甲の上に立たせて抱えて、彼の「チャイナ・ガール」を聞きながら踊りまわったものです。
だから息子が大学生になって下宿した時に、たまたま上京して彼のテーブルの上にデヴィッド・ボウイのCDを発見した時は妙にうれしかったですねぇ。
「あぁ、彼は私の息子だ!」とつくづく思っちゃいましたから。
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プライドと偏見

映画タイトルINDEX : ハ行 140 Comments »

監督 ジョー・ライト
主演 キーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファデン、ドナルド・サザーランド、ブレンダ・ブレシン、ロザムンド・バイク

さて、先日「コリン・ファース」のところで、イギリスTVドラマの「高慢と偏見」について触れたから、この映画にも触れないわけにはいかないですね。
ジェーン・オースティンの原作は私の高校の頃からの愛読書ですが、TVドラマになった作品と映画を、どちらが原作に忠実だとかイメージがあっているとかいう問題を論じても意味がないと思っています。
それぞれにどのくらい楽しめたかということがまず第一に大事なことでしょう。
その点ではどちらも楽しめたという事をまず最初に書いておきたい。
原作は何回もの読書に耐える素晴らしさを持っています。
余りにも現代とはかけ離れてしまった世界に思えますが、人の心の動き、感情の波、家族の有り様、恋の駆け引き・・・色々な点で今、どんな時代に読んでもきっと十分魅力的な作品で、私など読んだ年代によってその度何か嬉しいものを感じさせられています。
恋の成り行きにも、いじらしい姉の恋にも、出来の悪い放任された妹たちのこれからの人生にも、勿論リジーの生活にもわくわくさせられるです。
姉妹・母親・その友人たちの織り成す物語のそれぞれの心の動きに頷かされてしまうのでしょうね。
これだけ魅力を持った小説は反対に言えば読むものに、読む人毎に、色々なイマジネーションを与えてくれるのでしょうから、色々な脚本が現れても不思議は無いわけです。
だからこの原作からどんなTVドラマ、映画、舞台が生まれたとしてもそれはそれぞれに比べるのではなく、それ一個のものとして鑑賞され論じられるべきだと思います。
「コリン・ファース」で激賞したように私の中ではあのミスター・ダーシーは最高に魅力的な男でした。
たった二時間のドラマにされてしまった映画においてはダーシーのしどころは短くて、その魅力を十分に発揮することは出来なかったろうという点でマシュー・マクファデンははなっから分が悪いですね。
プライドを前面に押し出すには轟然と頭をあげて、見下す視線を送るしか手が無かったでしょうから。
彼の人間性の隠れた人みしりするような繊細さ、真に誠実な性格まで表現する時間も無いままにあのいきなりの恋の告白に行かなければならなかったのだから、ちょっと辛いですよ。
結局女としての私は主人公に同化してしまって、恋の対象であるダーシーを論ずることにのみ興味を示してしまいます。
ダーシーが表面的にしか描かれなかった分、映画ではあの告白が呼び起こした猛烈なリジーの反発・拒絶は反対に素直に受け取れましたね。理解できました。
だってアンナ表情しか見せなかった男の告白ですよ?
コリンのダーシーには彼の性格の奥行きを表現する時間があったので告白がああなるという必然をちゃんと見るものに納得させるので、かえってリジーのあの激烈は拒絶はダーシーに同情を起こさせてしまうようでした。
悩める男の内心のせめぎあいの表現が見事でしたよねェ!
というわけで、私はどちらのダーシーをも楽しめたといえるでしょう。
映画のあの時代考証は綿密なものだと思いますが、彼女の家とダーシー家の階級の差は映画の方がかなり際立って表現されていました。あれならダーシーがこの縁組を心底ためらった理由が分かりやすかったと思います。
イギリスの貴族階級の館と庭園の見事なこと!
田舎が本当に美しかったですね。これはTVでも映画でも!
それにしても女性のドレス、映画のはちょっとおとなしくなりすぎていませんですかねぇ?あの時代女性は女性をモット強調していたのではないでしょうか?
キーラのリジーは繊細で機転が利き当意即妙な元気さと美しさが良いとおもいましたが、TVで演じた女優さんの理知的で勝気なしっかり者の雰囲気もよかったなぁと思いますし。そんなわけでどちらも面白く楽しんだというわけです。
ジュディ・デンチという女優さん凄いですね?
ツイこの間の「ラベンダーの咲く庭で」見ました?
あの可憐なおばちゃまですよ。
いやこっちの方が大方の彼女のイメージですよね。
ビクトリア女王とか、はまり役でしたが、「ラベンダー」で可愛いのに驚いたのでした。
お父さん役がドナルドだと知った時にも、あの田舎紳士、「彼でいいのかなぁ?」と思ったのに、ちゃんとイギリス親父になっていました。
俳優さんてだから素敵!と思うのです。
それにしても何で「プライド&プレジャデス」か「高慢と偏見」じゃなくて「プライドと偏見」なんですか?

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